尾上右近「ザ☆スタジオ・トーク」
アートが生まれる現場を見てみたい、作家の頭の中を覗いてみたい……そんな思いに駆られることはありませんか? 「ザ☆スタジオ・トーク」は、若手実力派として活躍の場を広げる歌舞伎俳優・尾上右近さんが、海外からも高い評価を得ている人気アーティストのスタジオを訪問。アーティストとの対話を通して、その素顔に迫る連載企画です。

#1 尾上右近が井田幸昌のスタジオを訪れる(前編)

Jan 17, 2022
STORY
尾上右近
#1 尾上右近が井田幸昌のスタジオを訪れる(前編)

第1回の訪問先は、絵画を中心に彫刻や版画も発表し、31歳にして世界にコレクターを持つ井田幸昌さん。昨年12月、日本の民間人として初めて宇宙旅行をした前澤友作氏によって、その作品が国際宇宙ステーション(ISS)に設置されたことでも話題を呼んだ、いま最も注目されている現代アーティストの一人です。体育館ほどもあるスタジオに置かれた様々な作品に、最初は圧倒されていた右近さんですが、年齢が近いこともあり、すぐに打ち解けた様子。家族との関係から、表現に必要なマインドまで、熱のこもったトークを前後編に分けてお届けします。

一期一会

右近:めちゃくちゃ広くてカッコいいスタジオですね。なかでも、後ろにあるこの絵は、サイズといい存在感といい、ダントツです。

井田:前澤友作さんからご依頼いただいて描いた絵で、昨年完成しました。前から描きたいテーマがあったところに「好きにやっていい」と言っていただいたので、20代の集大成のつもりで描かせてもらいました。そしたら、「本当に好きにやったね」って(笑)。

井田幸昌さんが埼玉県に構えるスタジオ
前澤友作氏のオーダーによって描かれた超大作は、約3年を費やし完成した

右近:この大きさでも、いきなり原寸大で描くんですか?

井田:これは、さすがに設計図みたいなものを作りました。クールベの《画家のアトリエ》から着想を得ていて、死の世界と生きている人の世界を描いています。この絵筆を持っているのが僕で、白いキャンバスは未来なんです。端からずーっと描いていって、結局3年かかりました。

右近:3年ですか! 依頼を受けないこともあったりするんですか?

井田:もちろんありますよ。僕のやりたいことをやらせてくれるという条件のもと、いろいろお話させていただいて。「じゃあ、やりたいです」とならない限りは受けないので、そこは大事にしていますね。作品はずっと残っていくものだし、僕の表現として世の中に出て行ってしまうから、中途半端なバイブスで作ったものを残したくはないんです。

右近:僕がやっている表現とは、そこが大きく違いますよね。生の舞台は残らないものなので。演じるの「演」って、さんずいに寅(とら)と書くじゃないですか。水に寅を描く作業なので、どんなに勇ましい寅を描いてもすぐに消えていくんですよ。

井田:カッコいいですね、その言葉! 僕もそういう言葉、欲しいな(笑)。

右近:あはは(笑)。でも本当にそういう感覚なんです。言ってみれば空気を作っているようなもので、たとえ歌舞伎の舞台を映像で残したとしても、その空気感は、劇場でその日観てくださった方しか味わえないものじゃないかなと。まさに毎回が一期一会だなと感じます。

井田:一期一会、いい言葉ですよね。僕も一貫して、一期一会を作品のコンセプトにしているんです。二度とない今を表現できたらなと。

右近:「豚」をモチーフにされた作品も多いですよね。それはどういうところからきているんですか?

井田:僕の祖父が昔、養豚をやっていたんです。父親(彫刻家の井田勝己氏)がその豚小屋を改修してアトリエにしていて。それが僕の原体験としてあるので、自分が描いていくモチーフを選ぼうという時期に、ああ、豚だなと。今も描き続けています。

右近:お肉として売るために、愛情を注いで豚を育てる……僕は6年くらい前から自主公演をやっているのですが、今ちょっと近いものを感じました。もちろん、観ていただくお客様あってこそなんですが、自分の中では、大事に作ったものをたまたま見てもらうような感覚があるんです。

井田:僕の作品も同じですよ。最後は、美術館なのかお客さんのもとに行くのか分からないけど、手元から離れていく。餌をもらって育てられ、そして売られていく豚は、消費する・される側という構造を持つ人間社会を象徴するような存在だと思っています。

反発と尊敬と

右近:井田さんが芸術家のお父さんから受けた影響というのは、どれくらいあると思われますか?

井田:小さい時は親父のアトリエで遊んでいましたし、制作するところも見ていたので、影響は絶対あると思いますね。その血が自分にも流れているなと感じてもいますし。ただ、それがコンプレックスだった時期もあるんです。どこへ行っても親父の名前で呼ばれて、それが本当に嫌だった。でも、親父のことや家のことを調べまくったら納得しちゃって、尊敬するようになりました。反発からの尊敬。そしたら気持ちも楽になって、「俺は俺の人生を生きればいいんだ」と思えてきて。今は、自分がそういう環境に生まれて、今この世界にいること自体はよかったのかなと感じています。コンプレックスも原動力にはなったし、気概とか情熱みたいなものを自分なりに見つけることができたので。

右近:環境って、自分で把握できているよりもずっと深い部分に影響していたりしますよね。僕なんか色々やりたいほうだけど、どんな切り口で自分の性格を見ても最終的に歌舞伎がベストマッチだと思うのは、自分の感覚や考え方を育んできた環境の力が大きいんだろうなと感じます。

井田:右近さんは、僕なんかよりずっと家との関わりが深そうですしね。伝統芸能の世界は、ある意味、特殊というか、一般とは違った世界じゃないですか。

右近:特殊な世界の中でも、うちはさらに特殊なケースなんです。僕の曽祖父は六代目 尾上菊五郎という歌舞伎役者なのですが、その娘である祖母が、清元という歌舞伎の音楽の家に嫁いで、そこで生まれて清元宗家を継いだのが僕の父。だから僕は、歌舞伎役者の血は流れているんですけど、歌舞伎役者の家に生まれたわけではないんです。

井田:なるほど。

右近:そんな僕が、祖母の家で見た曽祖父の歌舞伎の映像に魅せられて、歌舞伎役者をやりたいと言い出した。しかも、一つ経験させてやろうという周りの計らいで初舞台を踏ませてもらったら、さらにのめり込んでしまって。思春期なんかは、父との間に隙間風がビュービュー吹いて大変でした。清元の稽古があるので、会話はしていましたけど。

井田:どうやって和解したんですか?

右近:歌舞伎役者になりたい僕の気持ちと、後を継いで欲しいという父の気持ちの熱さの戦いみたいなことが続くうちに、父も僕の熱量を認めてくれるようになって。だから今は、照れくさいですけど、お互いの人生を尊重し合っているし、普通にしゃべっています。ただ、隙間風がまったくなくなることはないと思います。表現する世界の人間同士だし、オス同士というのもあるので。

井田:うちも僕がまだ画学生の頃は、帰る度に美術の話でけんかになってたなあ。親父はその世界で何十年もやってきた先輩だから、「お前のことを易々とは認めない」みたいな気持ちがあったんだと思います。でも最近は仲が良くて、父にはよく「家族だけど、お前のことは息子と思ったことがない」と言われますね。それはきっと「同じ作家として見てるからね」ってことだろうな、逆に褒め言葉なんだなと、僕的には解釈してるんですけど。

右近:親子で表現の仕事をしているって、面倒くさいですよね。

井田:そうですね。僕は子どもが二人いるんですが、「負の歴史を繰り返すまじ」みたいな思いが、心の中にはすごくあります(笑)。

右近:僕も同じことは絶対に繰り返したくない……。でも、きっと僕も子どもを持ったら、自分が好きな世界を子どもに見てほしい、共有したいと思うんだろうなあ。アンビバレントな気持ちで、大変なことになりそうな気がします(笑)。

挫折から得たもの

右近:井田さんは、いつ頃から本格的に絵を始めたんですか?

井田:16歳ですかね。親父がアメリカに行って家にいない間に、僕はグレてまして……。それで、帰国した親父が、息子が大変なことになっている、これはいかんぞと考えて、僕を無理やり画塾につっこんだんです。親父の中には、それしか方法論がなかったんでしょうね。で、僕も「他にやることないし、やるか」みたいな感じで描き始めて。

右近:そこからはもう、絵の道を邁進されて?

井田:いえ、絵が嫌になった時期がありました。心の中が難しくなって、野球選手に多いイップス(心の葛藤によってスポーツ動作に支障が出ること)みたいに、筆を持つと手が震えたり、白いキャンバスを見ると体が震えて動けなくなったり、それが本当にしんどくて。それで親父に「立体(造形)がやりたい」と相談したことがあるんです。もともと立体をやりたい気持ちもあったから。

右近:何歳ぐらいの時ですか?

井田:18歳くらいかな。でも親父に「逃げるんじゃねえ」「そういうことはいっぱしの作家になってから言え」みたいなことを言われて、まあそうだよなと。それで、その1年間は本当にしんどかったんですけど、絵に対する考え方を勉強していったら、絵が楽しくなってきて。大学受験には何度も失敗したんですが、悔しい思いで勉強する中で、絵を描く魅力にも気が付きました。我慢してきた歴史と、魅力に気付いた自分の歴史の狭間で、いつの間にか絵にどっぷりハマって、画家になるぞと思うようになっていった感じです。

右近:いろいろな迷いもあったんですね。僕の場合は、今はありがたいことに役者と清元の両方をやらせてもらっているのですが、正直に言うと、清元を棒に振ることに対する無念さがないくらい役者をやることが好きだった。だから、わりと早くから「高校を卒業したら絶対に役者一本でやっていこう」と決めていました。焦ってもいたんですよね。同年代の歌舞伎役者がずんずんと大きくなっていくのを感じて。

井田:僕は一度、絵をやめて就職もしているんです。親父からは「1浪までしか許さん」と言われていたのに、東京藝術大学に3回落ちてしまって。3浪くらいザラにいる大学ではあるんですが、3回目は親父に「もう1回だけ受けさせてください」って土下座して受けていたので、「もう諦めます」と実家に帰って、墓石を作っている石屋さんに就職しました。そこでの経験は、今でも生きています。

右近:どういうきっかけで、絵の道に戻ったんですか?

井田: ある日、御骨を骨壺から一つ一つ取り出して、カビや汚れを洗う仕事をしている時に、「死んだらここに納められて、誰か知らないやつに骨を洗われて……人間みんな、そんなもんだな」「だったら、好きなことをやらんとダメだろ」みたいなことを感じて。で、半年くらいモヤモヤと考えていたんですけど、やっぱり自分が好きなものっていったら、絵を描くことしかないなと思って、休みの日に小さい木のパネルと絵の具を買ってきたんです。画材は全部捨てたり、燃やしたりしていたから。それで描いてみたら涙がポロポロ出てきちゃって、「俺はこれがやりたいんだな」と。それで石屋の親方に「申し訳ないんですけど、もう1回だけ藝大を受験させてください」と言ったら、親方が「落ちてこいよ」と快く送り出してくれて。そこで、たまたま受かっていなかったら、僕は今ここにいないです。

右近:そこまでの気持ちで入った大学はどうでしたか?

井田:それが、ほとんど行かなかったんです(笑)。あんなに一生懸命勉強してやっと入ったのに、自分が求めているものを得られる環境とは違う気がして。僕も焦っていたんですよね。それで2年の時かな、親父に「大学やめたいんだよね」って相談したんです。その時がいちばん怒られましたね。

右近:ははは! それは困ったちゃんですね(笑)。

井田:まあ、自覚はしています(笑)。それで結局、大学は休学して、自分で貯めたお金でニューヨークに行きました。親の目や周りの目も気にしつつ、なんとか自分がやりたいことができる環境を作ろうというのが、20代のテーマだったところがありますね。

後編に続く

井田幸昌(いだ・ゆきまさ)

1990年鳥取県生まれ。2019年東京藝術大学大学院油画修了。16年、現代芸術振興財団(前澤友作設立)が主催する若手作家のアワード「CAF賞」にて審査員特別賞受賞。17年、レオナルド・ディカプリオ財団主催のチャリティオークションに史上最年少参加。18年にはForbes JAPAN主催「30 UNDER 30 JAPAN」に選出。国内外のコレクターからも支持を得ている。個展「Portraits」(銀座蔦屋書店、2019)、「Here and Now」(マリアン・イブラヒム・ギャラリー、シカゴ、2021)をはじめ、国内外で展示歴多数。直近ではDiorとのコラボレーションを発表した。2022年は4月末にスペイン美術館、10月にパリにて個展が決定しているほか、様々なプロジェクトが控えている。ウェブサイト Instagram スタジオInstagram

二代目 尾上右近(にだいめ おのえ・うこん)

1992年東京都生まれ。清元宗家七代目 清元延寿太夫の次男。7歳で歌舞伎座「舞鶴雪月花」にて本名の岡村研佑で初舞台。12歳で新橋演舞場「人情噺文七元結」にて二代目尾上右近を襲名。2018年には浄瑠璃方の名跡・七代目清元栄寿太夫を襲名する。歌舞伎以外の舞台や映画、テレビなどでも活躍し、映画「燃えよ剣」で第45回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。また自主公演「研の會(かい)」で研鑽を積む。2022年4月は歌舞伎座「四月大歌舞伎」第二部『荒川の佐吉』、5月は同「團菊祭五月大歌舞伎」第三部『弁天娘女男白波』に出演予定。秋にはミュージカル「ジャージー・ボーイズ」への出演が控えている。公式ウェブサイト Instagram

Edit & Text: Kaori Okazaki Photo: Shin Inaba Styling: Kazuya Mishima(Tatanca) Hair & Make-up: Storm (Linx)

Index
1
Jan 17, 2022
#1 尾上右近が井田幸昌のスタジオを訪れる(前編)
#1 尾上右近が井田幸昌のスタジオを訪れる(前編)
2
Feb 04, 2022
#1 尾上右近が井田幸昌のスタジオを訪れる(後編)
3
Mar 04, 2022
#2 「田名網敬一さん、どうして絵を描くのですか?」(前編)
4
Mar 23, 2022
#2「田名網敬一さん、どうして絵を描くのですか?」(後編)
5
May 20, 2022
#3 エリイさん(Chim↑Pom from Smappa!Group)の制作現場へ
6
Jun 29, 2022
#4 佃弘樹さんの「コラージュ」が生まれるスタジオへ
7
Aug 15, 2022
#5 特別編:尾上右近ソロインタビュー「アーティストのエネルギーや考え方、生き方に触れたこれまでの対談を振り返って」
8
Oct 11, 2022
#6 横尾忠則さんのスタジオへ「飽きて描いた絵を見てみたい」(前編)
9
Oct 17, 2022
#6 横尾忠則さんのスタジオへ「飽きて描いた絵を見てみたい」(後編)
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Jan 27, 2023
#7 舘鼻則孝さん「日本の伝統を現代の形で表現し、未来へ繋ぐ」
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Feb 27, 2023
#8 「中野泰輔さん、写真で表現していることとは?」
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#9 友沢こたおさんのアトリエへ「“すごく変”な描き方とは?」
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