テクノロジーの秩序はどこまで歪められるのか──ティシャン・スーが探求するAIと身体性

1980年代の半ばから、技術革新が人間の意識や身体に与える影響を探求してきたティシャン・スー。その一種不気味な絵画や彫刻は、テクノロジーとの関係の中で人体を再解釈して表現するものだ。現在、ニューヨークリッソン・ギャラリーで個展を開催中(2026年1月24日まで)のスーに、テクノロジーと身体について話を訊いた。

Tishan Hsu, skin-fur-mesh-blue (detail), 2025. ©2025 North First Studio/Artists Rights Society (ARS), New York/Courtesy Lisson Gallery
ティシャン・スー《skin-fur-mesh-blue(detail)》(2025) Photo: ©2025 North First Studio/Artists Rights Society (ARS), New York/Courtesy Lisson Gallery

ティシャン・スーは、1980年代に早くも未来を予見していた。その頃、彼が制作していたのは、歪んだスクリーンやねじれた身体の部位のような彫刻的要素のある抽象絵画だが、当時それと似たものといえば、デヴィッド・クローネンバーグ監督のボディ・ホラー映画くらいしかなかった。しかし、日常生活にデジタル技術が完全に溶け込んだ今、スーの絵画は──初期の制作物から最近の作品まで──奇妙なほど馴染みのあるものに感じられる。

74歳になるスーが最近いっそう関心を集めるようになったのは、おそらくそれが理由だろう。2020年に美術館では初めての回顧展がロサンゼルスのハマー美術館で開催され、その2年後にはヴェネチア・ビエンナーレへの初参加を果たした。このときスーは、紫色のシリコンでできた立体的な顔が取り付けられたテーブル状の構造物など、印象に残る作品を出品している。チェチリア・アレマーニのキュレーションによるテーマ展示に参加した存命作家の中でスーはかなり年長だったが、彼は若い世代の作家に混じって身体の新たな可能性を探求する作品を創造した。

その後もスーは、そうした成功に安住するどころか、ますます異様さを増した作品を生み出している。それを目にできるのが、最近リッソン・ギャラリーに所属した彼が同ギャラリーで初めて開いた個展だ(2026年1月24日まで)。ニューヨークで開かれているこの展覧会には、皮膚と気孔の融合を思わせる絵画や、臓器と草が一体となって流動する映像作品のほか、深い穴が穿たれた胴体のように、一目見たら忘れられないイメージが一面に展開する巨大なプリント作品などが展示されている。そうした作品からは、スーが最近制作に導入したAIを、シュールなイメージを生み出すためのツールとして冷静に使いこなしていることが窺える。

展覧会の設営スタッフが草の画像をスーのパソコンからゲームエンジンに取り込んで、新しい映像作品の最終調整を行う間、スーはAIがどのようにして自身の作品に新たな表現言語をもたらしたのか、US版ARTnewsに語ってくれた。以下、そのインタビューをお伝えする。

AIは「人間が生み出したものだが、どこか距離がある」異質な存在

──いつ頃からAIを使い始めたか覚えていますか?

ChatGPTが普及し始めた頃で、昨年か一昨年だったと思います。アドビが積極的に推していて、フォトショップを開くと「新機能の生成AIを試してみませんか? ベータ版のテストにご参加ください」と表示されるんです。ユーザーに実験台になってほしいということだったので、割とすんなり使い始められました。AIが生成した画像の奇妙さには目を見張るものがあり、それがアーティストやイメージに大きなインパクトを与えることは明らかでした。まさに「いったいこれは何なんだ?」という感覚です。AIが出てきたことで作品の意味するところも変わりました。AIを使っていなければ、今話しているようなことは言えなかっただろうと思います。

AIが生成する画像には人を惹きつける魅力がありますが、私はそれをジャッジしないよう心がけています。それを人間の主観で判断しない方がいいと思うからです。これら(のイメージ)は必ずしも人間に属していません。それは私たちに似ていますが、異質な感じがします。そして、それこそがまさにテクノロジーの本質です。AIは奇妙かつ強力な存在で、必ずしも私たちと同じではない。だから、人間が生み出したものではあるけれど、どこか私たちと距離があるのです。

──多くのアーティストは、自身が制作した画像をAIに読み込ませることに強い懸念を抱いています。あなたはAIで生成した画像を手作業で修正していますが、そのことで機械から主導権を取り戻せていると思いますか?

制作中はそうした問題について意識していません。ただ、私はとてもアナログな表現方法を用いています。私が取り組んでいるドローイングやペインティングはレトロな手法だと見なされますが、そうした手法を使い続けながら、新たな画像生成技術も取り入れようとしているのです。

それに、さまざまな表現媒体を横断的に用いているので、ドローイングの図柄が板絵やカンバスの油彩画の中に現れることもしばしばです。たとえば2001年頃の作品には、スチールメッシュを撮影した画像を身体や皮膚の上に重ねたものがありました。私は手を使って描くのが好きなのですが、新作にもこのメッシュの図柄が残っています。ただ、今は金属メッシュを使わず、全てグラファイトを用いたアナログな手法で描いていて、それを撮影した画像をデジタル加工して絵に取り入れています。コンセプチュアルに解釈するとしたら、こう言えるかもしれません。私の身体は制作過程を通して作品に組み込まれているので、身体そのもののイメージはもはや不要だと。

ティシャン・スー《ears-screen-skin with casts: New York (Lisson)》 Photo: ©2025 North First Studio/Artists Rights Society (ARS), New York/Courtesy Lisson Gallery

「身体の問題が消えることはない」

──メッシュが歪められていなければ、グリッドとして見ることもできますね。そしてグリッドは、あなたが若手の頃に流行していたミニマリズムを連想させます。あなたの作品はミニマリズムと関係がありますか?

ミニマリズムやポストミニマリズムが試みていたことに、私自身も根ざしていると感じています。ここに展示しているモニターのような板絵を考案した当時は、今あるタイプのスクリーンは存在せず、ブラウン管のテレビしかありませんでした。私が強く惹かれたのは、フランク・ステラの「ブラック・ペインティング」シリーズが持つ知的な誠実さでした。壁に掛けられた作品それ自体に、物体としての存在感があるからです。

それに、私は別の世界へ通じる窓としての絵画の性質を打ち破りたいと思っていました。(作品の枠を真四角ではなく)曲線的にすることで、絵は「もの」に近づき、オブジェとしての存在感が増します。しかし、逆説的ではありますが、同時にイルージョンの効果が強調されて、それはオブジェでありながら、オブジェのイルージョンでもあるという感覚が生まれます。リアルなのか、それともイメージなのか判然としなくなるのです。私の作品が一見するとそれとは正反対だと感じられる、無彩色のミニマリズムから生まれたと見るのは面白いと思います。ミニマリズムの作家たちが同意してくれるかどうか分かりませんが、私にとっては明確な関係性があります。

──あなたの作品は、秩序の崩壊も感じさせます。新作の《skin-fur-mesh-blue(皮膚-毛皮-メッシュ-ブルー)》ではシリコンの突起がグリッド状に並んでいますが、画面から飛び出ている角度は統一されておらず、形も不揃いで、完璧なオブジェではありません。

ミニマリズムの知的な概念とは別に、有機的なものや身体という現実世界の感覚があります。私はむしろテクノロジーが持つ秩序を歪めることに関心があり、意図されない漏れや不具合を見つけようとしています。テクノロジー空間に有機性が入り込んだ状態を表現しようとしていて、おそらくそれはミニマリストや科学技術の専門家が考慮してこなかった点だと思います。

彼らはテクノロジーによる超越を目指していて、技術とそれがもたらす秩序によって身体に関する問題を全て解決できると考えていました。私はそれに懐疑的で、身体の問題が消えることはないと思います。それと同時に、テクノロジーが支配的になった今日の世界では、また別の問題が生じています。今はどちらか一方ではなく、両方の問題が同時に存在する状態なのです。

ティシャン・スー《stomata-skin-3》(2025) Photo: ©2025 North First Studio/Artists Rights Society (ARS), New York/Courtesy Lisson Gallery

「全ての人がスープの中でつながっている」ビジョンを可視化

──こうした作品を作っているときは、自分の身体について考えているのでしょうか。それとも他者の身体についてですか?

作っていくうちに、身体は抽象化されていきます。しかし、ここで言う抽象化とは、現代の私たちの生き方に根差した抽象化です。制作を始めたばかりの頃には、また別の在り方を思い描いていました。私たちの身体がスクリーンの向こう側に突き抜け、実態のない空間であるインターネットを突き抜けるという発想です。全ての人が物理的に1つの場所を占める1つの身体を持つ代わりに、奇妙な液状スープの中でつながっている──そうした身体に関する詩的なビジョンをどう可視化できるかが今回の制作全体の構想でした。実際のところ、今私たちがしているような議論は、25年前にはできませんでした。こうした考えは、長い時間の経過とともに出てきたもので、今、自分の作品の本質が見えてきたところです。

──とはいえ、1980年代には既にデヴィッド・クローネンバーグの作品や『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』のような映画があって、それらを通じてこうしたことが議論され始めていたと思いませんか?

確かに、80年代からクローネンバーグの名前はよく出ていましたし、小説や音楽の世界でもこうした概念は取り上げられていました。しかし私の主な関心は、それをいかに可視化するかだったので、コンセプチュアルになりすぎたくなかったのです。

ティシャン・スー《skin-screen: emergence (quadriptych)スキン・スクリーン:エマージェンス(四連作)》(2023) Photo: ©2025 North First Studio/Artists Rights Society (ARS), New York/Courtesy Lisson Gallery

──2023年の作品《skin-screen: emergence (quadriptych)(皮膚-スクリーン:出現 [四連作] 》には、医療用スキャンのような画像が用いられています。これは誰の身体の画像なのでしょうか?

犬の頭蓋骨と人間の頭蓋骨をAIで組み合わせたものです。この作品ではさまざまな哺乳類を組み合わせ、種の間に連続性を持たせています。(頭蓋骨の画像の下にあるのは)友人のへそで、そこに豚の皮膚の画像を加えたところ、AIはまるでそれが身体から生え出てきているかのような画像を作りました。2年ほど前に私が使い始めた頃のAIはまだ質が良くなくて、生成される画像の95%から99%はまったく使えませんでした。この作品を作る際にAIが最初に出してきたのは人体の上に豚を乗せたような画像でしたが、色々試すうちにこうした不可思議な画像が生成されるようになりました。

テクノロジーはとても暴力的で、同時にたまらなく魅惑的

──あなたの作品を不気味だと言う人は多いですし、今回の展覧会を見たら震え上がる人もいるかもしれません。あなたはご自身の作品を怖いと思いますか?

思います(笑)。正直な話、アシスタントと一緒にAIで画像を生成していて「これはあまりに生々しすぎるから、使うのをやめよう」ということもあります。AIソフトによっては、プロンプトに対して「できません」と拒否されることもあるので、言い回しを変えたりして工夫しています。反応が返ってくるまで長い時間待たされることも多く、身体の画像を扱うことに対してAIには強い抵抗があるように感じますが、それもある程度理解できます。

この作品《ears-screen-skin with casts: New York (Lisson)(耳-スクリーン-皮膚とギプス:ニューヨーク [リッソン] )》(幅約16メートルのプリント作品)にはAIによる画像がたくさん使われているのですが、鑑賞者に嫌悪感を抱かせるのではないかと心配しています。ある意味で試金石のような作品かもしれません。私自身もこの作品を不気味だと感じますが、これは私たちが知らず知らずのうちにテクノロジーから受けている影響が非常に重大なものであることを表現しています。それはとても暴力的ですが、同時にたまらなく魅惑的でもあります。思うに私たちは、自らの身体にショックを与えているのかもしれません。でもこのままいけば、未来の人々はこれを見てショッキングだとは思わないかもしれません。ずっとそうした世界で生きているのですから。

私は臓器移植を受けたのですが、自分がそんな経験をするとは思いもしませんでした。友人たちは、移植を受けたことで私が別の種に変化するのかどうか興味を持っていました。それは彼らが臓器移植の影響について具体的な知識を持っていなかったからで、私にとってもそれは同じでした。ところが実際に経験してみると、ある意味あまりにもありふれた、単純なことだったので非常に驚きました。私は身体に対する衝撃を生き抜き、技術と医療研究の成果を身をもって体験したのです。現在は遺伝子を改変したブタの臓器を人体に移植できるようになりましたが、そうしたことはますます一般的になるでしょう。私たちは今そういう世界に生きています。それは遠い未来の話でもなく、SFの世界の話でもないのです。(翻訳:野澤朋代)

ティシャン・スー Photo: ©2025 Tishan Hsu/Artists Rights Society (ARS), New York
ティシャン・スー。Photo: ©2025 Tishan Hsu/Artists Rights Society (ARS), New York

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