医学にもっと「人間らしさ」を。オンラインプラットフォーム「MEDinART」の挑戦【医療とアートの最前線 Vol.6】

人の心を動かすアートを通して、患者や医療従事者のウェルビーイングを向上させたり、病気や障がいについて語るきっかけにしようという動きが世界で広まっている。その取り組みをロンドン在住のジャーナリスト、清水玲奈がレポートする連載「医療とアートの最前線」。第6回は医療とアートを掛け合わせた作品をアーカイブするオンラインプラットフォーム「MEDinART」について。創設者のヴァシア・ハッツィに話を聞いた。

イギリスのアーティスト、ルーク・ジェラムの3Dガラスの彫刻シリーズ《Glass Microbiology》より。作品は医療をテーマとするアート作品を紹介するオンラインプラットフォーム「MEDinART」で紹介されている。Photo: Luke Jerram

医学とアートは、もともと近しい営みだった。

例えばルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチの人体解剖学への取り組みは、「人間を描く」ことを極めようとした点において、《モナ・リザ》の制作となんら隔てられるものではなかった。あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチの少し後の16世紀、ブリュッセルの医師・解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスは、著作『人体の構造に関する7つの書(通称ファブリカ)』の中で、解剖図でありながら生きているようなポーズをとった人間の絵を残している。

また、絵や彫刻は、医学において実用的なツールとして用いられてきた。写真や画像処理といった技術が発達する以前、解像図や病気の症状を示す絵、「ムラージュ」と呼ばれる皮膚病変の模型などは、病気の記録や医学教育において不可欠な要素だった。

こうしたアートと医学の関係性は、現代では新たな方向へと確実に進化していると語るのが、ギリシャを拠点に活動する遺伝学者でアーティストのヴァシア・ハッツィだ。

「医療において、科学としての厳密さだけではなく、人間としての患者に対する共感や理解が求められるようになりました」と、ハッツィは言う。「健康と病気の情緒的、心理的な側面についての関心が高まる中で、アーティストと科学者の対話によって医学の理解を深めることが模索されています」

アートが患者の理解につながる

アメリカ心臓病学会誌(JACC)にハッツィが寄稿した論文(Hatzi 2019b)では、臓器移植をテーマにアーティストたちが制作したインスタレーションやビデオ作品を医師や医療スタッフに鑑賞してもらうことにより、心臓移植を受けた患者の体験について共感力を深める試みについて報告している。いずれも、かき消されがちな患者の声にスポットライトを当てることで、移植をめぐる社会的、情緒的、医学的な問題への認識を高めるような作品だ。

その代表的な例が、2016年11月から2017年5月までロンドンのイングランド王立外科医師会(RCS)附属ハンテリアン博物館で開催された「Transplant and Life」展だ。サウンドアーティストのジョン・ウィンと、写真家・映像作家の故ティム・ウェインライトがコラボレーションを行った。

ふたりはいずれも世界トップクラスの臓器移植センターであるハートフィールド病院とロイヤルフリー病院でアーティスト・イン・レジデンスを行ない、心臓移植を受ける患者と生体ドナー、待機者、そして移植の専門家を撮影した。さらに、幅広い年齢層と多様な背景を持つ患者たちに移植の経験について率直に語ってもらったインタビューの音声を、それらの写真と組み合わせた。

RCSのクレア・マークス会長は、「Transplant and Life」展のオープニングで、患者たちの証言に光を当てることはRCSが示すべき模範だと評価した。アートによって臨床医や医療スタッフの共感を深めることは、患者のウェルビーイングの向上につながると期待されている。

ハッツィは論文の中で、公共の場に医療を題材としたアートを展示することで、より多くに人が病気と向き合えるようになるとしている。これは医療従事者の患者に対する共感力を高めるほか、患者が自身の病気を理解することで積極的に治療に取り組めるようになるといったメリットもあると結論付けた。

医学×アートを集めたオンラインプラットフォーム

こうした知見に基づき、ハッツィは「MEDinART」を2013年に設立した。医学と科学、アートを融合させるアーティストたちが互いに交流したり、作品を発表したりするためのオンラインプラットフォームだ。

現在、オンラインプラットフォームには、約30カ国の180人あまりのアーティストによる医学とアートの分野にまたがる約1500点の作品が掲載されている。これらは絵画、彫刻から没入型のバイオアート・インスタレーションやデジタルメディアまで、多岐にわたる。

医学研究者が、兼業のアーティストとなり、複雑な概念を一般の人たちに伝えるために制作した絵や彫刻を発表しているほか、アーティストが身体の生物学的な構造にインスピレーションを得たり、健康や病気を通して人間について探求したりした結果の作品も多い。

ハッツィはこう話す。「アートが扱える医学のテーマに、限界はありません。アートと医学が交差する可能性の深さと広さが、それぞれのアーティストたちの作品に反映されています」

医療・医学とアートには、「鋭い観察力、細部への注意、問題解決のための批判的思考力が必要とされること」という共通点があると、ハッツィは考えている。「医療においては、これらの資質は診断や患者ケアに不可欠であり、アートにおいては創造の鍵となります。それに、コミュニケーションや、人間の条件に対する理解を深めることは、医療とアートの双方における究極の目的と言えるかもしれません」

核医学専門の医師でもあるマニア・エフスタシウは、絵画、コラージュ、彫刻、彫刻、インスタレーションなどで、病気を人間の経験に普遍的な要素として表現している。2018年のシリーズ「Monitoring Solitude」では、人々が闘病中に感じる孤独、無力感、落ち込みなどを考察し、非人間的になりがちな臨床医療について対話を促す。©Mania Efstathiou
トリス・タトラスは生物学者としてのバックグラウンドを持つ。大型のインスタレーション《Diversity’s Ark》(2022)では、ゲノム配列とポリメラーゼ連鎖反応(PCR)技術の画像を使い、「Diversity’s Ark(多様性の箱舟)」というタイトルで、人類の遺伝子の多様性と、それを保護するための遺伝子学研究の大切さを考えさせる。©Tolis Tatolas
ペギー・クリアファ《ARMORY SHIELD》 (2012-13)。 薬と治療をテーマに、クリアファは錠剤やブリスターパックをモチーフにした絵画、アッサンブラージュ、インスタレーションを多数制作している。 医薬品をテーマにした作品を通して、心身の癒しとは何かを問いかけている。 ©Peggy Kliafa
カナダのビジュアルアーティスト、エレン・ウィテカーの《Screened For》(2015)は、SARSやHIVなどさまざまなウイルスが描かれたマスクを着用した自分自身のポートレート写真をモザイク状に並べ、目に見えないウイルスに対する恐怖と、ウイルスの多様性を表現した。©︎Elaine Whittaker
ニューヨークを拠点とするアーティスト、ローラ・スプランの《Vigilant》(2002)は、エボラ、天然痘、炭疽菌、ボツリヌス菌、大腸菌などをカラフルに描き、恐怖心を呼び起こす微生物の独自の美に目を向けさせる。©︎ Laura Splan
イギリスのアーティスト、ルーク・ジェラムは、ブリストル大学のウイルス学者の協力を得て、《Glass Microbiology》(2004)を発表。HIV、豚インフルエンザ、コロナウイルスなど、さまざまなウイルスを表現した3Dガラスの彫刻シリーズで、ウイルス性疾患が世界に与える影響について考察した。©︎Luke Jerram

人間至上主義と権威主義を崩すアート

医師や科学者とコラボレーションを行い、生物と機械の境界を探求することで人間の現実に新たな視点を持ち込むアーティストもいる。

たとえば、この分野の先駆者として知られるオーストラリアのアーティスト、ステラークは、自分の身体の解剖学的要素を用いたパフォーマンスアートで知られる。2006年には外科手術で自分の腕に、第3の「耳」をつけるという大胆なパフォーマンス《Ear On Arm》を、ロンドン、ロサンゼルス、メルボルンで発表した。術後6ヵ月で組織の生着と血管新生が見られ、「耳」はアーティストの生きた体の一部となった。この耳をインターネットに接続することで、地球上の他の場所にいる人たちがアーティストの周囲の音を遠隔で「聞ける」という仕組みだ。

ステラーク《Ear On Arm》(2006)Photo: Nina Sellars

またステラークは、2016年にパース現代美術研究所でパフォーマンス《Re-Wired/ ReMixed》を発表。毎日6時間、5日間にわたって、視覚はロンドンにいる人物の目を通した情報だけを、聴覚はニューヨークにいる人物の耳を通した情報だけを受け取った。この間、世界中のどこからでも右腕にアクセスして遠隔操作することができた。感覚的な情報の共有が起こり、主体のエージェンシーが分配され、パフォーマンス中アーティストは同時に3箇所に存在することになるわけだ(ヴァーチャルには2箇所、物理的には1箇所)。

ステラーク《Re-Wired / Re-Mixed》, パース現代美術研究所「Radical Ecologies」展での展示風景。Photo: Steven Alyian

「微生物や機械との関係を探究するアーティストたちは、われわれ人間に対し、それぞれが進化戦略を持つ他の生物やAI・機械とも地球上で平和に共生していく道を探り直すように訴えているのです」とハッツィは解説する。

「人体の細胞と同様の」コラボレーション

MEDinARTの基盤にあるのは、「人間の身体が相互に結びついた細胞の調和的なシステムであるのと同じように」人々の対話とコラボレーションを生み出すことだと、ハッツィは強調する。欧米の都市を中心に、医療関係の展示会や国際会議に参加して作品展示や講演を行うほか、学術誌への寄稿やアーティストの紹介も行っている。

「身体で起きていることだけではなく、患者の生活体験についての理解を育むべきだという認識は、いわば近代医学におけるパラダイムシフトといえます。MEDinARTのアーティストたちは、医療における感情、知性、共感、コミュニケーションの重要性を表現することによって、医療関係者の認識を変えてきました。医学とアートは深く相互に結びついていて、人間の経験に対する深い洞察を共に提供し、医療の実践と議論を豊かにできるのです」

さらに、医学の権威主義を崩壊させることも、MEDinARTの目標だ。

ミシェル・フーコーが『臨床医学の誕生』(1963年)で述べたように、医学は病院や学術界の機関を通して、何が「真実」や「正常」であり、あるいは「異常」「病理的」であるかを規定してきた。こうした権威によって、患者が医療の現場から疎外される恐れがあると、ハッツィは主張する。

「フーコーが批判したように、健康と医学に関する議論は、ときとして権威主義的で非人間的になりがちです。でも、アートを取り入れれば、そんなアプローチに異議を唱え、人間的に健康を探究できるようになるのです。アートによって、繊細な共感や感情を取り入れながら病気と健康について対話することができ、健康、身体、人間の経験について、ホリスティックな視点を持てるようになります」

「アートには医学を人間的なものにする力がある」とハッツィは強調する。「科学者、医師、アーティスト、そして一般の人たちがアートを通して対話をシェアする場を設けることで、あらゆる人間の営みが互いに結びついていることを示したい。そこから、新たな視点、思考、存在のあり方が生まれると信じています」

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