今回の対談のお相手は、日本を代表する現代美術家・横尾忠則さん。大きなキャンバスがいくつも並ぶアトリエで、美術の話から歌舞伎や演劇の話まで、たっぷりと伺いました。半世紀以上も第一線で活躍し続け、幅広い交友関係を持つ横尾さんならではのエピソードや発言に、初対面の右近さんは感激しきり。まさに“芸談”となった対談を、前後編に分けてお届けします。まずは前編をどうぞ!
飽きて描いた絵を見てみたい
横尾:僕はすっかり耳が遠くなっちゃってね。そのマイクに向かって話してもらえますか?
右近:はい。よろしくお願いします。
横尾:年を取ると不便ですよ。僕は難聴になってから、コンサートにも舞台にも行かなくなってしまって。映画も字幕が出る外国のものはいいんだけれども、日本映画はセリフが聞き取れないから全部ダメ。でも面白いですよ。聞きたくない声を聞かなくていいからね。うちのかみさんなんて、ワーワー言って何を言っているかさっぱりわからない(笑)。
右近:ハハハ!(笑)。年齢を重ねてこられる中で、表現したいものや大切にしていることも変化するものですか?
横尾:僕はしょっちゅう変わっています。極端な話、午前と午後で、描く作品が全然違っていたりしますよ。同じような傾向のものを2~3点は描くけれども、すぐに飽きちゃう。それでまた違う表現を探して、違うものを描き出すから、自分の特定の様式というのがないんです。
右近:もともと、飽きっぽかったりするんでしょうか?
横尾:飽きっぽいですね。ここにある絵を見ても、一点一点、スタイルが違うでしょ? これ、ほとんど同時に描いているんですよ。まだどの作品も、ほとんど完成していません。そもそも僕の場合、完成がないんです。
右近:どういうタイミングで描くのをやめるんですか?
横尾:お芝居は時間の芸術だから、終わりの時間が来れば、登場人物もどこかへ消えるでしょ? でも僕なんかは、描こうと思えば、一つのキャンバスに10年向かい続けてもいいわけですよ。いつ筆を置いていいか、わからない。僕の場合は、絵ができたから筆を置くんじゃなくて、もうこれ以上描きたくないとか、疲れたとか、眠たいとか、そういう生理的なことで絵は終わる。だから、全部未完なんです。
右近:先ほど、飽きっぽいとおっしゃっていましたが、絵を描くことに飽きることはないんですか?
横尾:80年以上も描いているので、とっくにもう飽きていますよ(笑)。絵を描くのが、嫌で嫌でしょうがない。
右近:飽きたから、もう絵は描かない、というふうにはならないんでしょうか?
横尾:それはないですね。飽きた状態の自分が描いた絵を見てみたいという、バカみたいな好奇心があるから(笑)。飽きて描いた絵って、どんな絵なんだろう? 見てみたいな、という気持ちのほうが強いんです。
右近:なんて面白い!
横尾:若い頃は、僕にも得意なものがあったし、頑張っていい作品を作ろうとか、社会に出ていきたいという気持ちがあったんだけれども、そういうものは年とともに段々なくなって、この年齢になると、どうでもよくなる。でも、そうなってからのほうが面白いことができるんですよ。誰かや何かに向けた表現じゃなく、自分だけの問題としてやるわけだから、どうでもいいことができるんです。20代、30代の時にそういう状態になれたら、もっと面白かったかなと思いますがね。
右近:それは僕にもわからなくはないです。自分にも、そういう境地に辿り着きたいという気持ちはありますから。でも、まだやりたいことがたくさんあるし、自信もないし、見つけてほしいとか、発信したい、試したいという気持ちのほうが強くて。ただただ歌舞伎が好きなのであれば、ひたすら歌舞伎をやっていればいい、それに対する反応や評価も必要ないというのが、本当の状態だとは思うんですけど、なかなかその境地には行けないです。
横尾:右近さんは、映画やテレビにも出たりして、若いうちからマルチに活躍してらっしゃるからね。もともと、色々なことをやりたい性格なんじゃないですか? 心理学者の河合隼雄さんに聞いたことがあるんだけど、そんなにいくつものことができる人は、世の中全体から見ると少数派らしいですよ。
右近:でも僕の場合、軸はやっぱり歌舞伎なんです。「歌舞伎が本当に好きだ」ということを大前提とした上でほかのことをやると、色々な出会いがあって、そこで得られたものが歌舞伎にも還元されていく。それで、ほかのこともやりたいというのがあって。
横尾:なるほどね。歌舞伎といえば、僕が最初に右近さんを見た舞台は、確か「天守物語」(2014年7月、歌舞伎座)でした。亀姫をやっておられましたよね?
右近:はい。抜擢していただいて。まだ22歳やそこらだった僕にとっては、毎日が修業のように大変でした。でも非常にありがたくて、楽しい舞台でした。横尾さんが僕のことを認識してくださっていたなんて、感激です。
横尾:僕の耳が悪くなってきたのは、その頃なんです。たぶん「天守物語」以来、生の舞台は観ていないんじゃないかな。セリフも、すでにはっきりとは聞こえていなかったと思いますね。ただ僕は、もともと耳より目が優先するタイプで、頭で内容について考えるよりも、五感で理解するほうだから。歌舞伎は、まさに五感そのものというか、演出もお芝居も音楽も、舞台美術も衣裳も化粧も、すべて“美”の追及じゃないですか。あれには心を奪われますね。僕は歌舞伎を観に行くと、自分が外国人になったような気分になるんですよ。日本人としての経験が少ないわけじゃないんだけれども(笑)、外国人が初めて日本のものを見た時の驚きに近いものを感じるんです。
右近:(二代目 市川)猿翁のおじさまや海外公演を経験なさった先輩方が、海外では幕が開くと、まず舞台美術に対して拍手がくるとおっしゃっていました。日本人は、古いものを勉強するような感覚で観てしまう傾向があるけれども、海外の方にはそれがないから、様式美の一つ一つに反応があって、それがとても新鮮に感じられると。
横尾:舞台美術にしても、衣裳にしても、まず色彩的に非常に豊かですよね。ただ、書き割りは段々下手になってきたように感じますよ。もちろん、伝統的な描き方を継承しているとは思うんだけど。
右近:そこを厳しく言う人がいないのかもしれません。それは役者の責任でもあるんですが。
横尾:職人さんにはプライドがあるから、下手に文句や注文をつけると怒りだすことがある。それで誰も、何も言わなくなるというのもあるんじゃないかな。
右近:そうかもしれません。僕なんかは、何を言われても自分のためになると思って聞いているので、「みんな、僕みたいな性格だったらいいのに」と思うことがあります。
横尾:それはいいね(笑)。猿翁さんは自分の演出やお芝居だけじゃなく、ポスター一つに対しても、ものすごく興味を持っていましたよ。スーパー歌舞伎のポスターを依頼される時は、毎回、猿翁さんも立ち会って、色々な話をされるんです。僕らは、それを聞いているうちに段々わからなくなっていくんだけれども(笑)、わからないまま持って帰って、ポスターを作る。そうやって、舞台の外側にある宣伝媒体にまで神経を使われている猿翁さんは、やっぱり他の役者と違ってすごいなあと思っていました。
右近:はい、本当にすごい方だと思います。
横尾:それだけに、病気になられたことが非常に残念です。お元気だったら、きっとまだ一緒に仕事をしていたと思うんですよ。(十八代目 中村)勘三郎さんにも、亡くなる少し前に平成中村座のポスターを頼まれて、作らせてもらいました。そういうふうに、ジャンルの違う者同士が交流できると、もっと色々面白いこともできるし、お互いに知らない世界へ入っていくわけだから、かえって勝手なことが言えるわけです。今は時代なのか、職人がスペシャリストになってしまって、「職人に任せているんだから、間違いないんだ。口を出すな」みたいなことになりがちでしょ。そうすると段々、新しさ、面白さがなくなっていく。右近さんには、頑張ってもらいたいですね(笑)。いつか一緒に仕事しましょうよ。
右近:ぜひともお願いいたします! 僕からお願いさせていただきます! 断らないでください(笑)。僕は同じ時代に生きているということ自体に意味があると思っているので、とにかく出会いを大切にして、たくさんの人を巻き込んでいきたいです。最終的にそこでいい芝居をすれば、責任をとったことになると信じて、突き進みたいと思っています。
型を身につけ、型を捨てる
横尾:頼もしいですね。右近さんは今、女形と立役の割合は半々くらい?
右近:ちょうど半々くらいです。
横尾:どっちが好みですか?
右近:半々やらせてもらっている自分が、いちばん気に入っていますけど、個人的には立役のほうですかね。いろんな発見があります。
横尾:こうやって話している声の感じ一つとっても、女形のイメージがあまり伝わってきませんよね。男のままできる立ち役と違って、女性を演じる女形は、そこに芸というか、型が必要になってくるでしょ? 両方をやれるというのは、とてもいいことじゃないですか。
右近:そうなんです。立役と女形を行ったり来たりするだけでも、自分の心の世界が広がるのをすごく感じます。
横尾:相手役の背丈に合わせて、女形は腰や膝を折って小さく見せなきゃならないでしょう? あれはしんどくないですか?
右近:しんどいと思う時は、相手に惚れていない時ですね。
横尾:ほお! 面白いね。
右近:相手のことを想っていたら、自然と相手より小さくなるし、意識してそうしているわけではないから、しんどさも感じません。つまり“努力”しているわけじゃなく、“夢中”になっているんですよね。しんどい体勢であることに気付かない時は、ちゃんと相手や、そのお芝居に、夢中になれている時だと思います。
横尾:それは、お芝居をしている上で相手の役柄が好きになるんですか? それとも、お芝居をしている相手役の存在自体に夢中になるの?
右近:相手役の存在自体ですね。目を見た時に、好きになれるかどうかが決まるというか。
横尾:興味深いですね。日本の伝統芸能は大抵そうだけれども、歌舞伎も形から入るじゃないですか。型を身につけた上で、最終的には型に捉われずに、どんどん次に行かなきゃいけない。友達だった(二代目 片岡)秀太郎さんが、よくそういう話をしていました。僕が前に住んでいた家に、よく来てくれたんですよ。僕は家の玄関の鍵を閉めずに出かける癖があって、帰ってきたら、秀太郎さんが家の中にいて、「横尾さん、鍵も閉めないでどこに行っていたんですか。泥棒でも入ったらいけないから、ここで留守番をして待っていました」なんてこともありました(笑)。
右近:めちゃくちゃ、いい方!(笑)。
横尾:その秀太郎さんが、女形の演技の仕方をよく見せてくれたんです。泣く時は、首をこれくらい傾けて、手をこうするとか、袖をこう咥えるとか、色々な演技の型を目の前でやってくれて、面白かったですよ。一度、僕が「でも、型ばかりに捉われていたら、つまらないじゃないですか」と言ったら、「これを1回全部忘れて、捨ててしまうねん。そこから、いよいよ本物が出てきまんねん」とおっしゃって。
右近:なんて素敵な言葉! 型の世界の中で、型を忘れて、またそれが型になった時に、その人にしかできない表現に辿り着けるのかなと、僕も歌舞伎を通じて思うことがあります。
横尾:とはいえ、基本をしっかりマスターして、それを全部捨ててしまうなんて、できそうでなかなかできないことですよね。
右近:捨てるのは怖いと思います。
横尾:怖いよね。型通りにやっておけば間違いないわけだし、違うことをやれば、観る人はきっと「おや?」と思う。でも、この「おや?」と思うこと、心が動くというのが、芸術なんじゃないかな。
創作の根源に必要なもの
右近:僕も秀太郎さんのことが好きでした。お化粧にしても、今は結構みんな細かく丁寧にやるんですけれども、秀太郎さんはパパッと手早くなさっていて。ご自分の鬘(かつら)をかぶると「鬘ってすごいね。こんなにいい加減な顔をしていても、鬘がよければ、ちゃんとした顔に見えるもんね」なんておっしゃっていました。そういうごく当たり前のことを、あの世代で子どものようにおっしゃるのが僕にとっては新鮮で、面白い方だなと思っていました。
横尾:秀太郎さんは、年を取っても子どもの頃の感覚を持ち続けていたんでしょうね。それは、ものを作る人間にとっていちばん大事なことだと思う。僕もよく三島由紀夫さんに、創作の根源には少年性や幼児性がないとダメだと言われましたよ。三島さんは、英語の「インファンティリズム(infantilism)」という言葉をよく使っていましたけど、それこそ耳にタコができるくらいに。そう考えると、三島さんがやったことも子どもっぽいんですよね。クーデターを起こそうと自衛隊に飛び込むなんて、子どもの世界じゃないですか。だから大の大人は、びっくりするわけですよ。その子ども性に。
右近:三島さんと出会われたのは、おいくつの頃ですか?
横尾:29歳くらいじゃないかな。僕がデビューしたのも29歳の時なんですよ。自分が首吊りをしているポスターを作って、それでデビューしたんです(1965年11月、銀座松屋『ペルソナ展』)。
右近:じゃあ、ちょうど今の僕と同じくらいの年ですね。僕は今年、30歳なので。
横尾:そうか。今話していても感じるけど、右近さんはものすごくしっかりしているよね。僕が29歳の時は、話下手でダメだったよ(笑)。
右近:でも、しっかりする=少年性を失うということだと思うので、危機感も持っております。しっかりしているようでいて、いい加減でありたいなと。
横尾:いい加減は大事ですよ。頭でっかちになったらダメ。僕なんて、頭を空っぽにしなきゃ絵を描けない。もともと思想はないけど、考えに左右されている間は手が動かないわけ。だからもう僕にとって絵を描くことは、頭の作業ではなく、身体の作業、手の作業なんですよ。そういう意味では、俳優さんやアスリートの人たちと非常に近い感覚で絵を描いている気がします。だから今日は楽しみにしていたんですよ。俳優さんとお会いすると、非常に勉強にもなるから。特に若い方には興味がありますね。
右近:嬉しいです。若いといっても、僕自身は過渡期だなと感じていて。満ち足りなかったり、埋められなかったりする苛立ちや怒りで突き進んでいた時期があったんですが、近頃、幸せになる瞬間、楽しい気持ちが増えてきた気がするんです。ただ、そういう時に、ふと怒りが懐かしくなることもあって、自分は変化しているんだなと感じます。
横尾:それも若い証拠ですよ。僕なんかもう、怒りもないし、面倒くさいし、どうでもいい(笑)。だけど、そうなってからのほうが面白いんですよね。それでさっき僕は、もっと若い時期にそういう状態になれたらよかったと言ったんだけど、やっぱり年をとらないとダメだね。若い時は、欲望とか願望とか、煩悩とか自我を山ほど持って、ガーっと突き進んでいけばいいんです。自分の中にあるものを全部吐き出しちゃう。そうやって、年を取ったら空っぽになってください(笑)。
右近:はい、そうなりたいです。そんなふうに言える横尾さんは、本当にカッコイイです!
横尾:歌舞伎の大御所の人たちも、年とともに段々と空っぽな状態になって、何でもありみたいになってこられるでしょ? そうなるには、やっぱり若い頃にできるだけ自我を吐き出すことをやっておかないと。ああしたほうがいいかな、こうしたほうがいいか、なんて考えずに、面白いとか好きだということに夢中になれば、それがいちばんだと思いますよ。
(後編に続く)
美術家。1936年、兵庫県生まれ。72年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で個展。その後もカルティエ財団現代美術館(パリ)など世界各国の美術館で個展を開催し、国際的に高い評価を得ている。2021年には東京都現代美術館にて大規模な回顧展「GENKYO 横尾忠則:原郷から幻境へ、そして現況は」が開催され大きな話題となった。2012年神戸に横尾忠則現代美術館、13年香川県に豊島横尾館開館。高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰ほか受賞・受章多数。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、『GEKYO 横尾忠則 ⅡWorks』、小説『原郷の森』ほか多数。現在、横尾忠則現代美術館にて「横尾さんのパレット」展開催中(12月25日まで)。
1992年東京都生まれ。清元宗家七代目 清元延寿太夫の次男。7歳で歌舞伎座にて本名の岡村研佑で初舞台。12歳で新橋演舞場にて二代目尾上右近を襲名。2018年には浄瑠璃方の名跡・七代目清元栄寿太夫を襲名する。歌舞伎以外の舞台や映像作品でも活躍し、映画「燃えよ剣」で第45回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。また自主公演「研の會(かい)」で研鑽を積む。2022年10月29日まで、日生劇場にてミュージカル「ジャージー・ボーイズ」に出演(11月に大阪、福岡、愛知、12月に秋田、神奈川公演あり)。また12月30日~2023年1月1日にはJ-CULTURE FEST presents井筒装束シリーズ 詩楽劇「八雲立つ」に出演予定。
Edit & Text: Kaori Okazaki Photo: Shin Inaba
Styling: Kazuya Mishima(Tatanca) Hair & Make-up: 晋一朗(池田屋)