ヴァシュロン・コンスタンタンと6人の作家の挑戦──小さな文字盤から立ち上がる新たな表現

ヴェネチア・ビエンナーレ開催中の水の都で、9月1日から30日まで国際工芸展「第4回ホモ・ファーベル」が開催された。初回から参加する1755年創業の時計マニュファクチュール、ヴァシュロン・コンスタンタンは、6人のアーティストとの協働による6本のコンセプトウォッチを発表。小さな文字盤を舞台にした挑戦から見えてきた、工芸の継承と革新とは。

Vacheron Constantin HomoFaber 2026
ヴェネチアで開催された「第4回ホモ・ファーベル」でお披露目された、ヴァシュロン・コンスタンタンによるユニークピース「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - ヘビ」の制作風景。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin

いま、工芸と現代アートの境界が急速に縮まっている。今年のフリーズ・ソウルでは、陶芸やテキスタイル、ガラス、木など素材と技法に根差した表現に焦点を当てた新企画が登場。ヴェネチア・ビエンナーレでも、工芸を通して現代美術を読み直す展覧会が開催されるなど、現代アートの文脈における工芸の存在感は高まっている。

そんな潮流を象徴するように、この秋、ヴェネチア・ビエンナーレが開催中のヴェネチアでひときわ注目を集めたのが、2020年以降、同芸術祭に合わせてミケランジェロ財団の主催により展開されている国際工芸展「ホモ・ファーベル」だ。

今回で4回目を迎えた「ホモ・ファーベル」がテーマに掲げたのは「An Island of Light(光の島)」。光を記号や言語として扱い、映像や巨大彫刻と融合させた空間デザインでも知られるイギリスの舞台美術家でアーティストのエス・デヴリンがディレクターを務めた。人間の「手」は何を生み出すことができるのか。その創造性をあらためて可視化し、照らし出す「光」をめぐる考察である。

時計が異なる工芸と出会うとき

この「ホモ・ファーベル」に初回から参加しているのが、創業から270年以上の歴史を持つ時計マニュファクチュール、ヴァシュロン・コンスタンタンだ。2022年版では、パートナーシップを結ぶルーヴル美術館と共同出展し、メゾンが誇るメティエ・ダール(芸術的な装飾技法)を駆使した「雷神」「風神」の2本のユニークピースと、同館の額装工房が制作した四曲屏風を展示。2024年版では、約100年前のアーカイブを忠実に再現した「アメリカン 1921」と、ルーヴル美術館所蔵のジャコブ・デマルテのキャビネットを紹介し、修復という営みを通して伝統技術を次世代へ受け渡すことの重要性を示した。

そして今回は、その射程をさらに広げ、6人のアーティストとのコラボレーションによる6本のコンセプトウォッチを発表。これまでメゾンが培ってきた装飾技法を超えて、異なる素材と技術を持つ作家たちをウォッチメイキングの世界へと招き入れる試みだ。紙、羽根、ガラス、刺繍、木、折り紙といった、通常、高級時計には用いられる機会の少ない繊細な素材を用いた緻密な工芸表現が、直径わずか数センチの文字盤にどう翻訳されるのか。期待は否応なく高まる。

第4回「ホモ・ファーベル」の舞台となったのは、サン・ジョルジオ・マッジョーレ島にあるジョルジオ・チーニ財団の壮麗な修道院建築。ここに、世界約70カ国から500人以上の職人が手がけた700点以上の作品が集結した。しかも作品をただ並べるだけではない。参加型ワークショップやライブデモンストレーションなど、工芸が生まれるプロセスそのものを体験できる15の展示空間が、それぞれインスタレーションとして構成されている。島全体が、まさにテーマである「光の島」へと姿を変えたかのようだ。

第4回「ホモ・ファーベル」の舞台となったサン・ジョルジョ・マッジョーレ。Photo: Yuji Ono

それぞれの土地の歴史や文化を背負った古今東西の工芸と、それらを現在へと引き寄せ、新たな表現へ変換する現代作家の創造性が並ぶ。その刺激的な回遊空間のひとつが、「An Atelier Alive(生きているアトリエ)」と題された展示だ。そこでは作家本人が制作を実演し、まるで工房を訪ねたかのように、作品のコンセプトや独自の技法について直接話を聞くことができる。完成品だけでなく、それを生み出す「手」と「時間」に光を当てる、本展の核心ともいえる空間だ。

そこに展示されていたのが、ヴァシュロン・コンスタンタンの新作「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して -」だ。

作家を待ち受けたスケールの壁

6本の新作を4日ごとに入れ替えながら1本ずつ展示し、訪れた日に紹介されていたのは、ペーパーアートを用いた作品だった。

真っ白な文字盤から浮かび上がるのは、生命感あふれるワニと、その周囲を覆う精緻な植物。彩色に頼ることなく、紙そのものの凹凸と重なりだけで構成されたレリーフは、わずかな光を受けるたびに細かな陰影を生み、平面であるはずの文字盤に奥行きをつくり出す。手がけたのは、アーティストのマリアンヌ・ゲリーだ。

用いられたのは、坪量の異なる250g/㎡と300g/㎡のコットンペーパー。特注のエンボス加工工具を開発し、60~70℃に熱した真鍮製の版で加圧成形した後、レーザーカットと手作業を組み合わせながら、微細なディテールと立体感を生み出していく。天然繊維からなる紙はほつれやすく、繊維の状態も均一ではないため、素材の選定にも細心の注意が必要だったという。圧力の調整をはじめ何度も試作を重ね、完成までには数カ月を要した。ゲリーはこう振り返る。

「最大の課題は、直径40ミリ以下、高さ3ミリという文字盤のスケールでした。私はこれまで、同じペーパーアートでも、東京の六本木ヒルズでのクリスマスツリーや銀座でのブティックディスプレイなど、高さ6メートルを超えるような作品を手がけてきましたが、それらとはまったく異なる創作経験でした。紙選びはもちろん、普段使うカッターでは裁断できず、ヴァシュロン・コンスタンタンの紹介で超精密レーザー切断の専門家と協業しました。これによって生まれる微細な凹凸が光と影を演出し、彩色せずとも立体感あるフォルムが表現できたのです。今回の取り組みを通して、新たな技術や素材への興味や関心が高まり、それが現在取り組んでいる磁器の作品制作にもつながりました」

単に大型作品を縮小するだけでは、直径40ミリにも満たない文字盤でゲリー作品を成立させることはできない。素材の扱い方から道具、制作工程までを組み替えなければならないスケールの反転が、ゲリー自身の表現にも新たな技術的可能性をもたらしたことがわかる。

今回の「ホモ・ファーベル」への参加について、ヴァシュロン・コンスタンタンのプロダクトマーケティング&イノベーションディレクター、サンドリン・ドンガイはこう話す。

「メゾンにとって自然や動植物は、装飾モチーフの着想源にとどまらず、観察から生まれる芸術へと導く力です。このことから、6種類の野生動物を異なる工芸技法で表現する『メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して -』を企画しました。クラフツマンシップという点では、これまで腕時計にほとんど使われてこなかった意外な技法を取り入れること、そして作家には文字盤の上で立体的な表現を追求してもらうことを求めました。ホモ・ファーベルのプロジェクトには3000人の参加が登録され、そのなかから7人を選出し、制作はスタートしました」

こうして最終的に完成したのは、前述のペーパーアートのほか、羽根細工、ガラス細工、金線刺繍、ウッドマルケトリー、折り紙という6種の工芸を用いた作品だ。虹色に光る羽根を200以上の微細なパーツへ切り分けて鱗に変えたヘビ、透明なガラスで深海を漂う姿を表したタコ、わずか数ミリの紙から折り上げたエイ、1ミリにも満たない金線を重ねて毛並みを描き出したトラ、12種類の木材を彫刻的に組み合わせたハヤブサ。それぞれ異なる素材が、時計という制約にさらされることで、従来とは異なる表情を獲得している。

マリアンヌ・ゲリーによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - ワニ(ペーパーアート)」
雪景色にも氷の彫刻にも見える真っ白なワニと植物は、すべて白いコットン紙でできている。250gと300gの2種類の紙をエンボス加工、レーザーカット、手作業で重ね、高さわずか3mmのレリーフを形成。色を排することで、紙の凹凸をなぞる光と影そのものが造形を浮かび上がらせる。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
マリアンヌ・ゲリーによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - ワニ(ペーパーアート)」制作風景。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
シモーネ・クレスタニによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - タコ(ガラス細工)」
深いブルーの文字盤に浮遊する透明なタコは、厚さわずか3.5mm。微細なガラス棒を溶かし、特製のタングステン製工具で触手や吸盤をミリ単位で造形した。透明なガラスが背後の像を拡大・屈折させる性質まで計算し、触手が交差して見える視覚的なイリュージョンをつくり出している。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
シモーネ・クレスタニによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - タコ(ガラス細工)」制作風景。シモーネ・クレスタニによるメティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - タコ(ガラス細工)Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
ジュリアン・ヴェルミューレンによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - ヘビ(羽根細工)」
ブルーグリーンにきらめくヘビの鱗を構成するのは、希少なロフォフォアの羽根7枚から切り出した200以上の微細なパーツ。羽毛そのものが持つ虹色の光沢によって、見る角度や光に応じて表情を変える。最小のパーツは1mmにも満たず、作家は息を止めながら配置することもあったという。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
ジュリアン・ヴェルミューレンによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - ヘビ(羽根細工)」制作風景。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
アーニャ・ミドリによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - エイ(折り紙)」
深海を泳ぐマンタエイは、この作品のために手染めされた日本製の紙を折ったもの。9~12mmの紙を指と爪、爪楊枝だけで折り、完成時には約6~8mmになる。既存の折り方を小型化したのではなく、実際のエイの身体や水中での動きを写真や映像から研究し、専用の折り方そのものを新たに考案した。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
アーニャ・ミドリによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - エイ(折り紙)」制作風景。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
アンナ・ル・コルノによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - ハヤブサ(ウッドマルケトリー)」
今にも飛び立とうとするハヤブサは、スモークユーカリや染色したバーチなど、色や杢目の異なる12種類の木材で構成されている。平面を組み合わせる伝統的なマルケトリーに加え、積層したベニヤを彫り込む彫刻的な技法や、羽根を一枚ずつ組み上げる新たな手法を併用。木という素材を「描く」ためではなく、羽毛の量感そのものを立ち上げるために使っている。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
アンナ・ル・コルノによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - ハヤブサ(ウッドマルケトリー)」制作風景。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
ローラ・バヴァーストックによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - トラ(刺繍)」
鬱蒼としたジャングルを進むトラは、9Kイエローゴールドとホワイトゴールドのワイヤーを使った刺繍で描かれている。体を形づくるワイヤーは一本ずつ手作業で切られ、その長さは1mm未満。目だけでも10種類の色の絹糸を使い分け、金属の硬質な輝きと刺繍ならではの柔らかな質感を重ねた。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin
ローラ・バヴァーストックによる「メティエ・ダール - 動物王国へ敬意を表して - トラ(刺繍)」制作風景。Photo: Courtesy of Vacheron Constantin

それにしても、これまでメゾンが扱ってこなかった装飾技法を時計制作へ持ち込むことに、戸惑いはなかったのだろうか。ドンガイは、今回の6作品を必ずしも「メゾンのアーカイブとつなげることは考えていません」と説明する。むしろ重要なのは、過去との直接的な連続性ではなく、異なる工芸との接触によって、常に革新的な技術や発想を生み出そうと模索するメゾンの姿勢を「さらに進めること」だという。

「それは作家にとっても、それぞれの分野が持つ伝統や文化の殻を破り、一歩外へ踏み出すことになるでしょう。その後押しができたと自負しています」

腕時計という制約が生んだ新たな技法

時計製造における「革新」といえば、通常は複雑機構など時計内部の技術へと目が向きがちだ。しかし今回の6本が示したのは、装飾という領域にもまた、技術的な実験とイノベーションの余地があるということだった。

とはいえ、作家に課されたハードルは高い。その象徴的な例としてドンガイが挙げたのが、羽根細工による蛇だ。

「通常の平面ではなく、立体に羽根を貼っていくことに加え、とくに首をくねらせた部分は困難を極めました。普通に貼り付けると羽根の流れに逆らってしまうので、ヘアアイロンを使ってまず羽根をまっすぐに整え、熱した針先でその方向を変えるという新しい技法を編み出しました。開発工程では、作家と私たちのデザインスタジオ、そして時計技術者の三者が、常に意見を交換しながら進めました」

既存の技法を小さな文字盤へそのまま持ち込むのではなく、素材の性質そのものを読み直し、必要であれば道具や技法からつくり直す。その意味で6本の時計は、完成した工芸品であると同時に、異なる専門領域が交差し、解決策を探った実験の記録でもある。

6人の作家がそれぞれ試行錯誤を重ねながら制作を進める様子を、「6レーンあるプールで泳いでいるようだった」と表現した者もいたという。

「まさにそうなんです。でも、それぞれスピードが違いますから。技術的な壁に当たって遅くなったり、それが解明した瞬間に加速したりすることもある。ですから各人には表現の制約をできるだけ設けず、そのレーンの中で自由に泳いでもらう。実際、私たち自身も最終的に6本すべてが完成するのか、全員が最後まで泳ぎ切れるのかはわかりませんでした」

それでも最後には、全員がゴールへたどり着いた。そこには作家個人の技量だけでなく、周囲がチームとして関わり、技術的な助言や具体的な解決策をともに考えたプロセスがあった。

「アーティストと協業する際、マニュファクチュールとして技術的なアドバイスをすることはもちろんですが、私たちはむしろ精神的なアドバイザー、メンターに近い立場でアーティストを支えることを心がけています。その役割が大切だと考えているからです。そうした考えに基づいているのが、今回の工芸メンターシッププログラム『ONE OF NOT MANY CRAFTS PROGRAMME』なのです」

守るためには「更新」せよ

こうして作家たちは、それぞれの表現を腕時計という未知のスケールと条件にぶつけることで、新境地を切り拓いた。その成果は今後、さらに発展したかたちでそれぞれの創作へと反映されることだろう。では逆に、この協働はメゾンに何をもたらしたのか。

「私たちのひとつのゴールは、才能ある作家と組むことで、まず6本の新作を完成させることでした。そしてさらにその先へ、つまり現状にとどまらず、次のレベルへ進むことができると実証できた。ハードルがより高くなったとしても、それこそが今後も挑戦を続ける原動力になります。そして伝統的な技法であっても、コンテンポラリーでモダンなアプローチによって、さらに革新的なものへ進化させられることを示すことができたと思います」

伝統とは、過去の技術をそのまま保存することではない。異なる素材や技法、そして異なる世代の作り手と交わりながら、ときに既存のルールを組み替え、現在形へと更新していくプロセスそのものだ。今回の6本は、1755年の創業以来、自らの伝統に安住することなく継承と更新を続けてきたヴァシュロン・コンスタンタンが、その姿勢を現在形で示した作品といえる。

「ホモ・ファーベル」会場の最後に現れる壁一面には、鳥や昆虫、爬虫類などさまざまな生物の姿が描かれていた。それらはいずれも、保護を必要とする絶滅危惧種だ。そしてそこには、現代に生きる職人の技もまた、守り、受け継がなければ失われかねない存在であるというメッセージが重ねられている。

しかし工芸を次の世代へと繋いでいくためには、保守だけでなく、使われ、試され、ときには未知の領域へ連れ出していく必要がある。時間はまだ残されているが、それを未来へ手渡せるかどうかは、文字通り私たちの「手」にかかっている。

Edit: Maya Nago