バスキアの妹2人が手掛けた大規模展──企画の意図や兄の思い出を語る

ジャン=ミシェル・バスキアの2人の妹、リサーン・バスキアとジェニーン・ヘリヴォーが企画した「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure(ジャン=ミシェル・バスキア:キング・プレジャー)」展がニューヨークで開幕した。バスキアへのオマージュでもあるこの大規模展覧会には、これまでほとんど展示されてこなかった約100点の絵画と素描が含まれている。

「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure(ジャン=ミシェル・バスキア:キング・プレジャー)」展(2022)。会場のスターレット=リーハイ・ビルにて Photo: Ivane Katamashvili「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure(ジャン=ミシェル・バスキア:キング・プレジャー)」展(2022)。会場のスターレット=リーハイ・ビルにて Photo: Ivane Katamashvili

ウェストチェルシーのスターレット=リーハイ・ビルで4月9日に始まったこの展覧会は、有名建築家のデビッド・アジャイ卿が会場設計を担当。ブルックリンにあるバスキアの実家や、有名なグレート・ジョーンズ・ストリートのスタジオを映画のセットのように再現している。会場を訪れると、パリのカルナヴァレ博物館のマルセル・プルーストの寝室や、ポンピドゥー・センターのブランクーシのアトリエに行った時のように感じる。

会場には、バスキアの人生を彩ったさまざまな物が展示されている。その1つが、1960年12月22日付の出産報告カードだ。「私たちの赤ちゃんの名前はジャン=ミシェル」と手書きされ、体重は2770グラムと記されている。そのほかには、荷物入れや錆びたチェーンが付いたままの10段変速の自転車、そして数多くのLPレコード、美術書、アフリカの彫刻などが並んでいる。

ジャン=ミシェル・バスキア《Charles the First(チャールズ1世)》(1982) ©The Estate of Jean-Michel Basquiat, Licensed by Artestar, New Yorkジャン=ミシェル・バスキア《Charles the First(チャールズ1世)》(1982) ©The Estate of Jean-Michel Basquiat, Licensed by Artestar, New York

絵画やドローイングも多岐にわたる。たとえば、窓枠にはめ込まれたガラスの上にアクリル絵具で描かれた《Untitled (Asbestos Flats Fix)(無題〈アスベスト、タイヤ修理〉)》(1982)や、見るものを釘付けにする《Kalik(カリク)》(1988)などだ。後者は、スカイブルーの背景に、白い文字で「マラーの死」という予言の言葉が書かれ、飛行機やフランスの革命家ジャン=ポール・マラーの横たわる姿が描かれている。マラーの死は、ジャック=ルイ・ダヴィッドが1793年に描いた有名な絵画の題材でもある。また、紙に描かれた未発表の作品《Untitled (Miles Davis)(無題〈マイルス・デイビス〉)》では、小さな黒い頭が画面の真ん中に、飛んでくる小惑星のように描かれている。

展覧会タイトルは、50年代のジャズシンガー、キング・プレジャーの名前に由来している。彼の1952年のヒット曲「ムーディーズ・ムード・フォー・ラブ」は、ジャン=ミシェルの父、ジェラルド・バスキアが好きだった曲だという。それくらいこの展覧会は、バスキア一家の思いが詰まったものなのだ。

「キング・プレジャー」展の会期は9月5日(月)まで。入場料は平日38ドル、週末45ドル。展覧会には特設ショップ「キング・プレジャー・エンポリアム」が付帯している。なお、マディソン街のギャラリー、ナーマド・コンテンポラリーでも、バスキアの個展「Art and Objecthood(アートと客体性)」が6月11日まで開催中。ディーター・ブッフハートがキュレーションを担当するこの展覧会には、48点の作品が出展されている。

ARTnewsは「キング・プレジャー」展について、リサーン・バスキアとジャニーン・ヘリヴォーに話を聞いた。取材場所は、展覧会場に再現されている往年のナイトクラブ、パラディアムのマイケル・トッドVIPルーム。かつて、バスキアが描いた巨大な絵《Nu-Nile(ニュー・ナイル)》と《Untitled(無題)》が飾られていた場所で、今回再現された部屋にもこの2点が展示されている。

「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure」展(2022)より Photo: Ivane Katamashvili「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure」展(2022)より Photo: Ivane Katamashvili

──ブルックリンでの子ども時代はどんな感じでしたか?

リサーン・バスキア:ごく普通の子どもでしたよ。土曜の朝はアニメを見たりね。最初はブルックリンのフラットブッシュに住んでいて、その後ボアラム・ヒルに引っ越したんです。日曜日には父がブランチを作ってくれて、フレンチトーストやらパンケーキを食べてましたね。私たち3人はいつも仲良しで、みんなと同じように外で遊ぶことも、家の中で遊ぶこともありました。

──ジャン=ミシェルがアーティストだと気づいたのはいつですか? 最初からそうだったのでしょうか。

リサーン: 8歳か9歳の頃、絵が好きな兄弟がいたと想像してみてください。まあ、そんな感じで、当時は彼が20世紀を代表する画家になるとか、ポップカルチャーや音楽まで、世界中のクリエイターに影響を与えることになるとか、そんなことは考えていませんでした。ただ、兄は全てにおいて、ものすごくクリエイティブでしたね。

「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure」展(2022)より Photo: Ivane Katamashvili「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure」展(2022)より Photo: Ivane Katamashvili

ジェニーン・ヘリヴォー:兄は小さい頃から紙やスケッチブックによく絵を描いてました。10代になってもずっと。17歳の時のスケッチブックが残っていますよ。彼は、物事への向き合い方や、生活の全てにおいて、とにかくクリエイティブだったんです。バナナの皮やピーナッツの殻をオーブンに入れて焼いたらどうなるだろうと考えるような。いろんなことを追求し、発見するのが大好きだったんです。思いついたことは何でも試してみて、自分が作りたいものは何なのかを突き止める、行動的な人でしたね。とにかく心に浮かんだことは全部行動に移すタイプで、成長してもそれは変わりませんでした。

──遺産管理に関わることになるのは前から分かっていたのですか?

ジェニーン:父は、自分の死後に私たちが仕事を引き継げるよう準備を進めていました。父が亡くなったのは2013年ですが、そんなに早く亡くなるとは誰も予想していなかった。だから、遺産管理については父からいろんな話を聞いてはいたものの、毎日会ってちゃんと引継ぎを受けたわけではありません。父は、私たちにそれぞれの人生があることを尊重してくれて、子育てや、キャリアを築く機会を与えてくれました。

2013年に、私たちはいったん他のことを脇に置いて、この仕事に意識を集中させることになりました。そして、引き受けた仕事の大きさに気づいたというわけです。父と一緒に働いてきた義母のノラ・フィッツパトリックが、この世界について私たちが理解を深められるよう導いてくれたんです。私たちは、すばらしいチームに恵まれ、やるべきことにスピード感を持って取り組むことができた。そして、すでにある基盤の上に、私たちが必要だと感じたもの、私たちやジャン=ミシェルにふさわしいものを付け足していきました。

「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure」展(2022)より Photo: Ivane Katamashvili「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure」展(2022)より Photo: Ivane Katamashvili

──この展覧会の企画・制作には、どのくらい時間をかけたのでしょうか。また、これほど豪華な演出をすることになった経緯についても教えてください。

リサーン:順を追って説明しますね。 1988年にジャン=ミシェルが亡くなり、私たち家族は混乱に陥りました。最初に浮上した問題は、ジャン=ミシェルの遺産を守り、管理することです。管理は亡くなるまで父がやっていましたが、普段、私たちが何気なく話していたのは、多くの作品が保管されたまま日の目を見ていないということ。その一方で、ジャン=ミシェルの作品に深い関心を寄せ、ぜひ見たいと強く願っている人たちが大勢いることも分かっていました。父の死から何年か経ったある時、義母がふと、これらの作品を見てもらえたらいいねと言ったんです。

それで私たちは、2017年にその可能性を探り始めました。そして、世の中がコロナ危機や政治的対立の真っ只中にあった2020年の夏に再びその考えを温め始め、ISGプロダクションズのアイリーン・シェパード・ギャラガー(展示プランナーで元美術館キュレーター)に連絡を取ったんです。

──これは美術館的な回顧展だと考えていますか?

リサーン:いいえ。私たちは、兄の歩んだ道と、その人生の個人的な記録だと捉えています。もっと深くジャン=ミシェルのことを知りたいと、いつも声をかけてくれる人たちに対する私たちの答えだと考えています。

ジェニーン:学術的な展示、美術館やギャラリーのような展示ではなく、体験できる展覧会にしたかったんです。1人の人間として、兄弟として、息子として、甥として、孫としてのジャン=ミシェルを感じてもらうこと。それが私たちの最大の目標でした。会場に足を踏み入れた瞬間から、彼の生涯に浸ってもらえるようにしたいと考えました。

「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure」展(2022)より Photo: Ivane Katamashvili「Jean-Michel Basquiat: King Pleasure」展(2022)より Photo: Ivane Katamashvili

リサーン:これは家族愛から生まれたもので、私たち自身がジャン=ミシェルと歩んできた道、バスキア家に生まれた子どもとして3人で歩んだ人生を振り返る作業だったんです。だから、他の誰かにやってもらうものではなく、展示物はすべて私たち自身で決めました。ここにあるのは、数十年ぶりに公開される作品です。私たちはキュレーターではなく、彼の妹であり、家族です。すべての作品は私たちのものであり、私たちのコレクション。ジャン=ミシェル以外のアーティストによる作品は、アンディ・ウォーホルによる4つの作品、ジャン=ミシェル、父、母、ジェニーンの肖像だけです。

──伝説の中のジャン=ミシェルは、ドレッドヘアでドラッグに溺れてしまった破天荒な人物として存在します。このような人物像が全てではないということでしょうか?

リサーン:ドレッドヘアで歩き回っていて、タクシーも捕まえられない。彼は、とても強烈で美しい芸術家でした。ジャン=ミシェルが育ったのは、非常に強く、情熱的な家庭です。移民の父とプエルトリコ人の母の間に生まれた息子だった。

ジェニーンも私も、兄が亡くなる1カ月以内に彼に会って、話をしています。確かに様子がおかしい時もあったけど、旅をしたり、絵を描いたり、そういうことはできていました。テレビのリアリティー番組なら、彼の生活を変えるよう干渉したのでしょうが、そういうことはしませんでした。(翻訳:野澤朋代)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年4月14日に掲載されました。元記事はこちら

  • ARTnews
  • CULTURE
  • バスキアの妹2人が手掛けた大規模展──企画の意図や兄の思い出を語る