

1. ジョシュア・ジョンソン《エマ・ヴァン・ネーム》(1805年頃)
METでアメリカ美術部門を訪れる見学者のお目当ては、歴代大統領の肖像画やハドソン・リバー派の風景画であることが多い。しかし、この部門の傑作の中には、どのカテゴリーにも当てはまらないものもある。その一例がジョシュア・ジョンソンの《エマ・ヴァン・ネーム》だ。アメリカ初の黒人画家の1人として知られるジョンソンの代表作で、イチゴを手にしたメリーランド州の幼児を描いたこの作品は、平坦な背景と愛らしい奇妙さで(なぜこんなにたくさんのイチゴが器に入っているのかなど、あまり深く考えてはいけない)、アメリカらしい素朴な美学を確立した。今はMETの人気作品の1つだが、かつては同じニューヨークのホイットニー美術館に所蔵されていた。ちなみに、ホイットニーが1980年代にこれを売却したときには、俳優のビル・コスビーなどの著名人からる抗議の声が上がっている。展示場所:アメリカン・ウイング

2. 額に付ける装飾品(1820-1840年頃)
カナダ・ブリティッシュコロンビア州の先住民、チムシアン族が儀式で着用したとされるこの装飾品には、7色にきらめくアワビの貝殻が用いられている。貝殻の間には木彫りの人面が並び、その1つには尖った鳥のくちばしが付いている。この顔は、人と自然が融合して生まれた新たな生命を視覚化する想像力豊かなチムシアン族独自の手法を象徴するもので、2019年にMETのコレクションに加わった。近年ようやくアメリカの先住民アーティストの重要性に光を当て始めたアメリカン・ウイングの中でも、ひときわ目を引く存在だ。展示場所:アメリカン・ウイング

3. トマス・コール《雷雨の後、マサチューセッツ州ノーサンプトン・ホリヨーク山からの眺め──オックスボウ》(1836)
雨雲がコネチカット川から去っていくこの絵の眺めは圧巻だ。あまりに壮大すぎて、唯一描かれている人物──前景の崖の上で絵を描いているトマス・コール本人──を見落したとしても無理はない。ただ、目立った人物像が描かれていないことは、この絵の長所であり欠点でもある。長所として見れば、U字型に蛇行する川や周囲の樹木など、コールが人の手が入っていない自然として描いた草地や山々の美しさに浸ることができ、それがハドソン・リバー派を象徴するこの絵を崇高なものにしている。欠点として見れば、この土地に住んでいた先住民を描かなかったことで、今も先住民アーティストが直面する「歴史の抹消行為」を犯したと言えるだろう。たとえば、チェロキー族とヨーロッパ系両方の先祖を持つアーティスト、ケイ・ウォーキングスティックは2020年に、コールのこの絵の一部にポカムタック族のシンボルを重ねた作品を発表している。展示場所:アメリカン・ウイング

4. ジョージ・カレブ・ビンガム《ミズーリ川を下る毛皮商人》(1845)
現在、この有名な作品は《ミズーリ川を下る毛皮商人》という当たり障りのないタイトルで知られている。ジョージ・カレブ・ビンガム自身は《フランス人商人と混血の息子》という題を付けていたものの、この絵を初めて展示した美術館が改題を行ったのだ。ビンガムによる当初のタイトルは、このおだやかな絵の見た目に隠された真実を示唆していた。それは、急成長するアメリカ経済に渦巻いていた人種間の緊張だ。しかし、カヌーの船首につながれた猫や船を取り囲むさざ波を眺めている限り、そうした緊張感は感じられないだろう。平和なアメリカの風景と、そこに潜んだ政治的問題の対比こそが、この作品が現代の鑑賞者の目にも魅力的に(かつ厳しいものに)感じられる理由の1つなのだ。展示場所:アメリカン・ウイング

5. デイヴィッド・ドレイク《貯蔵用壺》(1858)
サウスカロライナ州エッジフィールドは観光名所とは言えないが、アメリカの美術史に詳しい人にはよく知られている。なぜならここは、奴隷たちが陶器を制作し、そこに自らの抑圧された立場を暗示するメッセージを刻んだ地だからだ。デイヴィッド・ドレイクも印象的な器の数々を残したが、食品貯蔵用に使われたこの壺には「豚肉や牛肉でこの壺を満たせば/スコットが来て/平和をもたらすだろう」と刻まれている。それは、南北戦争終結時にドレイクが手にすることになる自由を予感させるせるようなメッセージだ。周囲から人間として扱ってもらえなかった当時、自らの存在を主張するせめてもの行為として、ドレイクは作品にアーティストとして名乗っていた名前「デイヴ」の署名を残している。展示場所:アメリカン・ウイング

6. フランク・ウォーラー《14番街にあったときのメトロポリタン美術館の内部》(1881)
アメリカ人画家のフランク・ウォーラーによるこの作品には、現在のような巨大美術館になる前のMETが描かれている。かつて14番街の建物にあったMETでは、絵画がサロン様式で展示され、その規模もウォーラーが描いたように小さかった。絵の中で展示室の入口上部に展示されているヘンリー・ピーターズ・グレイの絵画《戦争の代償》(1848)は、今もMETのアメリカン・ウイングにあり、この作品にほど近い場所に飾られている。こうして美術館の過去を振り返り、現在と対比させるのは興味深いことだ。展示場所:アメリカン・ウイング

7. ジョン・シンガー・サージェント、《マダムXの肖像(ヴィルジニー・アメリー・アヴェーニョ・ゴートロー)》(1883-84)
この作品は1884年のパリ・サロンで大スキャンダルとなり、露骨な官能性があるとして保守的な評論家や一般大衆から激しく批判された。そうした反応を予期していたのか、ジョン・シンガー・サージェントはこの女性の名、すなわちフランス系クレオール人の血を引くアメリカ社交界の有名人、ヴィルジニー・アメリー・アヴェーニョ・ゴートローの名を伏せていた。絵をMETに売却するときもサージェントは、ゴートローの名を明かさないよう依頼したという。それが《マダムX》と呼ばれるようになった経緯だが、時を経て、この絵はその時代を代表する作品として正当に評価されるようになった。それは、ブルジョワの性的規範を揺るがせるために必要な試みであり、後に続く芸術家たちのさらに挑戦的な作品の先駆けとなるものだった。展示場所:アメリカン・ウイング

8. ウィンスロー・ホーマー《メキシコ湾流》(1899)
写実的な画風で知られるウィンスロー・ホーマーには、政治問題を率直に、一切の忖度なく描く大胆さがあった。《メキシコ湾流》は、南北戦争からまだ数十年しか経っていないアメリカにおける黒人の状況を、寓話的に表現した絵として解釈できる。荒れ狂う海に浮かぶ小舟に寝そべった黒人男性の周囲では波間にサメが跳ね、嵐が迫っているようだ。しかし、男性は諦めたように静かな表情をしている。おそらく自身の置かれた危険な状況をすでに受け入れているのだろう。時代を超越する普遍性を持つこの作品は、後世のアーティストたちによって繰り返し参照されてきた。その一例がケリー・ジェームズ・マーシャルで、2003年に《メキシコ湾流》を再解釈し、ヨットで穏やかな海を行く黒人たちを描いている。展示場所:アメリカン・ウイング

9. メアリー・カサット《裁縫をする若い母親》(1900)
家事が労働であるのは、昔から女性アーティストにとって自明なことだ。そう考えると、現代フェミニズム運動が始まる約60年も前の1900年に、アメリカ印象派の代表的画家であるメアリー・カサットが、ひざの上の幼い娘にさえ気づかないほど一心に裁縫をする母親を描いたのも驚くには当たらない。戸外では太陽が芝生に降り注ぎ、窓辺では花瓶に生けられたオレンジ色の花が陽光を浴びている。しかしこの母親は、そうした一切のことを忘れて目の前の作業に集中している。無感情な視線は、カサットの魅惑的なパステルカラーの優雅な背景とは対照的なものだ。展示場所:アメリカン・ウイング

10. ティファニー・スタジオ《庭園風景》(1905-15年頃)
ティファニー・スタジオが制作したステンドグラスの窓を複数鑑賞できるのは、METのほかにはない。その中で最も大きいのは2024年に取得した三連窓で、最も明るい輝きを見せるのは、ほぼ100年前から所蔵されている秋の情景のステンドグラスだ。しかし、豪華さで他を凌駕するのはモザイクの《庭園風景》で、実際に機能する噴水の背景に白鳥やヒノキ、咲き乱れる花々が描かれている。ティファニー・スタジオの代名詞となった玉虫色のファブリルグラスを用いたテッセラ(細かいタイル)が、アメリカン・ウイングのアトリウムを包む柔らかな光を捉えて輝くさまは、まさに眼福と言える。展示場所:アメリカン・ウイング

11. フランク・ロイド・ライト《フランシス・W・リトル邸のリビングルーム》(1912-14)
解体される寸前だったこの邸宅を、METが救ったのは1972年のことだった。丹念に分解され、アメリカン・ウイングで再構築されたリビングルームは、1982年以来、METの傑作の1つとして親しまれている。螺旋状の特徴的な形状を持つグッゲンハイム美術館の設計者としても知られる建築家のフランク・ロイド・ライトは、ミネソタ州ミネトンカ湖畔のモダンな邸宅のためにこのリビングルームを設計した。住居の他の部分から切り離された状態でも、空間を分断する要素が少ない部屋の開放感が伝わってくる。さらに、オーク材のトリム(帯状の装飾)が雑然とした印象を与えることなく連なり、視線を奥にあるレンガ造りの暖炉へと導く意匠は見事だ。展示場所:アメリカン・ウイング

12. スタンディング・ベア(ミネコンジョー・ラコタ族/ティトン・スー族)《リトルビッグホーンの戦い》(1920年頃)
スタンディング・ベア(Mató Nájin)には、1876年に起きたリトルビッグホーンの戦いの記憶があった。当時16歳だった彼も参加したこの戦いでは、ラコタ・スー族、北シャイアン族、アラパホ族が、ジョージ・アームストロング・カスターの率いるアメリカ陸軍の部隊を打ち破っている。スタンディング・ベアは、戦いで目にした大虐殺の場面を幅 268 センチのモスリンの布に描いている。絵の中に繰り広げられるのは、先住民たちが馬に乗って疾走し、地面に倒れた白人兵士たちに矢を放ち、頭飾りが四方八方に飛び散っている混沌とした光景だ。これは一種の歴史画であると同時に、先住民たちの生き残りを賭けた抵抗を伝える痛切な作品でもある。展示場所:アメリカン・ウイング ※現在は展示なし

近現代美術部門
13. パブロ・ピカソ《ラム酒の瓶のある静物》(1911)
2013年、コレクターのレナード・A・ローダーは数十点のキュビスム作品をMETに寄贈する計画を発表した。METはそれ以前からアメリカ有数のキュビスムコレクションで知られ、《ラム酒の瓶のある静物》(1911)に類する作品を既に所蔵していたが、ローダーの寄贈によってこの分野のコレクションがさらに強化された。分析的キュビスムの傑出した例であるこの作品は特に、METの秀逸なキュビスムコレクションを象徴するものだ。分析的キュビスムでは、物体が積み重ねられた幾何学的形状の切り子面に分解され、それを複数の視点から同時に見ているかのような感覚が生み出される。題名にあるラム酒の瓶は背景へと後退し、見えない新聞の文字が飛び交うことで、決して完全には焦点が合わない混沌とした情景が描かれている。展示場所:近現代美術ギャラリー ※現在は展示なし

14. トーマス・ハート・ベントン《America Today(今日のアメリカ)》(1930-31)
近現代アートの新館建設計画を長期にわたって進める中で、METは過去150年の傑作の取得に力を入れるようになった。その最高峰の1つがこの作品だ。ニュースクール大学の理事会室に所蔵されていたこの連作壁画は、同校から保険・金融グループのAXAに売却されたのち、2012年にMETに寄贈された。1930年代の地域主義芸術運動で指導的立場にあったトーマス・ハート・ベントンは、8枚の巨大なパネルに、船を建造する様々な人種の屈強な労働者や脚を高く蹴り上げるボードビルダンサー、たばこの広告の下でカクテルを飲む人々など、この上なくアメリカらしいイメージを豊かに描き出している。展示場所:近現代美術ギャラリー

15. レオノーラ・キャリントン《自画像》(1937-38年頃)
この絵では、アーティストのレオノーラ・キャリントン自身が椅子に座り、乳の張ったハイエナを無表情に指さしている。ハイエナは鑑賞者に視線を向け、壁の前には木馬が浮かび、窓の外には駆け抜ける馬が見える。こうしたシンボルの分析は過去に何度も試されている。たとえば、キャリントンの母はアイルランド人だが、ケルト神話で馬は異界を旅する者を助けるとされている。しかしこの絵は、むしろ説明されないほうが楽しめるだろう。キャリントンはシュルレアリスムの他のアーティストたちと同様、理性では分析できないものに関心を持っていたからだ。シュルレアリスム運動の象徴的作品であるこの絵は、2002年にMETのコレクションに加わった。展示場所:近現代美術ギャラリー

16. フローリン・ステットハイマー《The Cathedrals of Art(芸術の大聖堂)》(1942)
フローリン・ステットハイマーの愛すべき「大聖堂」シリーズは純粋な喜びに満ちた作品で、彼女がこよなく愛したパステルピンクを大胆に用い、ニューヨークの人々と文化を称えている。ニューヨークにある美術館へのオマージュでもあるこのシリーズでは、METやMoMA、ホイットニー美術館が取り上げられている。象徴的に中央に配置されているのがMETで、赤いカーペットが敷かれた階段が古代エジプトの彫刻やオールドマスターの絵画へと続いている。この作品が制作された当時、MoMAとホイットニーはまだ新しく、小規模だったことから、ステットハイマーがそれらを脇に配置したのは理にかなっているだろう。それでも、どの美術館が重視されていたかは明らかだ。ステットハイマーが「ベイビー・アート」と名付けた幼児が、当時のMET館長フランシス・ヘンリー・テイラーに手を引かれて階段を昇っているのは、METが芸術に関する議論を主導しているという概念を文字通りに表現したものだ。展示場所:近現代美術ギャラリー

17. ジャクソン・ポロック《秋のリズム(ナンバー30)》(1950)
ジャクソン・ポロックの死から2年後の1958年、アーティストのアラン・カプローは「彼はすばらしい絵画を創造した。しかし同時に絵画を破壊した」という有名な言葉を残した。カプローが言わんとしたのは、ポロックが伝統的な絵画制作の手法を根本的に変え、かつ、その影響は不可逆的だということだった。《秋のリズム(ナンバー30)》は、ポロックの影響力の強さがよく表れている作品の1つで、床に平らに置いたカンバスに白と黒の絵の具を飛び散らせ、完全にはコントロールできない構図を全体に作り出している。当初《ナンバー30》と題され、後に改題されたこの作品は、今日では抽象表現主義運動の最高傑作の1つ、あるいは戦後美術史における最高峰の作品の1つとして評価されている。METの近代美術部門における聖地と言ってもいいだろう。展示場所:近現代美術ギャラリー

18. エルズワース・ケリー《青・緑・赤》(1963)
緑の流れが曲線的な青と平坦な赤の領域にさえぎられているこの絵に、《青・緑・赤》というタイトルを付けたエルズワース・ケリーを不誠実だと非難する人はいないだろう。しかし、じっと見ていると、色が変化し始める。あの赤は、少しオレンジがかっているように見えないだろうか? 緑は、横切る青から切り離したとしても、最初に見えたような鮮やかな緑なのか?「見えるものが見ているものだ」と、フランク・ステラは当時制作した抽象画について語ったことがある。それは、このケリーの絵画にも当てはまる格言であり、視覚が常に理性の法則に従うわけではないことを示している。展示場所:近現代美術ギャラリー

19. ケリー・ジェームズ・マーシャル《無題(スタジオ)》(2014)
METのような百科事典的な美術館の価値は、2つの作品を並べるだけで異なる時代を橋渡しできる点にある。そうすることで、異なる時代の芸術家たちが何世紀にもわたって同じアイデアを繰り返し検討し直し、古い素材を新たな鑑賞者のために効果的に再利用してきたことが分かる。また、作品が所蔵されているアーティストの中には、自らそのような実践を行ってきたケースもある。その1人であるケリー・ジェームズ・マーシャルは、歴史画の要素を借用し、それをリミックスして作品に取り入れる中で、黒人であることを明示的に扱ってきた。この《無題(スタジオ)》でも、白人の巨匠たちが避けてきた黒人像が存在しなければ、絵の具が飛び散ったイーゼルなど、ありふれたアトリエ風景でしかなかっただろう。マーシャルは2017年のMETによるインタビューで、「(館内の)壁に確実に展示されるようなやり方で、自己イメージを投影できなくてはならない」と語った。今、《無題(アトリエ)》は、まさにそのインスピレーション源となった巨匠たちの傑作と同じ館内に展示されている。展示場所:近現代美術ギャラリー ※現在は展示なし

