生成AIの「失敗」にアーティストは何を見出すのか──「Veo 1」の残骸から生まれた新たな表現

生成AIの進化の陰で、役目を終えた旧モデルの創造物はどこへ行くのか。グーグルの動画生成モデル「Veo 1」が残した不完全な映像を、編み物や光、ダンスへと再構成する3人のアーティストの試みを紹介する。

カリン・ナカムラ《Labor of Light》(2016) Photo : Shanti Escalante-De Mattei(ARTnews)

生成AIによる動画生成モデルの進化は、この数年、あるシンプルなプロンプトを通して記録されてきた。それは、「ウィル・スミスがパスタを食べる」というものだ。

2023年、Stable Diffusionを用いて生成された初期の動画では、俳優のウィル・スミスが、怪物のような姿でパスタらしき塊を手で口に押し込んでいた。この動画において食べ物は滑り、変形し、伸び、周囲と融合したかと思えば、突然消えてしまうこともあった。それからわずか3年で、この実験はほぼ完成に近づいている。パスタは重力に従って自然に動き、フォークや皿、スミスの口といった周囲の物体とも適切に相互作用するようになった。

新しいAIモデルが次々と登場する一方、役目を終えた旧モデル、そしてそれらの学習過程で生成された動画は、一体どこへ行くのだろうか。

役目を終えた生成AIの記録

この問いを出発点とした展覧会「Post Generation」が、サンフランシスコのtiat galleryで開催中だ。本展で展示されているのは、3人のアーティストが、グーグルが2024年に開発し現在は利用されていない動画生成モデル「Veo 1」が生み出した映像のアーカイブをもとに制作した新作だ。

Veo 1は当初、社内利用に限って公開されていたが、その後流出した。当時の生成映像は、まだ技術が発展途上にあったことを如実に示している。生成できるのはわずか6秒の動画で、1本を作るにも長い時間がかかった上、ぎこちなく、シュールなものが多い。例えば、6本脚の馬が濡れた野原を駆け抜ける映像や、落ち葉の山で遊ぶ子どもたちのように見えるノイズの塊、手足が3本しかない人類の祖先のような生物がプールで泳ぐ映像などだ。

研究者たちはこうした動画を数十万本生成したが、やがてVeo 1の運用は終了し、後継モデルのVeo 2、Veo 3へと進化していった。これらはいずれも一般公開されているが、Veo 1による映像は広く共有されていない。

本展を企画したのは、グーグルのクリエイティブ・ラボでシニア・クリエイティブ・テクノロジストを務めるティナ・タリギアンだ。彼女は、旧モデルが使われなくなる背景についてこう説明する。

「こうしたモデルは膨大な計算資源を必要としますし、新しいモデルが登場するたびに処理速度も効率も上がります。そのため、古いモデルを維持し続ける理由を見いだすのは難しいのです。今ではVeo 1を使って動画を生成することはできませんし、そこで生成された映像も一般には公開されていません。そこで、役目を終えたモデルの残骸を使い何ができるだろうかと考えた結果、アーカイブをアーティストに託すことにしたのです」

タリギアンは、アーカイブの一部を振付家のゼリア・ZZ・タン、クリエイティブ・エンジニアのカリン・ナカムラ、ファイバー・アーティストのヘイリー・モーティンに共有し、それぞれに新作を依頼した。こうして生まれた展覧会は、テクノロジーの本質を問い直すマルチメディア作品群であると同時に、AIの発展過程を記録するアーカイブにもなっている。

左から、ヘイリー・モーティン、ティナ・タリギアン、ゼリア・ZZ・タン、カリン・ナカムラ

AIが生成した奇妙な「文字」を編む

ヘイリー・モーティンにとって、今回のデータを作品に取り入れることはこれまでの制作の延長線上にあった。彼女は以前から、AI生成画像や研究論文から引用した画像、その他のAIが生み出した痕跡をニット作品に取り入れてきた。

その背景には、かつてデータ・アノテーターとして働いた経験もある。データ・アノテーションとは、画像を分類してタグ付けし、AIモデルが対象を認識し、正しく識別できるようにする作業だ。AIの発展を支える重要な仕事である一方、その労働は日の目を見ない。

「単なるデータ入力の仕事だと思っていました」と当時を振り返るモーティンは、「大学を卒業直後の2018年当時、わたしはAIが何なのかも分かっていませんでした。でも、お金が必要だったんです」と続ける。

その後2年にわたり、彼女はCAPTCHA認証のテストを解いたり、画像に写っている物や人物をラベル付けしたりする仕事に携わった。そこには、写真の人物がどのような感情を表しているかなど、より主観的な判断を伴う分類も含まれた。Veo 1が生み出した映像も、こうした人間の労働に支えられたAI開発の延長線上にある。

今回のアーカイブを検討するなかで、モーティンが注目したのは、Veo 1が生成した奇妙な文字のような形だった。彼女は説明する。

「モデルが生み出した意味不明なものには、2つの種類がありました。文字のような形をした記号と、空虚なフレーズです。こうした画像生成モデルは、大規模言語モデル(LLM)のようにテキストを学習するわけではありません。テキストをひとつのテクスチャーとして学習するのです」

この発見からモーティンが想起したのは、18世紀の女性たちが制作した刺繍の見本帳だった。当時、若い女性たちが文字に触れる最初の機会は、インクと紙ではなく、刺繍であることが多かった。それは、文字を縫う練習を通して、家族の歴史を記録する行為でもあった。

こうした着想から生まれた《Soup Is Made of Water(10 Samplers)》(2026)は、Veo 1が生成したさまざまな文字化けの形を、10点のニット作品として再構成したものだ。白と黒の糸で編まれた作品には、ループを描く落書きのような線や、「beauty(美)」と書こうとしているようにも見えるカリグラフィー風の文字(「b eurt」)と、護符のような奇妙な幾何学図像が見て取れる。これは、テキストが生み出される歴史と、それを保存しアーカイブ化する実践についての考察ともいえる。

本作では、18世紀の女性たち、現代の機械、そして機械の学習過程の分析と記録を試みるアーティストという、異なる主体による言語習得と歴史の形成が交差する。モーティンはそれらの関係を巧みに結びつけながら、既存の構図を反転させている。

光とノイズで浮かび上がる、AI生成の舞台裏

カリン・ナカムラもまた、タリギアンからの依頼を受け、Veo 1をはじめとする生成モデルの研究史を探求する作品を制作した。その結果生まれたのが、複数の映像技術をひとつの作品に組み合わせたものだ。

《Labor of Light》(2016)では、さまざまな技術が寄せ集められ、映像制作の歴史をたどるある種の祭壇が立ち上がる。2本のケーブルから吊り下げられた白い装置からは、安定しているかのように見える光の筋が放たれる。しかしその明滅の中には、スローモーション映像を撮影するための高速写真技術の開発を、マサチューセッツ工科大学(MIT)のハロルド・エジャートンが解説する映画《Quicker ’n a Wink》(1940)のアナログ信号が含まれる。

光の筋の先に設置されたプロジェクターから投影されるのはVeo 1が生成した動画のコラージュで、鮮やかな色彩のノイズの中から、個々の映像が浮かび上がる。ナカムラが作品に取り入れたRGBノイズは、ノイズの中から徐々に像を浮かび上がらせる生成AIの仕組みを反映したもの。映像が投影される布の下には、パテで固定された小さな爪楊枝が並び、その上には、拡散モデルをはじめとする現代のAI生成技術の発展を支えてきた重要な研究論文のプリントが置かれている。ナカムラはこう説明する。

「画像が生まれるプロセスも、映像や映像システムの仕組みも、私はとても美しいと思っています。そこには多くの技術や、制作に携わる人々の工夫があるのです」

彼女は、そこに美を感じる一方、技術の進歩の速さゆえに内部の仕組みがかえって理解しにくくなっていることを懸念しているという。仕組みが見えにくくなれば、人々が自ら手を加えたり、創造的に関わったりする余地も狭まりかねない。そのため、ナカムラの作品では、Stable Diffusion 1.5のような旧世代のモデルに見られる不具合や、生成の過程で生じる不完全さが積極的に扱われている。

「Stable Diffusion 1.5が好きなので、ときどき、私はラッダイト(*1)になっているのだろうかと思うことがあります」とナカムラは続ける。「そもそも、今の時代における進歩とは何なのでしょうか」

*1 産業革命期のイギリスで、機械の導入に反対し、機械を打ち壊した労働者の運動家であるネッド・ラッダイトにちなみ、新しいテクノロジーの導入や発展に反対・警戒する人を指す。

技術の進化を身体表現から考える

3人のアーティストの試みは、現在と未来に対する悲観的な見方が広がるなか、驚異的な速さで進化を続けるテクノロジーと対峙することだ。しかし、進歩とは「絶えず加速し続けること」だと捉えられる現代において、立ち止まることは時代に取り残されることを意味しかねない。

振付家のゼリア・ZZ・タンは、この緊張感を身体表現を通して探っている。彼女は10月8日の展覧会オープニングで、約10分間のダンスパフォーマンスを披露した。振付とアニメーションのアバターを組み合わせ、Veo 1が生成した映像に現れる身体の動きやジェスチャーを再解釈する作品だ。

「アーカイブを調べ始めたとき、私は言葉だけでなく、動きを手がかりに映像を探しました。生成された身体、実際の身体、そして計算によって構成される身体の間には多くの共通点があり、どのような動きが可能かを規定するルールが存在することに気づいたからです」

こう説明するタンにとって、生成された身体の動きの制約に従いながら踊ることは、自らの脆さと向き合う経験でもあったと明かす。

「身体を持ち、その場に存在する。それは本当に特別なことです。高度な訓練を積んだ技術を披露できなくてもいい。舞台の上で耳を澄まし、ためらい、何かが起こるのを待つ。そうした時間も、パフォーマーとして、その場にいることの大切な意味なのです」

(翻訳:編集部)

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