「ノスタルジアの未来」展に見る希望──アルウラを舞台に描かれる20作家それぞれの物語

「ノスタルジア」とは、過去への逃避ではなく、未来を構想するための思考である──。ロシアの文化研究者、スヴェトラーナ・ボイムがそう定義してから20年以上が経った。その概念を実践的に可視化する展覧会「ノスタルジアの未来」が、天王洲で開催中だ。アルウラ・アーティスト・イン・レジデンスの成果として生まれた本展をレビューする。

Sarah Brahim, Untitled (2025) © Sarah Brahim. Courtesy of the artist and Laurence Hills
サラ・ブラヒム《そっと雨が降る》(2025) Photo: © Sarah Brahim. Courtesy of the artist and Laurence Hills

「ノスタルジア」と聞いて、何を想像するだろうか? 筆者がすぐさま思い出したのは、帰属を失った魂の居場所を求める渇望を描いたアンドレイ・タルコフスキーの映画『ノスタルジア』(1983)だ。あるいは、時間と意識を哲学的に探求したマルセル・プルーストによる『失われた時を求めて』(1913–27)も、ノスタルジアという言葉から想起される創作の一つだ。ノスタルジアを「過去への逃避」ではなく現在を生きるための思考へと転換させてみせたカズオ・イシグロの『日の名残』も、過去の記憶や故郷、そして女性たちの連帯を描いたペドロ・アルモドバルの『ボルベール〈帰郷〉』も、近代化・西洋化の只中にあって「われわれ東洋人の美の感覚は、明るさよりも陰翳の中に宿る」と書いた谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(1933)も、「ノスタルジア」というテーマを扱っている。 

そんなふうに、これまで様々な創作の中で議論されてきた「ノスタルジア」だが、そもそもは、ギリシャ語の帰郷(nostos)と痛みや苦しみ(algos)を組み合わせた造語だという。スイスの医学生ヨハネス・ホーファー(Johannes Hofer)が1678年に発表した博士論文のなかで、スイスの傭兵たちが「強い郷愁」によって身体的・精神的に衰弱する現象を「nostalgia」と名付けたことが、その起源といわれる。その後18〜19世紀にかけて、今日も用いられているような、あるいは前述の作品群にも描かれているような、「郷愁」や「懐古」、「失われた過去への思慕」といった感情的な意味へと転じた。

そんな「ノスタルジア」を過去ではなく未来を考察するために用いたのが、ロシア出身の文学者で文化研究者であるスヴェトラーナ・ボイムだ。ボイムは2001年刊行の自著『The Future of Nostalgia』の中で、「ノスタルジア」を単なる個人的な感情や懐かしさとしてではなく、集合的・グローバルな文化・歴史の文脈の中で捉え直し、なぜグローバル化、ポストモダン化の時代に「ノスタルジア」がむしろ増えているのかを問い直した。ボイムはノスタルジアを「レストラティブ(restorative=修復的)」と「リフレクティブ(reflective=省察的)」という二つの枠組みに分類し、前者「レストラティブ・ノスタルジア」を「過去を神話化し、他者を排除する危険」を伴うものとして批判し、後者「リフレクティブ・ノスタルジア」を「想像力や対話、ユーモアを通じて、他者とともに生きる希望」として扱った。本書の刊行から20年以上が経ったいま、この「ノスタルジア」をめぐるボイムの問いは、日本を含む分断が蔓延る現代社会においてより切実に聞こえるというと、感傷的すぎるだろうか。

しかし、ボイムが『The Future of Nostalgia』の中で説いた「リフレクティブ・ノスタルジア」への共感を基盤に企画された「ノスタルジアの未来」展(11月16日まで天王洲にて開催)を観ると、自身の身体に感傷よりも来たるべき未来への希望が満ちてくるのを実感するだろう。

2021年にスタートした「アルウラ・アーティスト・イン・レジデンス・プログラム」の成果発表の機会として位置付けられる本展には、1970年から90年代に生まれた20作家による35作品が出品されている。

この滞在制作プログラムは、2018年にサウジアラビア北西部に位置するアルウラ地域の「持続可能な経済・観光・文化」の発展を支援する目的で設立されたフランスとサウジアラビアの文化交流を促す「フランス・アルウラ開発庁」の取り組みを象徴するものの一つであり、芸術とクリエイティブ産業こそがアルウラの未来を形成するという信念を体現するものだ。

日本から約9000キロも離れた豊かな自然と文化遺産を有するアルウラを知る機会は日本に暮らすわれわれにとって多いとは言えないが、本展で紹介されている作品(その全てが成熟された芸術作品とは言えないまでも)は、単にアルウラのヘリテージを現在の文脈で捉え直すことだけに閉じない瑞々しく開かれた議論を促し、遥か遠くの地で制作された作品であるにもかかわらず身近で等身大の日々の営みへの共感を喚起するから不思議だ。出品作家たちはそれぞれ異なる文化的・地理的背景を持ちながら、記憶・土地・身体・日常という共通のメディウムを通じて、アルウラという場所の記憶を共有可能な「地球的経験」へと翻訳している。

アーティストたちがアルウラで紡いだ、それぞれの物語

「ノスタルジアの未来」という逆説的な展覧会タイトルと、会場が倉庫空間であることも影響して、薄暗い空間に足を踏み入れると、科学の進歩によって人間性が失われてしまった「ディストピア」的な空気を感じ取る人もいるかもしれない。しかしすぐさまそれは杞憂であることがわかる。その理由はぜひ展覧会を訪れて自らの目で確かめてほしいが、ここではヒントとして、いくつかの作品を紹介したい。

サラ・ブラヒム《そっと雨が降る》(2025)Photo: © Sarah Brahim. Courtesy of the artist and Laurence Hills
「ノスタルジアの未来」(2025)より、アンハー・サレーム《アルウラの一日》(2024)を鑑賞する人々。Photo: © Timothee Lambrecq
「ノスタルジアの未来」(2025)展示風景。手前がダニア・アルサレー《ヒナト》(2022)Photo: © Timothee Lambrecq
「ノスタルジアの未来」(2025)より、ビアンカ・ボンディ《それは時の記述とかかわっていた/太陰暦は13か月である/祈り畳まれた家/リズムは内側にある/私たちは時計を飲み込んだ》(2025)Photo: © Timothee Lambrecq
ムハンマド・アルファラジ《The Date-Fruit of Knowledge》(2022)Stop-motion video, sound (13’), sand. Still from the video Produced with the support of Arts AlUla and AFALULA
© Mohammad AlFaraj. Courtesy of the artist and Mennour, Paris
ムハンマド・アルファラジのストップモーションフィルム作品とともに展示された《Feathers of Time》。Produced with the support of Arts AlUla and AFALULA Photo: Courtesy of the artist © Timothee Lambrecq

まず、会場に入ってすぐに出会うこととなるサラ・ファヴリオの《ささやかなもの(取るに足らない小さなもの)第5番》(2024)。1983年フランスに生まれたファヴリオは、アルウラの地面に落ちていた自然素材や工業製品の欠片などのファウンドオブジェクトを組み合わせ、とても小さな彫刻群を完成させた。かつて少女の髪に留められた小さなヘアピンと穀物、バービー人形のものと思われるプラスチック製のスニーカーと綿毛、劣化したゴム風船が無造作に巻かれた石片などのオブジェクトは、題名に齟齬ない「ささやかさ」で、現在まで続くこの地の歴史と文化を詩的に物語る。

ファヴリオ作品の「終点」には、荒涼とした大地に張り巡らされた電線を背景にパフォーマンスを行う自らの姿をとらえたサラ・ブラヒム(Sarah Brahim、1992年サウジアラビア生まれ)の映像作品《そっと雨が降る》(2025)と《誠実な地図を探して》(2025)が展示されている。これらの作品に描かれた世界は鑑賞者の時空の感覚を狂わせるとともに、雄大なる自然に対して人間の身体がいかに脆弱であると同時に強くもあるかを、彼女の祈りのような動きを通じて訴えかける。

これらの作品は、東京・天王洲の倉庫に再現された「アルウラのオアシス」の入り口の役割を担っている。そこを経た先で目に留まるのは、一人がけのソファクッションの前に組まれたインスタレーションだ。1993年サウジアラビア生まれのアンハー・サレーム(Anhar Salem)による《アルウラの一日》(2024)はVlogに着想を得た作品で、アルウラで暮らす(そこで生まれ育ったとは限らない)複数の人々がサレームから渡されたカメラを手に、自身のありふれた一日の生活を何の演出もなく手短に紹介する映像で構成される。演出された煌びやかな生活がいとも簡単に拡散される時代においては取るに足らない営みであっても、それこそが生きるという実践の愛おしさであるという当たり前のことを思い出させてくれる作品だ。

世界と生命をつなぐメディウムとしての「塩」をアルウラの砂漠に見立てた作品を発表したのは、1986年南アフリカ・ヨハネスブルグ生まれの作家、ビアンカ・ボンディだ。《それは時の記述とかかわっていた/太陰暦は13か月である/祈り畳まれた家/リズムは内側にある/私たちは時計を飲み込んだ》(2025)という長い題名が掲げられたインスタレーション作品で彼女は、人間が生きる上で欠くことのできない人類共通の資源である塩の大地を舞台に、そこから伸びるブロンズの枝のあいだで密やかに輝く半貴石、生活の痕跡を伝えるシルクのテント(その上には岩塩と思しき結晶がキラキラと光っている)、古い本などを通じて、腐食や風化、変化の中に潜む「予期せぬ美しさ」を描き出した。塩は彼女の作品にしばしば登場する素材であり、本人曰く「なるべく発表する土地の塩を用いている(つまり本作では、日本で調達した塩を用いている)」。

最後に、本展において筆者がもっとも長い時間を過ごした作品が、1993年サウジアラビア生まれのムハンマド・アルファラジ(Mohammad AlFaraj)による遊び心に満ちたストップモーションフィルム作品《Fossils of knowledge》(2022)だ。知恵の実であるデーツを手に入れ、傲慢と短気によって破滅へと向かった鳥の寓話が、灌漑されたばかりのオアシスの砂の上に手書きで描かれたストップモーションフィルムによって語られる。どこかチェコ・アニメの巨匠ヤン・シュヴァンクマイエルの不条理な世界にも共通する映像が会場の床に盛られた土の上に投影されることで、その寓話が過ぎ去った昔話ではなく、非常に今日的かつリアルな戒めであると同時に、人間の永遠のテーマであることに気づかされる。

本展の主任キュレーターであるアルノー・モランは、展覧会図録の中で「ノスタルジアの概念そのものは、未来構築と21世紀の進歩や技術的繁栄の約束に牽引される時代において場違いに思えるかもしれない」と断った上で、ボイムの「リフレクティブ・ノスタルジア」の概念を引用し、出品作品が「多様性や偶発性、そして省察を受け入れる別様の時間性や存在様式をも示唆している」と評価する。本展は、日本に住む我々の日常に何の関連性もないと思われた(少なくとも筆者にとってはそうだった)アラブ文化と、それを形成してきた果てしない時間の積層に思いを寄せるきっかけであり、遠いアラブの風景を通して、境界を越えて共に生きる責任を引き受ける存在としてのわたしたちが、どんな未来を思い描き、人間らしさをどのように取り戻していけるかを考えるための静かな招待でもある。

「ノスタルジアの未来」(2025)展示風景。Photo: © Timothee Lambrecq
「ノスタルジアの未来」(2025)より、テオ・メルシエ(Théo Mercier)《Landscript》(2025) Produced with the support of Arts AlUla and AFALULA Photo: © Timothee Lambrecq
「ノスタルジアの未来」(2025)より、ルイ=シプリアンプリアン・リアル(Louis-Cyprien Rials)《 Divided - Prospective Landscapes for AlUla》(2024) Fiery Oculus: Melting Sundial, 2024, Produced with the support of Arts AlUla and AFALULA Photo: Courtesy of the artist and Galerie Eric Mouchet © Timothee Lambrecq
「ノスタルジアの未来」(2025)より、ムハンマド・キリト(M’hammed Kilito)「Untold Tales」シリーズ《Untitled [n°1 to 15]》(2022)Produced with the support of Arts AlUla and AFALULA Photo: Courtesy of the artist © Timothee Lambrecq
「ノスタルジアの未来」(2025)より、ムハンマド・キリト(M’hammed Kilito)《Untold Tales series》(2022)Produced with the support of Arts AlUla and AFALULA Photo: © Adagp, Paris, 2025. Courtesy of the artist
「ノスタルジアの未来」(2025)より、ヤスミナ・ベンアブデラフム(Yasmina Benabderrahmane)《Fossile, Peaux-Roches series》(2024)Produced with the support of Arts AlUla and AFALULA © Adagp, Paris, 2025. Photo: Courtesy of the artist © Timothee Lambrecq
「ノスタルジアの未来」(2025)展示風景。Photo: © Timothee Lambrecq

「ノスタルジアの未来」
会期:開催中〜11月16日(日)
会場:寺田倉庫 G3-6F(東京都品川区東品川2-6-10)
時間:11:00〜20:00/入場無料
主催:Arts AlUla、AFALULA