アートを通じて知を育む、視野を広げる──「MYNAVI ART SQUARE」の可能性

大手人材・広告企業で知られる株式会社マイナビが東京・銀座に新たなアート施設「MYNAVI ART SQUARE」をオープンした。就活や転職の支援を通じてこれまで株式会社マイナビが培ってきた「つながり」の技法をアートへと転用しながら学生や社会人、若手アーティストを支援しようとするこの取り組みは、一体どんなポテンシャルを秘めているのだろうか。

「MYNAVI ART SQUARE」のエントランスを抜けると、開放的な空間が広がる。

これからの社会にはアートが必要

2023年7月、東京・銀座の歌舞伎座タワーに新たなアート施設「MYNAVI ART SQUARE(マイナビアートスクエア)」(以下、MASQ)がオープンした。その名のとおり、本施設を立ち上げたのは就職・転職・進学情報を扱う大手人材・広告企業の株式会社マイナビ(以下、マイナビ)だ。日本中で就活・転職イベントを行っていることで知られる株式会社マイナビがなぜアート施設を?と思われる方も多いかもしれないが、これからの社会において何が重要になるか考えていくなかで、同社はアートに注目したのだという。

「今年、経済産業省の『アートと経済社会について考える研究会』も報告書を発表していましたが、AIやロボットも発展し社会が急速に移り変わるなかで、人間にしかできない仕事を考えるためにはアートがもつ力を学ぶ必要があると感じていました。とくにマイナビは常に5〜10年後の経済を背負うことになる学生さんと接する機会も多いですし、これからの社会にどうやって貢献すべきか考える必要がありました。MASQでは、アートはもちろんのこと、ビジネスにもつながるようなプログラムを展開していこうと考えています」

アート施設「MYNAVI ART SQUARE(マイナビアートスクエア)」のこけら落としの展覧会「Happy Birthday」の様子。

マイナビ執行役員の落合和之がそう語るように、MASQは単にアーティストを紹介したり美術展を開いたりするだけでなく、人々の多様な働き方や自分らしい生き方のナビゲートを目的とし、アート思考を軸に従来のアートシーンとは異なる方向に広がりをつくることを目的としている。本プロジェクトのアドバイザリーボードを務める4名が美学者の伊藤亜紗、編集者/キュレーターの塚田有那、情報学研究者のドミニク・チェン、キュレーター/プロデューサーの山峰潤也と狭義の「アート」に留まらず幅広い領域から招聘されていることもその姿勢を表すものだと言えるだろう。

髙木遊、三宅敦大、立石従寛、月嶋修平からなるキュラトリアル・コレクティブ「HB.」と展示インストーラー「TRNK(トランク)」がコラボレーションしたこけら落としの展覧会「Happy Birthday」(開催中〜9月28日まで)も、こうしたアート施設の展示としては異色のものだ。本展はキュレーターやインストーラーという美術展を支える人々の職能にフォーカスしており、いわゆる「美術作品」ではなく空間や什器によって鑑賞体験を提供するものになっている。本展に限らず、時代を前に進める力をもつコレクティブを紹介する展覧会は今後もMASQの象徴的なシリーズ企画になっていくとし、落合は彼/彼女らの想像力からビジネスの領域にも刺激が与えられるはずだと続ける。

「イノベーションを起こすには前例や常識を疑えとよく言われますが、ビジネスにおいては従来のやり方・考え方を簡単に変えられないことも事実です。ただ、アートを学ぶことや体験することを通じて、新たな考え方に気付かされたり異なる視点を取り入れたりするきっかけをつくれるのではないかと思いました。就活でコミュニケーション能力を測るテストでは7割くらいの人が選ぶ選択肢が“正解”とされるわけですが、アートはそういった最大公約数的なものではありませんよね。一人ひとり異なる解をもちうるアートは新たな知恵を生み出す原動力になるかもしれません」

本展にはいわゆる「作品」はひとつもない。アートの展示を「作る」、あるいはアート「見る」という行為の本質を問う仕掛けが散りばめられている。
キュラトリアル・コレクティブ「HB.」と共に本展をつくった展示インストーラー「TRNK(トランク)」による什器。

“ごった煮”から生まれる新たなエコシステム

「SQUARE(広場)」の名を冠するとおり、この場所でマイナビがつくろうとしているのは美術館やギャラリーではないし、同社による情報発信が目的とされているわけでもない。あくまでも、多様な人々が集まる場をつくること、新たな知や価値が生まれていく場を育てていくことがMASQの役割なのだ。

「マイナビは“主役”ではないんです。たとえば就活サイトでもエントリーする学生や採用する企業が主役なのであって、マイナビの役割はよりよいマッチングを生み出すことにある。MASQについてもアーティストやコレクターだけではなく、さまざまな人に開かれた場をつくる必要があると思っています」

異なる立場の人が出会うことは、新たな学びの機会を生んでいくことでもあるだろう。アートと接点のなかった学生たちがさまざまな展示やプログラムを通じてアートの知を学ぶことも重要だが、同時にアートを学ぶ学生たちがビジネスについて学ぶことも重要だ。MASQにおいてもビジネスという観点は必要不可欠なものになっていくという。

「もちろん売れることや金銭だけが価値の基準ではありませんが、作品や活動の価値をきちんと貨幣価値に換算していくことも大事だと思っています。まだ決まったプログラムがあるわけではないのですが、若手のアーティストが自分の作品を展示するだけではなく作品を買ってもらう経験をつくっていきたいですね。もちろん、ただアワードをつくったり賞金を出したりするだけではなく、若手アーティストが継続的に活動できるようなエコシステムを構築していきたいと考えています」

会場のガラス窓の下にも、「HB.」らしいウィットに富んだ呼びかけが。
「多様な存在を包摂する広場」を目指したというMASQ。今後は展示のみならず、様々なセミナー企画なども計画されている。

すでにマイナビは、京都のアートフェア「ARTISTS' FAIR KYOTO」において「マイナビ ART AWARD」という若手アーティストの活動を支援するアワードを開催しエコシステムの構築に貢献している。そこでは株式会社マイナビのアワードだけが機能しているのではなく、その他のイベントやアワードとつながることでアーティストがマーケットの世界に入り海外へ進出していくような出口が設計されているのだという。アートと経済というと富裕層による作品の売買やラグジュアリービジネスが想起されがちだが、マイナビはこれまでの企業とは異なるやり方でアート事業を立ち上げようとしているのだろう。

「もともとアートの世界にいたわけではないからこそ、いろいろなものが集まる“ごった煮”な場所をつくれる気がしています。マイナビらしいやり方でアートの力を活用しながら、日本経済に貢献していきたいんです」と落合は続ける。学生や社会人、企業、アーティスト、キュレーター、コレクター……MASQがつくる“広場”にはたくさんの人々が集まることになるだろう。多様な存在を包摂するそんな広場から、これまでにないアートのエコシステムは生まれていくのかもしれない。

Photos: Tohru Yuasa Text: Shunta Ishigami Editor: Maya Nago

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