赤ちゃん人形を返却したあとで──ヴェネチア・ビエンナーレ日本館「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」【EDITOR’S NOTES】

「あこちゃん」と呼ぶことにした5キロの赤ちゃん人形を抱きかかえ、おむつを替える──その体験は、ケアへの想像力をどこまで開くのか。ヴェネチア・ビエンナーレ開幕前に日本館代表作家、荒川ナッシュ医にインタビューした筆者が現地での体験をレポートする。

Japan Pavilion at La Biennale di Venezia 2026
第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館 荒川ナッシュ医「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」展示風景(2026年) 撮影:Uli Holz 提供:国際交流基金

今月初旬、ヴェネチア・ビエンナーレを訪れた。滞在時間は約1.5日という弾丸だったが、どうしても荒川ナッシュ医の日本館を見ておきたかった(話題のオーストリア館は残念ながら閉まっていた)。

オンラインミーティングを終えてジャルディーニに到着したのは、オープンから1時間が経過した午前11時ごろ。学校の課外活動でやってきたと思われる小学生や高校生の団体、欧米の観光客など、会場にはすでに多くの来場者が集まっていた。結局のところオープニング以外は正式に開くことのなかったロシア館(しかし扉には映像作品が投影されており、窓越しには展示物が見えた)を通り過ぎ、日本館に到着すると、すでに「抱っこ待ち」の行列ができていた。列をなす人々は、明らかに期待に胸を膨らませている。一方の私は、開催前の作家本人へのインタビューを経てもなお、抱っこしたい気持ちが芽生えるのだろうかという不安と冷ややかさの入り混じる複雑な気持ちが拭えなかった。しかし、とにかく体験してみないことにはわからない。

日本館のピロティで「赤ちゃん捌き」を担当していた若い女性に、「あなたはこの子ね」と指差しであてがわれたのは、褐色の肌の赤ちゃんだった。抱き上げると、聞いていた通りずっしりと重い。どうやって重量を出しているの? と尋ねると、その若い女性は「お腹に砂の袋を入れてるの」と教えてくれた。よっこらしょ、と抱く体勢を整えると、我が子を抱っこしていたときの感覚が身体の中から勝手に蘇る。ふと、娘がまだ「赤ちゃん」に属する月齢から一緒に育ち、どこに行くにも連れ回していた赤ちゃん人形の「あこちゃん」を思い出したが、当時の娘にとって、あこちゃんは(お腹に砂は入っていなかったけれど)とても重かったのかもしれない。日本館内で暮らす約200体の赤ちゃんたちの例に漏れず、私のあこちゃん(ここからはそう呼ぶことにする)もJINSから提供されたミラーレンズのサングラスをかけていたが、そこに映る微妙な表情の自分に気づき、思わず苦笑いがこぼれた。

「あこちゃん」を抱き抱える筆者。Photo: Maya Nago / ARTnews JAPAN

階段を上り上階に到着すると、赤ちゃん抱っこを楽しみながら、空間中に設置された赤ちゃんたちを眺める参加者たちの、どこか浮き足だった様子に対し、複雑な気持ちを抱えたままの自分に居心地の悪さを感じる。インタビューで「赤ちゃんのかわいさや純粋さが、出産や子育てをめぐる様々な問題を覆い隠し、無批判な共感を強いる可能性もあるのでは?」と作家に聞いた際、本人も「アミューズメントパーク的なかわいさ」一色になる懸念を打ち明けた上で、かわいさだけでは語れない両義的な感情に場を開き、人形のリアルな重さもそのために作用してほしいと話してくれたが、私の目の前に広がっていたのは、リアリティに欠けた「ごっこ遊び」の世界だった。おむつに付されたQRコードを読み込もうと、皆、嬉々としておむつ替えの台を目指しているが、実際におむつを完全に取り外し、丁寧におしりを拭き、新しいものに交換するわけではない。ここで体験できるのは、あくまで「ふり」だ。気持ちの乗らない自分を鼓舞し、わたしもやってみたが、硬直し空を見るあこちゃんになぜか申し訳ない気持ちになり、QRコードの写メが終わるとコソコソとオムツを元通りに締め直した。

会場の壁には、作家が選んだ57の日付(オムツのQRコードを読み込んだ先に表示される日付も、このうちのどれかだ)と、それらを選んだ理由が、作家がインタビューで話していた通り、「I」を主語、「feel」を述語として、英語とイタリア語で説明されていたが、文字の色が薄く、読むのに苦労した。あこちゃんのおむつに付されたQRコードを読み込んで現れた日付は、1919年3月1日、韓国の三一独立運動(サミル独立運動)記念日(韓国では三一節 / 三一運動)だった。壁の説明には、「I feel determined to remember this significant day for the Korean Independece movement」とだけ書かれてあり、ネットですぐに調べると、当時、日本の植民地支配下にあった朝鮮半島で33人の民族代表が「独立宣言書」を朗読したことをきっかけに始まった、最大規模の非暴力・反日独立運動のことだとわかった。QRコードの先に表示される石井ゆかりによる詩も、「自由と革命」がテーマだった(個人的に、この詩は蛇足だと感じた)。

おむつに付されたQRコードに表示される日付。Photo: Maya Nago/ ARTnews JAPAN
日付が表示されたあとに表示される、石井ゆかりによる詩。Photo: Maya Nago/ ARTnews JAPAN
ヴェネチア・ビエンナーレ日本館「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」展示風景。Photo: Maya Nago/ ARTnews JAPAN

中には、会場入り口に設置されたモニターに映る、荒川ナッシュと双子がiPadで映画を見る様子を映した荒川ナッシュ医と斎藤玲児による映像作品《Twins’ First Films》(2026)を赤ちゃんを抱えながら熱心に見る人、壁にくり抜かれた穴の先に投影される1995年の日本館代表作家、チェ・ジェウン(Jae-Eun Choi)による《Cycle》(1995/2007)に気づく人(「気づく」という表現をあえて選びたくなるほどさりげなく存在している)、あるいは、壁の日付を丁寧に読む人もいたが、とくに赤ちゃん抱っこを体験する参加者の多くは、楽しそうに空間内を歩き回り、オムツ替えごっこをし、セルフィーがひと通り終わると階下に降り、赤ちゃんを返却して次のお目当てパビリオンに移動していった。

しかし最後まで、私自身の複雑な気持ちが消えることはなかった。むしろ、強まったとさえ言える。自分の腕の中にいるのはあくまでプラスチックと布でできた、ずっしり動かぬあこちゃんであり、感情移入などできるはずがない。こちらの都合とは無関係に泣いたりのけぞったりして何かを求めてはこないし、万が一落っことしても怪我しないのは明らかだ。あこちゃんの顔には白い汚れがついていたが、シャツの袖でゴシゴシ拭いても落ちなかったので諦めた。あこちゃんを抱き抱え、歩き回る体験と本当の育児のあいだには、埋めようにも埋まらない巨大な溝がある。しかしもしかすると、その巨大な溝こそが、子育てをはじめとするケアという労働やその担い手に対する、社会のリアルなのかもしれない。その溝はどう埋めることができるのか。少なくとも、そんな問いだけが最後まで残ったのは確かだ。

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