歌舞伎界の次代を担う実力派として注目を集める尾上右近さんが、第一線で活躍する現代アーティストのスタジオを訪問。アーティストとの対談を通して、その素顔に迫る連載「ザ☆スタジオ・トーク」。第1回で訪れたのは、絵画を中心に彫刻などを発表し、31歳にして世界にコレクターを持つ井田幸昌さん。家族との関係や、表現者として生きる道を選んだいきさつなどを語り合ってもらった前編に続いて、後編では表現者としての内面に迫ります。(前編はこちらから)
絵画と質量
右近:いまや、自分がやりたいことができる環境を見事に確立されていますよね。(スタジオを見渡しながら)制作中の作品が色々並んでいますが、作業の時間はだいたい決まっているんですか?
井田:作業するのは夜のことが多いです。そのほうが集中できるので。今はちょうど、締め切りが終わった後のぽかーんとした時期なんですが、常に睡眠時間は結構しっかりとりますね。寝ないと、頭の解像度が下がっていくように感じるから。

右近:作品の着想は、どういうところから得ているんですか?
井田:ケースバイケースです。作りたいもののイメージをストックしているので、そこから出すこともあれば、旅先で感じた空気をそのまま表現したいような時は、そのノリで作ったり。そういうイメージや思考、概念みたいなものを、はっきりしないままアウトプットするのが抽象画。逆に、イメージが鮮明なものは、はっきりアウトプットする感じです。人物のモチーフに関しては、基本的には、僕が影響を受けた人を描いています。だから、身近な人もいれば、世界を変えたような人もいるんです。
右近:先ほど、前澤友作さんの絵に3年ほどかかったとおっしゃっていましたよね。時間がどんどん進んで、色々なものが変わっていく中で、描き始めた時の思いを描き終えるまで貫き通すのって、難しくないですか? 僕自身はその日のバイブスをその日の舞台に刻んでいくような作業をやっているから、そう感じるのかもしれませんけど。

井田:僕は最初の思い自体、変わっていくものだと思っているんです。描いている中で僕自身も変わっていくし、常に今の自分がいちばんだと思っているので、その「今」が作品に生かされていないと、描いている意味がない。むしろ、最初の思いをキープしようという気持ちは捨てて、今より先に待っている自分の領域にコミットするというのかな。「この先、何が待っているんでしょうか」というような気持ちで描いています。
右近:なるほど。「もう、これで完成」という判断は、どこでしているんでしょう?
井田:絵が「もう描くな」と言ってきます。
右近:おおーっ! そんなことが!
井田:僕はよく絵の「質量」と言っているんですが、1枚の絵に、ある一定の情報とか感情が乗っかって、その絵の質量に達すると、今までの世界になかったものが一つの確かな存在として、ドンと迫ってくるんです。その瞬間、筆がピタっと止まる。もう手を入れられないなって。自画自賛するみたいで気持ち悪いですけど、そうなるともう畏怖の対象に変わってしまうような感覚があるんです。
右近:面白いなあ。
井田:そういう感覚は、やっぱり不出来なものを作ってしまった時にはないので、描いていてもイライラしてきます。逆に、完成に向かって絵がオーラみたいなものを発し出した時は、楽しくて仕方がない。ただ、完成してしまったら、楽しい作業も終わるので、嬉しいのか悲しいのかわからなくなったりします。ちょっと寂しいような気持ちというか。

右近:その気持ち、僕にもわかるなあ。歌舞伎の興行の千穐楽(せんしゅうらく)なんて、毎回むちゃくちゃ寂しいですもん。役者の家の生まれではない僕は、初舞台から5年くらい本名で舞台に立っていたんです。それって、言ってみれば、歌舞伎界への“定期券”をもらっていない状態で、毎回、切符を買っているような感じ。しかも、次にいつ切符を買えるかわからない。千穐楽は、そういう寂しさに直面する日で、その寂しさは次の舞台が決まるまでずっと続くんです。そんな記憶がトラウマのようにあるから、名前をいただいて定期券をもらった今も、千穐楽は本当に寂しくなるんですよ。
井田:一つの公演が終わってしまう以上の寂しさを、ご活躍されている今でも感じるわけですね。
右近:そういう自分の寂しさとか、誰とも共有できない虚無感や満たされない思いって、充実している今も自分の中に残っているんですよね。行き場のない独りぼっちの「鬼」みたいなものとして。僕の周りの役者さんにも、それぞれに鬼を飼っているんだなと感じることがあって、きっと自分の中に上手に鬼を飼っている、いい意味での独りぼっち同士が一緒に作るから、舞台は面白いんだろうなって思います。
井田:僕の中には、二人いる感じですよ。
右近:鬼が二人……それは大変そう!
井田:大変です。うまいこと飼育してやらないと、暴走してしまうので。ただ僕の場合は、自分の中に、僕のことを全肯定してくれる自分と、超絶否定的な自分と、その中間の僕がいて、ちょうどいい距離感を常に探っているような感じで、僕がМなのか、そういう状態も結構好きだったりするんですけど(笑)。


没入と面白がる力
右近:なるほど。そもそも、独りで作品を生み出す作家さんなんて、きっと鬼でしかないですよね?
井田:どうですかね。まあ、締め切りが迫ってきて、焦燥感に駆られる状況というのも、わりと好きではあります。自分を追い込んで奥深いところから何かを引き出してこないと、自分の求めている表現の強度を出せないこともわかっているし、一種、殺気立った状態で集中して描いている時のほうが、結果的にいいものが生まれてきたりするんですよね。

右近:僕にもそれ、わかります。近頃、「上手い/下手」と「いい/悪い」は別物で、「いい/悪い」は夢中かどうかにかかっているんだなと感じていて。もちろん客観性も大事だし、経験を重ねながら表現として上手くなっていくことも大切だと思うんですが、下手でもなんでも、夢中で形に残した時の自分のほうが、僕は好きなんです。
井田:そこのバランスって、表現者にとって永遠の課題なんだと思います。こなれて上手くなっていく分、どうしても失われていくものがあるから。それでも僕は、本当のプロは絶対に上手くなきゃいけないと思っていて。葛飾北斎の版画とか見ると、技巧的にめちゃめちゃ上手いんだけど、狂気があるというか、どれだけ制作に没入したんだろうって思う。それを作品から感じるんだから、描いた時の本人の狂気や没入たるや。たぶん一流の人たちは、さっき言った永遠の課題を乗り越えた上で、楽しんでいるし、没入しているんだろうなと。業界は違っても、そこは共通している気がしますね。僕も早くそういうレベルに行きたいんですけど。
右近:憧れますね、そういう境地に。僕なんか、いまだに公演初日は緊張しますもん。昔ほどではないにしても、不安でいっぱいになって、お腹をこわすし、ちょっとした物音も気になっちゃって、毎回、素人みたいな感じですよ(笑)。

井田:それはちょっと意外です。でも僕も、もうすぐそうなりますよ。今は締め切りが終わって、寝てばっかりいますけど、そうしながらもちょっと不安なんです。「あの締め切りで切羽詰まった時の俺に戻れるかな。というか、あれを超えなきゃいけないしな。どうなるかな……」って。確かに、1回素人返りするような感じがありますね。
右近:でも、素人返りするのも意外と好きだったりしません?
井田:ですね(笑)。そこから玄人(くろうと)に戻る行程が、また楽しかったりする。「ああ、俺、やれてる、やれてる」って(笑)。
右近:僕もです(笑)。あとはもう、お客さんや支えてくださる方々への感謝を爆発させるような気持ちでやってます。それが今、自分のテーマになっていて。
井田:素敵ですね。今回こうやってお会いして、歌舞伎を観に行きたくなりました。
右近:ぜひぜひ! そういえば、大きな木彫が置かれたエリアで、写楽の役者絵をモチーフにした絵を見ました。

井田:ちょっとした実験のつもりで描きました。自分の幅を広げたいと思って版画をやってみたことから、ちょうど最近、浮世絵とか日本の古典作品に興味を持つようになって。立体の木彫も、版画の延長でやり始めたことです。
右近:新しいことにも色々と挑戦されて、常に自分に刺激を与えていらっしゃるんですね。
井田:あまり経験がなかった20代の頃は、何を見ても新鮮で楽しかったんですけど、年々「これ、もう見たな」「あれと似ているな」というふうに、流しちゃっている風景が増えているなと感じていて。
右近:経験値が増えるほど、「面白がる力」が必要になっていくんでしょうね。
井田:年を追うごとに、それが欠落している気がするんです。ぽろぽろと角が取れて、丸くなっている自分を感じる。それはそれで、人として必要な成熟だとは思うんですが、やっぱり尖っている部分も持っていないと。そうなれる状態を自分で作るのか、与えられるのか。能動的にも受動的にも固執していきたいなと思っています。今度、海外にスタジオを作る予定なんですが、それもそういった気持ちからです。

右近:すごいなあ。僕が今いちばん興味があるのは……集客! どうしたら歌舞伎にもっとお客さんを呼べるかですね。自分にできることは何か?とか、周りに頼ったり、誰か外部の人に助けてもらうほうが効果的なのか?とか、よく考えます。
井田:自力でやれることにも限りはありますしね。僕は最近、ギャラリー*に入ったんです。ギャラリーに所属するという形にちょっとした反発があって、自分で会社を立ち上げてやってきたんですが、他力も大事だなと思うようになって。自分以外の人の意見や価値観に触れることで、また違う気付きもあるだろうし、自分の再解釈にも繋がるんじゃないかなと。僕も少し大人になって、やっと人の意見も聞こうかなという感じになってきました(笑)。そういうタイミングで右近さんと濃密な話ができて、今日は楽しかったです。
*シカゴとパリに拠点を持つマリアン・イブラヒム・ギャラリー
右近:こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました。僕の曽祖父の六代目 尾上菊五郎は、横山大観と友達だったそうなんです。大観に「お前はいいな。舞台で失敗しても、それを観るのはその日のお客だけだろう? 俺の場合は、まずいと思った絵でも、気に入られてずっと飾られる可能性がある。形に残るって、しんどいぞ」と言われた六代目が、「いや、語り継がれはするかもしれないが、俺がどんなにいい芝居をしても、それを観られるのは、その日のお客だけなんだ。いい作品が永遠に残る画家のほうが羨ましい」と返して、「お互いに因果な商売だな」と言い合ったというエピソードがあるんですよ。
井田:素敵な話ですね。
右近:僕もこの話が大好きで。井田さんとはぜひ人生の終盤に、そういう話をさせていただきたいです!
井田:ははは(笑)。いいですね。これからさらに色々な経験を積んで、あの時はこうだったねと、言い合えたら最高ですね。

【尾上右近コメント〜対談を終えて〜】
「今日は、ゆっくり井田さんと深層的なところまでお話させていただきながら、作品に向き合う気持ちだったり、ものづくりというふうにご本人もおっしゃっていましたけれども、ものを作る人間の胸の内、思い、熱量や質量、密度みたいなものをたくさん伺えて。僕自身も舞台に毎日立っている身として、刺激を受ける部分もあったし、お互いに自分にしかわからない気持ちみたいなものを、ぶつけ合ったうえで心通うところがたくさんあって、とても楽しかったです」
1990年鳥取県生まれ。2019年東京藝術大学大学院油画修了。16年、現代芸術振興財団(前澤友作設立)が主催する若手作家のアワード「CAF賞」にて審査員特別賞受賞。17年、レオナルド・ディカプリオ財団主催のチャリティオークションに史上最年少参加。18年にはForbes JAPAN主催「30 UNDER 30 JAPAN」に選出。国内外のコレクターからも支持を得ている。個展「Portraits」(銀座蔦屋書店、2019)、「Here and Now」(マリアン・イブラヒム・ギャラリー、シカゴ、2021)をはじめ、国内外で展示歴多数。直近ではDiorとのコラボレーションを発表した。2022年は4月末にスペイン美術館、10月にパリにて個展が決定しているほか、様々なプロジェクトが控えている。ウェブサイト Instagram スタジオInstagram
1992年東京都生まれ。清元宗家七代目 清元延寿太夫の次男。7歳で歌舞伎座「舞鶴雪月花」にて本名の岡村研佑で初舞台。12歳で新橋演舞場「人情噺文七元結」にて二代目尾上右近を襲名。2018年には浄瑠璃方の名跡・七代目清元栄寿太夫を襲名する。歌舞伎以外の舞台や映画、テレビなどでも活躍し、映画「燃えよ剣」で第45回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。また自主公演「研の會(かい)」で研鑽を積む。2022年4月は歌舞伎座「四月大歌舞伎」第二部『荒川の佐吉』、5月は同「團菊祭五月大歌舞伎」第三部『弁天娘女男白波』に出演予定。秋にはミュージカル「ジャージー・ボーイズ」への出演が控えている。公式ウェブサイト Instagram
Edit & Text: Kaori Okazaki Photo: Shin Inaba Styling: Kazuya Mishima(Tatanca) Hair & Make-up: Storm (Linx)