安田成美様
お手紙ありがとうございます。
三島喜美代です。
森美術館の展示をご覧くださりありがとうございました。
展覧会のお話をいただいてから、さて、新作はどうしようかと考えに考えて、あの大きなドラム缶の作品は、会期の三カ月くらい前にアイデアが固まって、作り始めたんです。
最初は、実際の新聞を丸めてドラム缶に入れた作品にしようとしたのですが、危機感や恐怖感が感じられず、陶器の新聞にしようと。新聞がどのくらい入ったか数えたら130枚だったので、その数の陶器の新聞を作ろうと決めて、あとは、毎日毎日、作るだけでした。設営も終わって、初日を迎えた頃には足が動かなくなっていました。立ちっぱなしで同じ姿勢で、毎日制作をしていたのがいけなかったのですが、足が動かなくなるのと、作品が作れず展示が実現しないのとでは、展示を諦めるほうが後悔すると思ったんです。足は手術でどうにか動くようになるんじゃないかと。目の前の展示に向かって一生懸命でした。作品が完成したときは本当に嬉しかった。展示を見ていただいて、感動してくださったのなら本当に良かったです。
年齢については意識したことが無いのですが、振り返ってみると、自分よりもはるかに大きな高さ7メートルのごみ籠(かご)の作品を作ったのは60歳を過ぎてましたね。
気づいたらこの歳という感じで、米寿のお祝いを言われた時も、何のことかピンとこなかったくらいです。
私は朝起きたらすぐに制作、作品を作ることしか頭に無いんです。夢中になって、命がけで遊びながら制作を続けてきましたが、今こうして応援していただいて嬉しいです。
励みになると言ってくださって、こちらこそ、ありがとうございます。
制作過程を見てみたいだなんて、実際は過程を見ても仕方ないんですよ。
私の作り方は、失敗してはやり方を変えての繰り返しで、毎回方法が違うので、見てもしょうがない気がします。それよりも、完成した作品を前に、何でこれを作るのか、そういう話のほうが大事かなと思います。いつかお会いして、そんなお話をしてみたいですね。
お時間ありましたら、ART FACTORY城南島で展示されている、床に敷き詰めた煉瓦の作品をご覧になってください。階段をのぼって上からも見られるので、間近と上と両方から見てほしいです。私の代表作なので、ぜひ感想を聞かせてもらえたら嬉しいです。
時節柄くれぐれもご自愛ください。
2022年2月
三島喜美代
(安田成美さんの初回の手紙はこちら)
1932年大阪府生まれ。高校生の時に油彩を始め、高校卒業時に独立美術協会の独立展に出展。当初は具象画を描いていたが、のちに夫となる画家・三島茂司の薫陶を受け、徐々に抽象に移行し、コラージュやシルクスクリーンの手法も取り入れるようになる。コラージュで使用した新聞に着想を得て試行錯誤を重ねた結果、陶を使った立体作品を制作し始める。1986〜87年、ロックフェラー財団の奨学金を受けてニューヨークに滞在。帰国後、岐阜県土岐市を拠点に現在まで制作を続けている。廃棄物や工業的な素材を使った大規模なインスタレーションを特徴とし、5メートルの高さに拡大したゴミ籠(かご)の作品《もうひとつの再生》(2005、ベネッセハウスミュージアム、香川・直島)や、ART FACTORY城南島の1階部分と屋外を利用したインスタレーションは代表作。2016年にMEM(東京)から参加したアート・バーゼル香港でも大きな注目を集めた。今年90歳になる現在も「アナザーエナジー展:挑戦しつづける力―世界の女性アーティスト16人」(2021〜22年1月、森美術館)に参加し、2022年1〜2月には銀座 蔦屋書店で個展を開催するなど、精力的に活動を行っている。
1966年東京都生まれ。81年にCMでデビュー。アニメ「風の谷のナウシカ」のイメージソングで歌手としてデビュー。その後、「同・級・生」(89年)や「素顔のままで」(92年)など数々のドラマや映画、CMに出演。近年の主な出演作品に、ドラマ「みをつくし料理帖」(17年)、映画「Fukushima50」(20年)、「すばらしき世界」(21年)。著書に『日々を編んでいく』(宝島社、20年)などがある。1994年に結婚し、現在は二男一女の母として、俳優業と家庭を両立しながら幅広く活躍中。公式ウェブサイト