アートに生きる女性たちのパーソナルストーリー──ジョルジオ アルマーニとARTnews JAPANによるディナーが開催
12月某日、2024年9月に表参道に誕生したアルマーニ / カフェ 表参道店で、日本のアート業界の最前線で活躍する異なる立場の女性8人を招いたジョルジオ アルマーニとARTnews JAPAN共催のプライベートディナーが開催された。アートとの出会いや今後の展望などを語り合ったディナーの様子をレポートする。
ジョルジオ・アルマーニは、女性の社会進出をファッションを通じてエンパワーしてきたデザイナーだ。それを象徴するのが、ブランド設立と同じ1975年に発表された「女性のためのジャケット」。「自信に満ちた働く男性」を象徴するある種の戦闘服を、ソフトかつエレガントに再解釈した女性のためのジャケットは世界にセンセーションを巻き起こした。1970年代というと、60年代後半に欧米で勃興した女性解放運動が世界に広がり、さらに大きなうねりとして可視化されていった時期だ。アートワールドにおいても、ジュディ・シカゴとミリアム・シャピロがフェミニスト・アートのための空間「Womanhouse」をカリフォルニア芸術大学(CalArt)内に立ち上げたり(1972年)、リンダ・ノックリンがUS版ARTnewsに挑発的な論文「なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか」を寄稿(1971年)するなど、女性アーティストや研究者たちが男性中心の業界のあり方に変革を起こそうと立ち上がった時代。アルマーニの女性のためのスーツは、まさにそうした時代の流れを象徴するものであり、ジェンダー平等と社会進出を求める女性たちをエンパワーするものだった。
さて、そんなジョルジオ アルマーニとARTnews JAPANがタッグを組み、12月某日、2024年9月に表参道に誕生したアルマーニ / カフェ 表参道店で、日本のアート業界の最前線で活躍する女性8人を招いてプライベートディナーを開催した。
アルマーニが日本文化を再解釈し伝統と革新を融合させて設計したというこの空間でテーブルを囲んだのは、ペロタン東京のディレクターを務めるアンジェラ・レイノルズ、現代芸術振興財団の渡部ちひろ、モデルでAOI Pro.のクリエイティブディレクターを務める国木田彩良、アーティストの片山真理と牟田陽日、Art Collaboration Kyoto(ACK)をプログラムディレクターとして率いる山下有佳子、ArtXAuctionディレクターの門間理子、そしてTokyo Gendaiのディレクターを務める高根枝里。さらに、ARTnews JAPANの名古摩耶が共同ホストとして参加した。親密さとエネルギーに満ちた空間の中で、アートとのパーソナルヒストリーやキャリア、そしてこれからの展望を語り合ったこのディナーの様子をレポートする。
アーティストが命懸けで制作した作品の力を伝えたい──アンジェラ・レイノルズ
「私はアート界の外から来た人間です。それは自分の弱みでもあり、強みでもあると思っています」──そんな言葉とともに最初に語り始めたのは、現在ペロタン東京のディレクターを務めるアンジェラ・レイノルズ。14歳から日本でモデル活動を開始し、海外にも活動の場を広げ、モデルとしてのキャリア全盛期にがんを患った彼女は、その後、撮影の仕事に復帰しながら、NPO活動やボランティア、デザイン、執筆など、さまざまな領域で自分が求めるものを模索してきた。そんな中で出会ったのが、インタビューの仕事を通じて対話したアーティストたちであり、コンテンポラリーアートの世界だった。
さまざまなギャラリーや美術館を巡り、アートへの理解を深めていく過程でギャラリーで働く機会を得、その後、ペロタン香港を経て同ギャラリーの東京拠点のディレクターに就任。今年で7年目を迎えた彼女はこう語る。「アートには、すべての人間、もしかしたら動物も含めて感じるパワーがある。だからこそ、アーティストがそこに命をかけられるのだと思っています。その部分を誰かに少しでも伝えられたかもと感じられる時が、自分にとって最高の瞬間です」
日本のアーティストや文化を世界に発信したい──渡部ちひろ
レイノルズとは対照的に、幼少期からアートを身近に感じながら育ってきたと語るのは、現代芸術振興財団のディレクターを務める渡部ちひろ。芸術を愛する両親のもとで育ち、大学でも美術史を専攻したが、当時はコンテンポラリーアートがいまほど注目されていない時代。一度はアパレル業界に身を置くが、芸術への思いを捨てきれず、ZOZOTOWNを創業した前澤友作が会長を務める現代芸術振興財団に参画したのが10年ほど前のこと。
現在、同財団の若きディレクターとして前澤のコレクションマネジメントや展覧会の企画、若手アーティストの支援などを行なう彼女は、「いま、アートの領域で日本へのエネルギーや注目が再び高まり、日本を訪れる人や日本のコンテンツに興味をもつ人も増えています」と語る。「コレクションを通して世界中の人と出会ってきた経験を活かし、日本のアーティストや日本の文化をより多くの人に知ってもらえるような活動ができたら」と未来を見つめる。
モチーフに込めたジェンダー規範への批判──牟田陽日
同じく幼少期から絵画に親しみ、「創作という行為に没頭してきた」と話すのは、アーティストの牟田陽日だ。東京造形大学で油画を専攻していたが、体験型のアートに魅了され、コンテンポラリーアートを学ぶためにロンドンのゴールドスミス・カレッジへ留学。パフォーマティブなアートを探求するも、次第に、おそらく今よりも時事性とスピード感が重要視されていた当時のコンテンポラリーアート・シーンに疑問を持ち始めたという。さまざまな作品が長く受け継がれるイギリスの文化環境の影響もあり、「触れられるもの」「長く残るもの」を追求するようになる中で出会ったのが、現在の表現手法としている九谷焼だった。
「作りたいものを作る」という姿勢で作家活動を続ける牟田は、自身を「フェミニスト」と名乗ることに躊躇を見せない。そんな彼女がいま特に興味を持っているのは「山姥」だ。「本来、山姥は老婆だけを指すものではなく、若い女性も含まれます。また、山姥は子どもの守り神でもあり若い女性を助ける話もあります。ただ、時代と共に恐ろしい老婆のイメージが強調されて残っているのです。陶磁器の世界では、女性は大体若くて美しい姿で描かれ、老人は大勢描かれているのに、老婆のモチーフはぐっと減る。これは男性中心社会の影響もあるでしょう。古典陶磁の世界において老婆は若い女性や男性の添え物として描かれてきましたが、私はそれを中心的なモチーフとして、また自然と人の間を行き来する存在として描きたいと思っています」
アートを通じて社会に深く根を張る抑圧を可視化したい──片山真理
同じくアーティストとして世界的に活動する片山真理もまた、作品を通じてさまざまな社会規範への問いを突きつけてきた。彼女の代表作は、非常にパーソナルなモノや素材、自身の身体のパーツを転写した布などを用いて制作した手縫いのオブジェと、女性に対する社会の眼差しへの批判とも取れる下着姿のセルフポートレートを組み合わせた写真作品だ。しかし、「自分自身ではセルフポートレートを撮っている自覚がありませんでした。自身の体に関しては非常に自覚的だけど、作品上では無自覚という関係性がずっと続いていたんです」と振り返る。
それが変わったきっかけは、片山が2011年にスタートし、2021年に第二弾として再始動した「ハイヒール・プロジェクト」だ。片山が両足義足でハイヒールを履いてステージに立つことを目指すこのプロジェクトを通じて、「自分の体ありきで物事を経験したことで、身体への意識が変わった」と片山は語る。義足でハイヒールを履くことを「贅沢」と捉えるような日本の障がい福祉への態度について問うプロジェクトだったが、その意識はいま、人が抱えるさまざまな「生きづらさ」のすべてに向いている。「例えば、ベビーカーを押すだけで『すみません』と言わなければならない状況は、私が手すりを支えに階段をゆっくりとしか登れない時に感じる罪悪感と同じ。そうした社会に深く根を張る抑圧を、アートなら表現できるし変えていけると思っています」
アートには、私たちの「声」を響かせる力がある──国木田彩良
ロンドン生まれパリ育ち、イタリアと日本にルーツをもつ国木田彩良は、10年前に東京へ移住しモデルとしてキャリアをスタートした。英語、イタリア語、フランス語、日本語の4カ国語を操る彼女だが、「保守的な日本の家庭で育った母からは、自分の意見を主張し過ぎないようにと言われて育ちました。どの言語も『母国語』とは言えない私にとって、言葉を通じた表現と自分との関係はどこか歪なものでした」と語る。
国際的な文化人やアーティストたちに囲まれて育ったこともあり、彼女にとって視覚芸術が「自分たちが何者なのかを知り、どうなりたいのかを考える手がかり」であったことは、ごく自然な成り行きと言える。自らが前に出て表現してきた彼女は現在、モデル業と並行して、映像プロダクション AOI Pro.のエグゼクティブ・プロデューサーや、クリエイティブ・エージェンシーの創設者兼クリエイティブ・ディレクターとして、アーティストやクリエイターを支える側にも回っている。「私たちの使命は日本と西洋の架け橋を作ること」と語る国木田は、こう続ける。「アートの素晴らしさは、共通言語として人々を結びつけること。特に感情表現が控えめな日本において、アートやアーティストの存在が『私たちの声』として、さらに響いていくことを願っています」
アートを通じて京都の感性を世界と次世代につなぎたい──山下有佳子
「家族みんなが晴れの舞台ではアルマーニを着ていた」と語ったのは、京都で開催されるアートフェア、Art Collaboration Kyoto(ACK)のプログラムディレクターを務める山下有佳子だ。自身が手掛けたフェアとしては今年10月に3度目を無事に終え、「動員数や売上の観点でも確かな手応えを得ることができた」と語る彼女は、オークションハウスのサザビーズで経験を積んだのち、銀座シックスの「THE CLUB」というアートギャラリー立ち上げに参画するなど、これまでもマーケットの面から日本のアート界を支えてきた。
父方が6代続く京都の茶道具屋という環境で育ち、母からはファッションを通じた感性を学んだと語る彼女はいま、ACKとコンテンポラリーアートを通じて京都の感性を日本の社会と世界、そして次世代に繋いでいきたいと話す。「日本のアート業界はもっと大きくなっていく必要があり、そのために仲間や次世代の担い手も増やしていきたい。教育だけでなく、彼らが働きやすい環境作りや、彼らの働くために必要なメンタルの維持にも貢献したいと考えています」と、「人」を中心に置いたウェルビーイングなアート業界の発展を目指す。
プライマリーとセカンダリーの狭間にある「1.5次マーケット」の開拓を──門間理子
ニュージーランドで生まれ育ち、14歳で大学入学という経歴を持つArtXAuctionディレクターの門間理子は、アートに惹かれながらも、キャリアは母の勧めで科学の道を選択した。大手化粧品会社の研究所で働いたが、一転してニュージーランドでクッキー販売を始めたり、絵を描いたりして自由に「創作生活」を送っていた彼女が、「テクノロジーの力を用いてアートの排他性を打破する」ことを理念に設立された新興オークションハウス「ArtXAuction」に参画したのは、2023年のこと。
それまでオークションに携わった経験は皆無だったというが、2024年3月に小笠原伯爵邸を舞台に開催された「ArtX」初のオークションでは、ロット数は30と少ないものの、古代ローマの遺物からモダンアートに至る幅広いラインアップで、新しいオークションのあり方を示した。門間たちが今後目指すのは、「プライマリーとセカンダリーの中間にある、いわば『1.5次マーケット』の開拓」。一方で、アーティストの支援にも意欲的だ。「ギャラリーに所属していない独立系アーティストや、十分に表現の場を得られていないコミュニティのアーティストたちを積極的かつ継続的に支援していきたいと考えています」
面白い化学反応を生み出すインフラとしてのアートフェアを──高根枝里
Tokyo Gendaiディレクターの高根枝里のバックグラウンドもまた、ギャラリーでのディレクションとキュレーション、Googleのアートプロジェクト「Google Arts & Culture」の日本担当、さらにはTOKYO FMでのラジオパーソナリティまで、実に多様だ。
そのマルチな経験から、「世界水準の国際アートフェア」として2023年に初開催されたTokyo Gendaiのディレクターに抜擢された高根の「ブレインチャイルド」と呼べるのが、女性作家に焦点を当てた同フェアの特別展示「Tsubomi 'Flower Bud'」だ。初回は笠原美智子(長野県立美術館長)と山田裕理(東京写真美術館学芸員)、2024年は国際的コレクティブ「Spectrum」の共同設立者である天田万里奈(インディペンデントアートキュレーター)とSoojung Yi(韓国国立現代美術館キュレーター)という女性キュレーターを迎え、女性作家による多様な表現を紹介した。常にアートシーンへの新しいかたちの貢献を考えてきた彼女は、「アートフェアはインフラストラクチャー。世界中から様々な人が集まり、対話を交わし、次世代へと繋げていける場にしたい」と語る。「人と人をつなぐ役割を楽しんでいます。コレクターの方々も含め、未来に向けて面白い化学反応を生み出せるような場づくりをしていきたいです」
創造的行為の発信を通じて「生きる」インスピレーションを
最後に、今回のディナーのホスト役を務めたARTnews JAPAN編集長の名古摩耶は、建築誌からライフスタイル誌、そしてテックカルチャー誌からファッション誌まで、様々なメディアで活動してきた経験を生かし、レイノルズと同様に「アート界の外から来た人間」として業界にどんな貢献ができるのかを常々考えていると話す。その根幹にあるのは、「ジャーナリズムを通じて様々なクリエイターの豊かな想像力/創造力を紹介することで、社会に自分の居場所を見い出せずにいる人々を含めた多様な人々をエンパワーしたい」という思い。「アート、ファッション、科学、テクノロジーなど、一見異なるように見える分野に共通するのは、何かを『生み出す』という創造的行為。それを知ることが、私自身が生きる励みになってきました。ARTnews JAPANでは、今日集まってくれたようなパワフルな女性たちとの連携を深めながら、アートを通じて次の世代がより生きやすい社会づくりに貢献したい」と語った。
今回集まった女性たちに共通するのは、アートというレンズを通じて世界をより多様でやさしい場所に変えていきたいという情熱だ。そして誰もが、それが一朝一夕では実現しないことも知っている。一代で自身のファッションエンパイアを築いたとはいえ、紆余曲折を経て医学からファッションの道へ入った「遅咲きのデザイナー」と言えるジョルジオ・アルマーニの道のりが、決して平坦ではなかったように。
Photos: Kenta Yoshizawa, Tomoya Ito Text: Asuka Kawanabe & Maya Nago Edit: Maya Nago