「闘病生活が最高のアート教育になった」──ジェイソン・ウィルシャー=ミルズの創造世界
人の心を動かすアートを通して、患者や医療従事者のウェルビーイングを向上させたり、病気や障がいについて語るきっかけにしようという動きが世界で広まっている。その取り組みをロンドン在住のジャーナリスト、清水玲奈がレポートする連載「医療とアートの最前線」。第5回はポップな作品で知られるアーティスト、ジェイソン・ウィルシャー=ミルズの大規模個展について。
ロンドンの中心部、ユニバーシティー・カレッジ病院の隣に、健康と医学、アートをテーマとする博物館兼図書館がある。世界屈指の資産規模を誇る医療研究財団、ウェルカム財団が運営する、その名もウェルカム・コレクションだ。
同館は医学の歴史といまに関する希少書を含む書籍や解剖図、図版、美術品、写真や映像、医療器具など数千点を所蔵。2007年の開館以来、常設展示に加え、医療や健康を幅広い角度から考えさせるさまざまなアーティストの企画展を実現してきた。
特に2024年はジェイソン・ウィルシャー=ミルズによる大規模な個展が話題を呼んでいる。ウィルシャー=ミルズは1969年、英ウェスト・ヨークシャーのウェイクフィールド生まれのアーティストだ。
炭鉱夫の家庭で8人兄弟の末っ子として公営団地で育ったウィルシャー=ミルズは、11歳で自己免疫疾患による全身麻痺に見舞われる。しかし、闘病生活がきっかけでアートに目覚め、カーディフ・スクール・オブ・アート・アンド・デザインに入学。大学に進学したのは、家族のなかで彼が初めてだったという。現在は車いす生活だが手の自由は効き、主にデジタルアートや彫刻を制作している。
宣告の瞬間を大きなインスタレーションに
展覧会のタイトルは「Jason and the Adventure of 254(ジェイソンと「254」の冒険)」。病室に見立てた大きな展示室の中央に置かれているのは、実物の数倍の大きさのベッドと、その上に横たわる11歳のジェイソン少年の彫刻だ。
展覧会のタイトルにある「254」は、1980年8月1日午後2時54分、地元ウェイクフィールドのピンダーフィールズ病院で、医師から両親に「最終的には死に至る病状で、16歳まで生きられたら幸運だ」という診断を告げられたときの体験に基づいたものだ。
医師から診断を告げられた瞬間、病室でつけっぱなしになっていたテレビではモスクワ・オリンピックの模様が中継されていた。ちょうど、1500メートル競走でイギリスのセバスチャン・コー(背番号は254だ)がトップでゴールした瞬間だったという。
展示の中には、イギリス北部の労働者階級の文化を表現した作品もある。労働者階級が夏休みを過ごす街につきものだったキッチュなゲーム機を模したジオラマが、会場のあちこちに置かれている。それぞれのジオラマのもとになっているのは、子どものころの思い出の場面だ。
重い診断を受け、寝たきりになっていたジェイソン少年だが、その後少しずつ体の自由を取り戻し、院内の学校にも通い始める。やがて、彼は口を使って絵を描き始めた。
アーティストになる決意をしたのは1980年の12月。ジョン・レノン殺害のニュースがきっかけだった。「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」を初めて聞いたジェイソン少年は、「創造性や自己表現」を追求する人が世界には他にもいると知り心が高鳴った。自分もそんな人になりたいと、アーティストへの道を決意したという。
1981年7月、ついにジェイソン少年は退院する。病院は少年にとって美術学校であり、退院は卒業のような節目になった。
そんな彼が描く万華鏡のような色彩とマジック・リアリズムの手法による作品は、ポップで楽しく、圧倒的なユーモアが笑いを誘う。そして、病気や障がいを「克服」した体験を描いたのだろうという安易な期待を軽やかに裏切る。重い病気をテーマにしたサイケデリックな色彩の作品は、少なくともジェイソン・ウィルシャー=ミルズというアーティストにとって、病気は創造を発火させる体験でもあったのだと、私たちに気付かせる。
アートという糖衣錠
ウィルシャー=ミルズは、ウェルカム・コレクションを以前から頻繁に訪れていたという。
「特に好きなのが医療器具のコレクションです。キャリパーブーツやコルセット、注射器などを見ると、子どもの頃、自分の闘病生活の思い出が蘇ってきます。また、展覧会準備のリサーチ段階ではさらにいろいろな所蔵品を見せてもらって、16世紀の解剖図などを彫刻やドローイングの参考にしています」
イギリス全国を巡回していたウィルシャー=ミルズの展覧会を見たウェルカム・コレクションの学芸員から作品を展示したいとの申し出を受け、「大好きな博物館のために、ここでしかつくれない新作を作りたい」と思い立ち、今回の展覧会が実現した。
ウィルシャー=ミルズは展覧会の意図についてこう語る。「診断を受けた瞬間は、いわば、クリエーションの誕生の瞬間でもあったのです。それを表したのが、今回の展覧会です」
寝たきりになり周囲の世界を実際に探索することができなかった分、テレビ、コミック、本の世界に夢中になり、そして自分自身の鮮やかな想像力に満ちた内なる世界に暮らすようになった。それが、アーティストとしてのキャリアの始まりだった。
「全身が麻痺している間、活発に動いていたのは頭だけ。実際の冒険ができない分、想像力がどんどん膨らんでいきました。病気という新しい体験によって感性が刺激されたし、たっぷり時間があったことも幸いしました。闘病生活が、アーティストになるための最高の教育になったのです」と、彼は振り返る。「僕は自分がアーティストになるべくしてなったと思っているけれど、病気にならなかったら、その決断をするまでに、もっと遠回りしたかもしれません」
展示されている作品は、全て触って鑑賞できる。目指したのは、大人も子どもも楽しんで笑える、見て感じる没入型の展覧会だ。「深刻な内容を表現しているけれど、アートという形をとることで、楽しくて面白いものとして受け止めてもらうことができる。いわば、苦い薬を飲みやすくした糖衣錠のようだとも言えるでしょう。本物のアートは、すべての人に語りかける力を持つのです」
フリーダ・カーロへの共感
同じく病気や障がいに襲われた自分を描き続けたフリーダ・カーロには親しみを強く感じるという。作品の雰囲気こそ異なるが、魔法のような要素を取り入れながら写実的に世界を描くマジック・リアリズムの手法を用いたアーティストでもある。
カーロは、子どもの頃に病気で寝たきりの生活を送ったことがあり、右足が左足よりも短いという後遺症があった。さらには10代の頃のバス事故で大怪我を負って入院生活を送った時に、鏡をベッドの頭上にしつらえて、自画像を描くようになったことはよく知られている。
ウィルシャー=ミルズは、「カーロは病気と怪我により、自分自身という最もよく知っているテーマを描くようになったと語っていますが、僕も同じ体験をしました」と語る。これまで、カーロが好んで用いたモチーフであるハートを、さまざまな作品にオマージュとして取り入れてきた。
「今回の僕の展覧会を見て、障がいのある子どもがこれは自分のことだと言ったという話を話してくれた親がいます。アートを通して、病気や障がいの体験のある子どもや大人に、僕がカーロに抱いたような共感を抱いてもらえたらうれしいです」
子どもの頃から医療とともに生きてきたアーティストとして、医療とアートは通底する営みだと感じている。「リサーチの段階で、歴史上のさまざまな時代の身体図を見て、アーティストが身体を解釈する営みと、医学の探究とは基本的に通じ合っていると思いました。アートも医療も、人間として生きる体験とは何かを探究する終わりのない試みなのです」