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  • 2022.09.12

現代アートにも増えるニセモノ。美術館や大コレクターが騙されるアート界の“特殊事情”

数カ月前、FBIがフロリダの美術館に踏み込み、展示されていた人気現代アーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアの作品を贋作だとして押収。強制捜査がバスキア展の最中に行われたことで、アート界は騒然となった。この事件を始め、近年は詐欺や不正取引などの犯罪が増えているという。そこには、多額のマネーが動くアート界ならではの事情もあるようだ。有名な事件の手口と背景を見てみよう。

詐欺で有罪判決を受けたイニゴ・フィルブリック(左)。2016年にニューヨークのレストランで開催されたスーツケース・ブランドのイベントにて Patrick McMullan via Getty Images

2022年6月24日の金曜日、フロリダ州オーランド。それは、いつもと変わらない夏の1日として始まった。ディズニー・ワールドには巡礼者のような人の波が押し寄せ、オーランド美術館では、大々的に宣伝された展覧会が最終日を迎えていた。

ジャン=ミシェル・バスキアの未公開作品25点を展示した「Heroes and Monsters(ヒーローとモンスター)」展は、全国的な注目を集めることが少ない地方の静かな美術館にとって、華々しい見せ場となるはずだった。80年代にアート界の寵児として活躍したバスキアの新表現主義の絵画には、何千万ドルという値が付いている。

バスキアは、単に売れっ子作家だったわけではない。反逆的なグラフィティアーティストがファインアートの世界に入ったという異色のバックグラウンドと、分野を超えた知名度を持つ彼は、マドンナと付き合っていたとか、ジェイ・Zが落書きのような作品を持っていることをラップにしたとか、アート以外のエピソードも豊富だ。そして、薬物の過剰摂取のために27歳の若さで亡くなったことで、彼はポップカルチャーのアイコン的存在となった。

そのバスキアの展覧会を機に、オーランド美術館は知名度を上げようと目論んでいた。メディアで大々的に展示作品を宣伝し、関連イベントで資金調達をする。たとえば、GIF作成ブースやライブアートなどが楽しめるDJパーティ「Basquiat’s 1982 Heroes and Monsters Ball(バスキアのヒーローとモンスターパーティ1982)」もその1つだ。

だが、展覧会最終日に、捜索令状を持ったFBIの捜査官たちがオーランド美術館に踏み込んだ。彼らが展示品を梱包し、まるでヘロインの袋のように運び出す間、美術館から退出させられた来館者たちは、様子をひと目見ようと窓から中を覗き込んでいた。この日押収された25点の絵画は、全て偽物だとFBIは言っている。

規模は大きくないにせよ、認可を受けた美術館が、今この時代に贋作を展示した疑いで大掛かりな捜査を受けたことに驚く人は多いかもしれない。だが、贋作疑惑は近年珍しいものではなくなっている。実際、オーランド美術館の捜査の数週間前にも、パームビーチのディーラーが、高級ショッピング街ワース・アベニューのギャラリーでウォーホルやリキテンスタイン、バンクシー、バスキアの偽物を販売していた疑いで起訴されている。

FBIの美術犯罪捜査班のクリス・マッキーオ捜査官は、富裕層向けライフスタイル誌、ロブ・レポートにこう語っている。「詐欺や贋作事件の場合、2、3点が見つかったら、実際の被害は少なくともその10倍だと考えていい」。贋作者の腕次第では「20、50、あるいは1000点作ることだってできる」

あまりにも偽物が多いため、自分の考え方も変わってきたとマッキーオ捜査官は言う。「新しく発見された美術品は、まずは疑ってかかるようになったし、本物と証明できるまでは偽物だと思うことにしている。いかにたくさん贋作が出回っているか、ということだ」

しかし、贋作事件は氷山の一角にすぎない。最近のアート界では、大金を騙し取る詐欺や組織的な窃盗、資金洗浄などの大規模犯罪が目の回るような頻度で起きている。また、中東での戦争で略奪された文化遺物の密売が急増し、世界各国で当局による取り締まりが強化された。

この1年だけでも多くの大事件が起きている。まず、新進気鋭の現代アートディーラー、イニゴ・フィルブリックが、8600万ドルの詐欺の罪を認め、7年の禁固刑判決を受けた。また、ヘッジファンド界の大物で億万長者のマイケル・スタインハートは、起訴を免れるために少なくとも180点(7000万ドル相当)もの略奪された文化遺物を当局に引き渡し、今後生涯にわたり文化遺物の購入を禁止されるという不名誉な処罰を受けている。さらに、ルーブル美術館の館長という、これ以上ないほど権威ある組織のトップを昨年まで務めていたジャン=リュック・マルティネズが、歴史的遺物の不正取引に関与した疑いで告発された。

こうした著名人が関わる大事件が多発する背景には、アート界に流れ込む天文学的な額の資金、オンライン美術品販売サイトの急増、美術品取引に関する透明性や規制の欠如など、はっきりした理由がある。だが、もう少し分かりにくい要因もある。あるいは、暗黙の了解で動くアート業界特有の要因と言うべきかもしれない。たとえば、何百万ドルの家を買うのに、きちんと下調べをしなかったり、弁護士が作成した隙のない契約書を交わさなかったりする人はあまりいないだろう。それなのに、同じ額の美術品は、握手や電話のやり取りだけで取引されることがある。人間関係が幅を利かせるアート業界の狭い世界では、トップレベルの作品の流通を押さえるギャラリーを怒らせるようなことは誰もしたくないからだ。

美術を専門とする著名な弁護士、ジャド・グロスマンはこんなふうに説明する。「いくら大金を持っていようと関係ありません。ギャラリーの機嫌を損ねたり、あれこれ要求したりする客には作品を売ってくれないかもしれない。その義務はないですからね。だから、売り手に合わせてしまう人が多いんです」

また、犯罪者の多くは、美術犯罪を起訴するのが非常に難しいことを熟知している。金融機関はこれまで長い間、顧客の疑わしい行動を当局に報告するよう求められてきたが、ギャラリーやオークション会社にそうした義務はない。たとえば、顧客が現金を詰めたスーツケースを持ってきて支払いをしたとしても、その理由を問いただすことはなかった。

とはいえ、最近は締め付けが厳しくなりつつある。2020年には米国でマネーロンダリング関連法の適用範囲が拡大され、場合によってはアートディーラーにも適用されるようになった。ただ、詳細についてはまだ明確になっていない部分もある。美術品取引が秘密のベールに包まれる要因はほかにもある。税金などの監視の目を逃れるため、高額な作品は海外のペーパー・カンパニーを通してジュネーブやシンガポールなどのフリーポート(*1)で保管・取引されることも多いのだ。

*1保税倉庫・地域:外国から輸入した貨物を、関税の賦課を留保した状態で保管することができる倉庫・地域。
2022年6月24日(金)、フロリダ州にあるオーランド美術館で開催されていたジャン=ミシェル・バスキア展にFBI捜査官たちが踏み込んだ Willie J. Allen Jr./Orlando Sentinel/Tribune News Service via Getty Images

オーランド美術館に展示されていた「バスキア作品」が本物かどうかは、FBIの強制捜査の何年も前から疑いの目が向けられていた。なのに、なぜ美術館は疑惑の作品を展示したのか。有名作家の絵だと売り込むには、それを入手した経緯の説明が必要だ。押収された絵の元の持ち主が語った奇跡のような話を、同美術館はそのまま受け入れ、自分たちも繰り返していたのだ。テレビのお宝鑑定番組も真っ青なそのストーリーとは、次のようなものだった。

1982年、大手ギャラリーを運営するラリー・ガゴシアンの自宅の地下室に住んでいたバスキアは、段ボールに絵を描き、人気テレビ番組の脚本家サド・マムフォード(2018年に死去)に5000ドルで直接売ったという。ガゴシアンはこれについては知らず、マムフォードは絵を30年間貸倉庫に入れたままにしていた。倉庫の賃料の支払いが滞ったことで、作品は12年に競売にかけられ、ウィリアム・フォースとリー・マンギンという2人の人物が二束三文でそれらを購入。その後、ロサンゼルスの著名な弁護士で投資家のピアース・オドネルが25点のうち6点を手に入れ、複数の専門家に鑑定を依頼した(故人作家の作品を管理する多くの財団と同様、バスキア財団は10年前に鑑定部門を解散している。鑑定結果に不満を持つ美術品所有者との訴訟費用がかさむことが原因)。

しかし、当時鑑定を依頼された専門家の1人は、自分が出した鑑定結果を基にオーランド美術館が本物だとしていることに意義を唱えている。メリーランド大学カレッジパーク校でアメリカ美術を教え、バスキアに関する著作もあるジョーダナ・ムーア・サジェッセ准教授だ。彼女は、ロブ・レポート誌の取材には応じなかったが、この件に関する声明を送ってくれた。それによると、6万ドルの報酬を受け取ったとされる彼女の鑑定は、「極秘かつ暫定的」で、写真だけによるものだという。当時彼女は、9点の作品に関しては「完全に偽物」、11点については「本物である可能性がある」、7点は「本物かもしれない」と判断した上で、確証を得るために直接作品を見たいと絵の所有者に要求したが、認められなかったという(鑑定を依頼したオドネルは彼女の主張を否定している)。

また、ニューヨーク・タイムズ紙が報じたところによると、作品の1つに使用されている厚紙には、バスキアの死後6年経った1994年まで使われていなかったフェデックスのロゴが印刷されていた。同記事の掲載時点では、刑事告訴された者はおらず、作品の所有者たちは絵が本物だと主張している。

フォースとマンギンは作品を入手してから10年もの間、買い手を探したものの不首尾に終わっている。それは、アート関係者が作品に疑いを持っていることの表れだった。ピーター・ブラント(メディア王)やスティーブン・コーエン(投資家、ニューヨーク・メッツのオーナー)などの大物コレクターが手を付けていないのは、何か怪しいというわけだ。

アートアドバイザーのトッド・レビンは、送られてきたJPEG画像を見て、贋作と判断したとロブ・レポート誌に語っている。数年後、オーランド美術館が画像と同じ作品を展示すると知り驚いた彼は現地まで飛び、実物を確認した。「会場に入ってそれを見たとたん、これは偽物以上の偽物だと思った」と彼は振り返る。レビンは帰り際に、館長兼CEOのアーロン・デ・グロフトに懸念を伝えるメモを書き、受付に置いてきたという。しかし、デ・グロフトからの返信はなく、電話をかけたり、同美術館のソーシャルメディアに疑問を投稿したりしたが、何の反応も得られなかった。「完全な沈黙が続いて、とうとう堪忍袋の尾が切れた」というレビンはFBIに通報。「すでに状況を把握していた」当局に、さらなる情報を提供したそうだが、詳細は明かせないと付け加えた。

バスキアの展覧会は、オーランドの後にイタリアへ巡回する予定だった。そのためFBIは、展示物が輸送される前に捜査に動いたのだ。作品が押収されるとオーランド美術館は声明を発表し、自分たちは捜査対象ではなく目撃者だと釈明したが、すぐに踏み込んだ対処がなされた。同美術館は数日のうちにデ・グロフトを更迭し、危機管理広報の専門家であるテレサ・コリントンに報道対応を委任。ロブ・レポート誌は、電子メールやボイスメールで何度も彼女に問い合わせたが、返答は得られなかった。

押収した絵が偽物だとFBIが主張している根拠の1つに、バスキアがガゴシアンに黙って絵を売ったというマムフォードが、2018年に亡くなる前に署名した宣誓供述書がある。供述書の中でマムフォードは、バスキアと会ったことも彼から絵を買ったこともないとしている。だが、仮にこの件を起訴することができたとしても、裁判でどのような判決が出るかは分からない。贋作を扱っていたことで罪に問えるどうかは、当事者のいずれかが偽の来歴を作り上げ、偽造書類を付けて絵の売却を試み、最終的に美術館から代金を受け取るなどして金銭的利益を得たことを検察官が立証できるかどうかにかかっている。

美術品取引の特異性については前述したが、ファインアートについては、それ以外にも奇妙な特徴がある。貨幣の偽造は明確に違法とされているが、美術作品や画家のスタイルを模倣する行為自体は法律違反ではないのだ。たとえば、パームビーチのギャラリーの贋作事件に関係する作品のうち、少なくとも一部は、市場に出た当初は本物だと偽られていなかった。それらは複製品、または有名アーティストに「影響された作品」という但し書きをつけて合法的に売られていたのだ。ギャラリストのダニエル・エリー・ブアジズは、これらの作品をオンラインで安く購入した後、重要な情報を省略し、偽の来歴をでっち上げて高値で販売したとされている(実は1200万ドルで作品を売った相手が覆面捜査官だった)。ブアジズは無罪を主張している。

2022年6月24日(金)に行われたオーランド美術館の強制捜査。段ボール箱や梱包材を運ぶFBI捜査官たち Willie J. Allen Jr./Orlando Sentinel/Tribune News Service via Getty Images

贋作の上にアーティストの筆跡を真似たサインをすることでさえ、それ自体では法律違反にならない。そう言うのは、悪名高いノードラー・ギャラリー事件の起訴に関わった元連邦検事補のジェイソン・ヘルナンデスだ。米国有数の老舗として有名だったノードラー・ギャラリーは、ロスコ、ポロック、マザーウェルなど20世紀の巨匠の作品の贋作を17年間にわたり何十点も販売していた。実際にはクイーンズに住む中国人の数学教授が描いたものだったが、本人はそれが本物として販売されているとは知らなかったと主張。当局がアトリエとして使われていた車庫に踏み込んだときには、彼はすでに中国に戻った後だったが、あわてていたと見え、「マーク・ロスコの釘」と書かれた封筒などが残されていた。

現在はマイアミで弁護士をしているヘルナンデスはこう説明する。「あなたがポロック風の絵を描き、“J. Pollock”とサインしても、それだけでは犯罪にはなりません。誰かがそれを見て、“素晴らしい。50万ドルで買おう”と言ったとしても同じです。なぜなら、真の意味で偽の表示をしていないので。つまり、その『ポロック作品』が有名画家のポロックの手によるものだとは言っていないからです。実際、あなたは何も言っていませんし、そもそも自分からサインについて説明する義務はありません。でも、“これは本物のポロックですか?”と聞かれて、“はい”と答えたら、あなたは詐欺を働いたことになります。その質問の真意は、“これは有名画家ジャクソン・ポロックの作品ですか?”だと推し量れるはずですから、自分が描いたと知っているあなたは罪に問われます」

ただし、正確には代金を受け取ったときに初めて犯罪になるという。これについて、ヘルナンデスは、2010年に発覚した奇妙な事件の事例を話してくれた。マーク・ランディスというミシシッピ州の男が、アメリカ印象派を中心に、さまざまな有名画家の画風を真似た作品を何枚も描き、約20年にわたって少なくとも50の美術館に寄贈していた。自分が描いた絵が専門家から本物だと認められ、有名画家たちの作品と一緒に展示されるのを見たいというのが動機だったのだろう。結局、真実が明らかになった後も、ランディスは懲りることなく贋作を作り続け、イエズス会司祭などの偽名を使って絵を贈り続けている。しかし、彼は一度も起訴されていない。

「犯罪にならなかったのは、彼がお金を受け取ったことがなかったからです」とヘルナンデスは言う。ランディスは報酬を要求することも受け取ることもなく、賢明にも税金の控除を受けることもしなかった(FBIは詐欺師を逮捕するために本来の罪ではなく、収入の申告漏れを理由にすることがある)。

「金銭的な利益がなければ犯罪にはなりません。彼は単に絵を渡しただけです。受け取った側が、有名な作家の作品だと思い込んだか、有名な作家の作品だと誰かに言われたんでしょう。でも、それだけで人を刑務所に送ることはできません」。つまり、ランディスが美術館から奪ったのは、金ではなくプライドだったというわけだ。

美術犯罪の犯人たちは、被害者の自尊心、そして笑いものになることへの恐怖心が、通報への強力な抑止力になることをよく知っている。贋作であれ、金銭的な詐欺であれ、誰だって自分が騙されたことを認めたくないものだ。アートコレクションに大金をかけられる成功者や、専門知識を売りにしてキャリアを築いてきた美術館関係者なら、なおさらだろう。しかし往々にして被害に遭うのは、オークション会場に足を踏み入れたこともないような素人ではない。ベテランのコレクターや美術館の理事のような人物なのだ。

アート界では名の通った古株のコレクター、マイケル・オービッツもその1人だ。彼は、抽象表現主義、ポップアート、ミニマリズムの超一流作品からレンブラントの銅版画まで、数百万ドルをコレクションに注ぎ込み、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の理事という名誉ある地位に就いているアート界の重鎮だ。ハリウッドの大手タレントエージェンシー、クリエイティブ・アーティスツ・エージェンシーの共同設立者として、鋭いビジネス感覚でも知られている。しかし、そんな彼も、身内同士の信用を重視するアート界の慣行に流され、不誠実なディーラーに騙されてしまった。

10年ほど前、オービッツはリチャード・プリンスの作品2点の売却を、ディーラーのペリー・ルーベンスタインに委託した。だが、ニューヨークのチェルシー地区にあったルーベンスタインのギャラリーは、ロサンゼルスへの移転後すぐに倒産。ルーベンスタインは委託されていたプリンス作品のうち1点を売却し、その資金を手元に置いたまま、もう1点をオービッツが設定していた最低価格を下回る額で売却しようとしたという。

ルーベンスタインは、別件でもロサンゼルス郡地方検事局から告発されている。あるコレクターから委託された村上隆の作品を有名なイーライ&エディス・ブロード財団に売却した後、実際の売却額よりも少ない額を委託者に告げ、数十万ドルにもなる差額を懐に入れていたのだ。ルーベンスタインは2017年に2件の横領罪を認め、6カ月の禁固刑を言い渡された。なお、この件を反省し、出所後にアートアドバイザーや作家として活動したルーベンスタインは、この7月に死去している。

オービッツはロブ・レポート誌に対し、不正を当局に通報するのをためらったと語っている。「ルーベンスタインのことで騒がれたくなかった。恥ずかしいし、自分が愚か者に見えるから」

彼は現在、原則として「業界トップの、信頼のおける人たち」としか取引しないという。「大手じゃないディーラーはもう使わない。問題を起こすのは大抵そういう連中だ。ただし、権威ある人物が多数関わっていたノードラーの事件は例外だが。ガゴシアンから何かを買うとき、それが偽物かもしれないとは一瞬たりとも思わない。以前パリのディーラーからアフリカの彫刻を買って、ニューヨークで鑑定に出したら偽物だと言われたことがあるが、代金は返してもらえた。私はそういう人たちからしか買わないようにしている」

さらにオービッツは、作品を委託する際にはちゃんとした契約書を交わすようになったという。「もう契約書なしの取引はしない」と彼は言う。「厳密に言えば、ガゴシアンやペース・ギャラリー、デビッド・ツヴィルナーは別だが、そのレベルに達していなければ契約書は必須だ」

オービッツは、ノードラー・ギャラリーから偽物のロスコを買ってしまったドメニコ・デ・ソーレに同情を示している。デ・ソーレは、トム・フォード・インターナショナルの会長で、サザビーズの元会長だ。「ドメニコ・デ・ソーレはバカじゃない」とオービッツは言う。「彼の弁護をするなら、もし私が(スキャンダル以前に)ノードラーから何かを買ったとしても、贋作を疑うことはなかっただろう」

2013年に開催された「インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ・ラグジュアリー・カンファレンス」で壇上に立つドメニコ・デ・ソーレ Suhaimi Abdullah

オービッツが語るように、富裕層の顧客たちは、高級デパートのバーグドルフ・グッドマンに新しいネクタイを買いに行くような感覚で、安心してノードラーにピカソを買いに行っていた。だから、2011年に明るみに出た贋作騒動は、他のスキャンダルとは比べものにならないほどアート界を震撼させるものだった。

1846年に設立されたこの老舗ギャラリーは、アンドリュー・メロン(*2)やヘンリー・クレイ・フリック(*3)といった歴史に名を残す実業家のコレクション構築にも貢献し、21世紀に入ってからも近代アートの巨匠の作品を扱う権威あるギャラリーとして知られていた。にもかかわらず、長年にわたりノードラーのディレクターを務めてきたアン・フリードマンが、40点近い贋作を総額6300万ドルで販売していたことが判明。贋作はすべて、グラフィラ・ロザレスという女性が自分の車に積んで、瀟酒なアッパーイーストサイドに立つギャラリーに運んできたものだった。

*2 米国の著名実業家(1855-1937)。1921-32まで財務長官を務めた。メロンのコレクションを基に、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーが設立されている。

*3 米国の著名実業家(1849-1919)。マンハッタンに建てられたフリックの邸宅は、現在美術館になっている(2021年秋から2年間の予定で大規模改修中)。フリック・コレクションには、レンブラントやフェルメールなど多数の有名画家の作品が含まれる。

ロザレスは後に、「ミスターX」という謎のヨーロッパ人コレクターが登場する話をでっち上げたと白状している。この作り話によると、ミスターXが一連の作品を入手したのは、抽象表現主義の作家たちと親しいアート界の著名人からで、作家たちはこの人物にギャラリーを通さず現金で作品を売り、売却の事実や作品の存在の記録を残していなかったという。この物語には後に、メロドラマじみた新たな展開が付け加えられる。取引を仲介したもう1人の人物が、実はミスターXの同性の恋人だったというのだ。そして都合のいいことに、いや、悲劇的なことに、物語に登場する人々は、全員亡くなっていた。ミスターXの「息子」は、父が遺したコレクションを手放す際に、保守的な一族に故人が同性愛者だったと知られないよう、絶対に身元を明かさないよう要求したという。なんともはや、苦笑するしかない“お話“だ。

「アートの世界では論理の逆転があって、人々は荒唐無稽な話ほど信じてしまう傾向があるんです」。そう語るのは、ニューヨーク・アート・フォレンジクス社の創設者、チアゴ・ピヴォワルチクだ。同社はアート作品とそれに付属する書類を調査し、真贋を見極めるサービスを提供している。

デ・ソーレと同じくノードラー事件で被害にあったのが、大物ヘッジファンドマネージャーのピエール・ラグランジュだ。偽のポロック作品をつかまされた彼は、ノードラー・ギャラリーを相手取り裁判を起こした。彼が雇った専門家は、画家の死後14年経った1970年まで生産されていなかった黄色の絵具が使われていることを発見。これがきっかけで、いくつもの訴訟が起こり、ギャラリーは閉廊に追い込まれた。

贋作を持ち込んだロザレスは電信詐欺、マネーロンダリング、脱税の罪を認め、被害者に8100万ドルの返還を命じられたが、服役した期間はわずか3カ月。一方、ノードラー・ギャラリーのフリードマンは自分も騙されていたと言って断固として無実を主張し、起訴を免れている。これについて、元連邦検事補で弁護士のヘルナンデスは、「合理的な疑いの余地なく犯行を立証できたら起訴していた」と語り、ノードラー事件を「極端で、クレイジーな事例」だと表現した。

ところで、詐欺師の全部が全部、ティツィアーノやトゥオンブリーの筆跡を真似できる熟練した職人の協力を得ているわけではない。特に最近では、先端テクノロジーに詳しい技術者がいれば一儲けできてしまう。2021年に大流行し、いまやペット・ロック(*4)の域に達しつつあるNFTは、ハッカーの格好の餌食になっている。22年だけでも、オープンシーなどのマーケットプレイスから、数百万ドル相当のデジタル作品が盗まれた。物理的なモノではなく、単なるコードの羅列であるNFTは、コンピュータサイエンス専攻の大学院生の小遣い稼ぎのカモになるほど脆弱なのだ。

しかし、この手の犯罪は、確かに儲かるかもしれないが、何か物足りない。それは、アートの世界にふさわしい高級感や華やかさに欠けるからかもしれない。言ってみれば、ハッカーたちの盗みは、スーパーマーケットで万引きするようなものだ。

*4 1970年代に大ブームを巻き起こした商品。何の変哲もない石を通気孔のある箱に入れて、飼い方マニュアルを付けてペットとして売っていた。
ボストンにある、イザベラ・ステュワート・ガードナー美術館の中庭(2020年12月11日撮影) Boston Globe via Getty Images

これに対し、盗難劇と呼ぶにふさわしい事件が1990年3月18日の未明に起きている。狙われたのはイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館。ボストンの大物コレクターが所蔵作品を展示するために20世紀初頭に建てた美しい建物に、警官に扮した強盗が入り、2人の警備員を拘束。レンブラント、フェルメール、マネ、ドガなど、数億ドル相当にもなる13点の作品が持ち去られたが、32年経過した今も事件は解決していない。これだけ長く迷宮入りになっていると、盗まれた作品はジミー・ホッファ(*5)の亡骸の隣にでも埋められているのではないかと言いたくなる。

*5 マフィアと通じていた米国の労働組合のリーダー。1975年に失踪したきり行方不明となり、1982年に死亡宣告された。

未解決の美術品盗難事件はほかにもあるが、アート界を最も魅了し、かつ混乱させたのはガードナー事件であるのは間違いない。それについてFBIのマッキーオ捜査官に聞くと、彼はは深いため息をつき、この事件については捜査中のためコメントできないと言った。だが、こんなふうに古風で、派手な見出しになるような美術品強盗は少なくなっている。美術品は宝石などとは違い、盗品だと特定されやすいため、売り捌くのに大きなリスクを伴うからだ。22年6月にオランダのマーストリヒトで開催された国際アートフェアTEFAFで、武装した強盗が来場者の目の前で展示ケースを割って奪っていったのが、絵画ではなく宝飾品だったのは偶然ではないだろう。

その代わり、美術品の窃盗は目立たない形で、何年もかけて少しずつ行われることが増えている。14年には、ジャスパー・ジョーンズのアシスタントを27年間務めたジェームズ・マイヤーが、州境を越えて盗品を持ち出した罪を認め、18カ月の禁固刑を言い渡された。彼が盗んだのは、この巨匠が紙に描いた数十点の未完作品だった。それらを整理して保管するよう師匠に言われたマイヤーは、そうする代わりに、託されていた作品を少しずつコネチカット州のスタジオから持ち出したのだ。そして、ジョーンズからの贈り物だと言って、盗品をニューヨークのディーラーを通して売っていた。長年アシスタントを務めてきた人物の作り話には信憑性があり、作品目録には痕跡を消す細工がされていた。

マッキーオ捜査官によれば、多数の美術品を所有している個人や組織が作品の消失に気づかないことは、それほど珍しくないという。「たとえば、" 5点盗まれた"と連絡を受けた場合でも、調べていくとその数はずっと多くなるものだ」

彼は、ある驚くべき事件について語ってくれた。50点前後の作品が行方不明になったと通報を受けたのが、「捜索令状を発行する頃には、少なくとも150点が盗まれていると確信していた。そして実際に容疑者の居場所に踏み込んで見つかった盗品は、なんと2300点だった」。これは全て同じ被害者から盗まれたものだそうで、マッキーオ捜査官によると、容疑者は盗品をネットで売り捌いていたという。「盗品の裏には、被害者が使っていた管理システムの通し番号が残っていたのだから笑うしかない。これ以上の証拠はないだろう」

美術犯罪は、美術品(あるいは、商品としての美術品というべきかもしれない)と同じくらい古くから存在している。ローマ人はギリシャ彫刻を日常的に模倣していたし、植民地を抱えていた頃のスペインでは、コロンブス以前の時代に中南米で作られていた美術品を求めるヨーロッパ人の需要に応えるため、大量の偽物が作られた。言うまでもなく、戦いに負けた国からの略奪は太古の昔から続いているし、ナチスによる略奪はあまりに広範囲にわたっていたため、ホロコーストの犠牲者の子孫が戦後80年近くたった今でも返還を求めている。それに対応するためドイツ政府は新たに法律を整備する必要があったほどだ。また、イラク戦争で横行していた遺跡からの略奪を受けて、FBIに美術犯罪の専門チームが立ち上げられている。

ここ数十年、アート業界は飛躍的に成長しているため、詐欺師たちはそのおこぼれに与ろうと虎視眈々と狙っている。女たらしのイニゴ・フィルブリックもその1人だ。ハードボイルド映画の登場人物のような名前の若き詐欺師は、これまでアート業界を揺るがした詐欺事件の中でも最大の騒動を起こしている。ロンドンの高級エリア、メイフェアと、マイアミにギャラリーを開いていたフィルブリックは、投資家たちから約8600万ドルを騙し取り、その金で超富裕層の顧客たちと肩を並べるような優雅な生活を送っていたとされる。

フィルブリックは、アート界にとって素性の知れない新参者ではなかった。父親は周りから尊敬される美術館の元館長で、母親はアーティストだ。そして、ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(*6)と縁の深いギャラリー、ホワイト・キューブの創設者、ジェイ・ジョプリンに画商としての手ほどきを受けている。そんなフィルブリックが、1つの作品の所有権を複数の顧客に分割販売して、本来の合計価格を上回る金額を集めたり、実際には所有していない美術品を担保に融資を受けたりと、さまざまな手口で詐欺を働いていたのだ。FBIの捜査の手が迫る中、彼は南太平洋の島に逃亡したが、2020年6月に逮捕。ニューヨークで有罪を認めた後、裁判官から動機を尋ねられた彼は、単刀直入にこう言った。「お金のためです、裁判官」

*6 1990年代に英国で台頭した若手アーティストの一派。代表的な作家にダミアン・ハーストやトレーシー・エミンなどがいる。

刑事事件としては決着がついたように見えるこの事件だが、山のような民事訴訟の行方は今も複雑にもつれており、押しの強い投資家たちが美術品や資金を回収しようと躍起になっている。そのうちの4件に関与している美術専門の弁護士のグロスマンは、こう述べている「まるで、あちこちに飛び跳ねるボールを追いかけているようですよ。アートの世界では、法的な問題の10分の9は所有権に関するものなんです」

技術の進歩についていけない親を尻目に、最新のテクノロジーを軽々と使いこなす子どものように、犯罪者もまた一歩先んじることに長けているものだ。偽造犯は市場の動向にも敏感に反応する。FBIのマッキーオ捜査官によると、近年黒人作家のオークション価格が高騰しているのに合わせ、その贋作が急増しているという。一方、グロスマンはロブ・レポート誌の取材時に、今まさに彼の横に贋作が置いてあると話していた。解決したばかりの事件のもので、各地の美術館に回顧展が巡回している抽象表現主義の女性作家、ジョーン・ミッチェルの絵の偽物だそうだ。

専門家はコレクターへのアドバイスとして、「話がうますぎると感じるときは、その直感は大抵当たっている」という格言を思い出してほしいと言う。これは「お買い得」な取引にも当てはまる。マッキーオ捜査官は、売り手が世間知らずで、作品の本当の価値がわかっていないと思い込まないようにと釘を刺す。グロスマンの言葉を借りれば、「路地裏に停められた車から出てきたピカソを買うという、その状況を考えれば取引の性質がわかるはず」なのだ。

高額作品の場合、買い手は自らが依頼する第三者による鑑定を売り手に要求できる。アートアドバイザーのレビンは、IRS(米国国税庁)の認定を受けた信頼のおける鑑定士を雇うよう勧めている。DNA検査や炭素年代測定が普及した現代では、作品の鑑定というと保存修復師が実験室で行う科学的な検査を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、科学捜査の専門家であるピヴォワルチクはこう言う。「作品そのものだけでなく、それに付随する書類や資料も調べます。歴史とは単なる物語の連なりではなく、文書の研究でもあるので」

マッキーオ捜査官も同じ意見だ。コレクターはすぐに科学的な鑑定を要求しがちだが、「書類を調べるなど、ほかの手段で不正を証明できることが多く、鑑定に回す必要は滅多にない。科学捜査で偽物だと証明しようとする人は、往々にして明らかに怪しいと分かる書類上の不審点を見落としているものだ」

たとえば、一流アーティストのこれまで知られていなかった作品がたくさん見つかったときに、その出所がはっきりしない、あるいは確認が困難な場合は要注意だ(「さる貴族の遺産」というフレーズは特に危ない)。特定の作家の作品を記録した総目録「カタログ・レゾネ」が完璧であることはないし、そもそもそうした目録がない作家も多い。とはいえ、「特定のアーティストによる、これまで存在を知られていなかった作品が何十点も含まれているようなコレクションは疑わしいと思っていい」とマッキーオ捜査官は警告している。

「仮に、ジャクソン・ポロックの新しいドリップ・ペインティングが見つかれば、あらゆる新聞が美術欄のトップ扱いで報道するだろう。それが、30枚、50枚と出てきたら? そんなことはまずあり得ないはず。ただ、贋作を疑ったとしても、それが本物だった場合に何千万ドルも儲かる可能性があるので、見て見ぬふりをする人も多い」

連邦検察官から民間の弁護士に転身したヘルナンデスは、調査対象を疑わしい作品やそれに付随する書類に限定しないよう勧めている。彼が例に挙げているのが、2014年に起訴したニューヨーク州イーストハンプトンのジョン・D・リの事件だ。ポロックやデ・クーニングと親しかった人物が亡くなり、その人物の地下室から何十枚もの絵画を入手したという作り話で贋作を売っていたこの男は、最終的にそれが作り話であることや電信詐欺を認め、5年の刑を言い渡された。

「この事件は、売り手の素性を調べることがいかに大事かを証明しています。ジョン・D・リは、贋作を売っていたとき、すでに通貨偽造の前科がありましたから」。ヘルナンデスは笑いをこらえながらこう続けた。「私たちの仕事では、これこそまさに危険信号です」(翻訳:野澤朋代)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年8月29日に掲載されました。元記事はこちら

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