国家戦略としてのアートフェア──アート・バーゼル・カタールが描く「フェア」の新しいかたち

中東アートシーンが急拡大する中、第1回アート・バーゼル・カタール(ABQ)が幕を開けた。カタールが誇る中東初の「本格的スマート&サステナブル都市」ムシェイレブ・ダウンタウン・ドーハを舞台に、従来のアートフェアとは異なる価値が試されている。VIPデーの会場から、その思想と現実の交差点を読み解く。

Courtesy of Art Basel
Courtesy of Art Basel

中東地域全体で深刻な不安定が続く中、第1回アート・バーゼル・カタール(以下、ABQ)が2月3日(現地時間)のVIPデーから幕を開けた。

その前夜には、ABQ誘致の立役者であり、イスラム美術館を含む国立美術館・文化政策全体を統括するカタール王族、シェイカ・アル・マヤサ同席のもと、ドーハの未来都市ルサイル・マリーナ地区にあるローズウッド・ホテルでのディナー、そしてイスラム美術館でのジェニー・ホルツァーによるコミッションワーク発表が行われた。不安定な国際情勢を背景にしながらも、国家戦略としての文化政策において重要な意味を持つ世界屈指のアートフェアの「上陸」を祝福する場となった。

《SONG》(2026)Light projection and drones, Museum of Islamic Art, Doha “How Far Is Far” by Mahmoud Darwish. Used with permission, © 2026 by the Mahmoud Darwish Foundation. © 2026 Jenny Holzer, member Artists Rights Society (ARS), NY Photo: Courtesy by Art Basel

会場選定にもABQの思想が反映

ABQの舞台となったのは、2010年代から2020年代初頭にかけて完成された国家的な都市再生プロジェクトの一つ、ムシェイレブ・ダウンタウン・ドーハ(Msheireb Downtown Doha)にあるM7とドーハ・デザイン・ディストリクトだ。ムシェイレブは、歴史・環境・テクノロジー・文化を統合した中東初の「本格的スマート&サステナブル都市」であり、世界最大級のLEED Gold認証地区でもある。スターキテクトを起用したヴィヴィッドな建築が立ち並ぶドバイやアブダビとは対照的に、歴史に敬意を払った意匠や持続可能性を重視した設計が特徴で、現代カタールのブランディングを象徴する地区と言える。マスタープランをロンドンの建築・都市設計事務所、Allies and Morrisonが手がけ、同じくロンドン拠点のArupがエンジニアリング・コンサルタントとして参画している点からも、その先進性が窺える。近隣には、「観光用に再現された伝統」ではなく、「現在も使われ続けている歴史」そのものといえるスーク・ワーキフが広がる。こうした、過去と現在が無理なく連続する都市空間でアートフェアが展開されること自体が、ABQの思想を象徴しているようにも映る。

「クワイエット・ラグジュアリー」なアートフェア

では、アートフェアとしてのABQはどのような内容だったのか。初日に訪れた印象としては、これはフェアというよりも展覧会、あるいは芸術祭に近いイベントである、というものだ。アート・バーゼルの出展者数としては極端に少ない87の参加ギャラリーは、すべて個展形式での出展が義務付けられており、厳格なルールによって、ある種「強制的なスローダウン」が実現されている。

その結果として、京都で毎年開催されるアートコラボレーション京都(ACK)にも通じる、より「ヒューマン」なアートフェアが立ち上がっている。世界の共通資産としての文化芸術を守り、楽しむことを静かに促すという点で、ABQは「クワイエット・ラグジュアリー」なアートフェアと呼ぶこともできそうだ。それは、従来のアートフェアが持っていた高揚感や競争と引き換えに、鑑賞の密度や文脈性を優先した選択とも言える。

US版『ARTnews』編集長のサラ・ダグラスが別の記事で言及しているように、2月2日に行われた記者会見で今回のフェアディレクターを務めたアーティスト、ワエル・シャウキーは、フェアの目的は「各アーティストの実践を文脈に置く」こと、そして来場者に「よりゆっくりと、より深く」鑑賞してもらうことにあると語っている。その思想はブース表示にも反映されており、従来のフェアではブース番号とギャラリー名のみが表示されることが多いのに対し、ABQではまずアーティスト名が大きく掲示され、その後にギャラリー名が併記されている。また、同会見でアート・バーゼルCEOのノア・ホロウィッツが「見た目はビエンナーレのようだが、すべてが販売対象でもある」と述べたことを踏まえれば、「芸術祭のようなフェア」という印象は決して的外れではない。

理念とマーケットのあいだで

会場で言葉を交わしたアートアドバイザーやコレクターからも、「従来のアートフェアの狂騒からはほど遠く、穏やかで平和的」「購買意欲は湧きづらいが、深い鑑賞体験が得られる」といったポジティブな声が聞かれた。初日ということもあり、いくつかのギャラリーを除いて販売状況については「終了しないとなんとも言えない」としつつも、「心配はしていない」という反応が多かった。

カタールがアート・バーゼル誘致にどれほどの資金を投じたのかは明らかではないが、アートフェアがギャラリーにとって重要な収入源であるという現実は、ABQにおいても変わらない。理念としてのABQの一貫性と、出展者にとっての経済的成果は、必ずしも同時に測れるものではない。静謐で文脈重視のフェアが、マーケットとしてどのような結果を残すのかは、最終日を迎えた段階で改めて問われることになる。

一方で、アートフェア最大の魅力の一つである「新しいアーティストや作品との出会い」という点では、やや物足りなさを感じたのも事実だ。M7に入ってすぐに目に入るのが、ピカソ(Van de Weghe)、フィリップ・ガストン(ハウザー&ワース)、ジャン=ミシェル・バスキア(Acquavella)であり、クリスト(ガゴシアン)やドナルド・ジャッド(Mignoni)といった巨匠の作品に再会できるのは、さすがアート・バーゼルといったところではあるが、多くのギャラリーが「お馴染みのアーティストによる作品」を提示していた点で、全体としては保守的なラインアップと言える。ただし、その保守性は単なる市場的リスク回避というよりも、「すでに評価の定まった作家の実践を、改めて文脈の中で提示する」というABQの基本姿勢の表れとも受け取れる。その意味でも、このフェアはやはり「クワイエット」で「ラグジュアリー」な場だ。

「文脈の中で」提示される作家たち

もちろん、個人的に強く印象に残ったブースも複数あった。いずれも、歴史や記憶、身体、制度といったテーマを軸に、地域性と普遍性のあいだを往復する実践であり、ABQの性格をよく示していた。

アリ・シェリー(Ali Cherri)《Vakono》の展示風景。Photo: Maya Nago/ ARTnews JAPAN

たとえば、アルミン・レッシュによるアリ・シェリー(Ali Cherri)の個展だ。レバノン出身のシェリーは、戦争、考古学、博物館、身体、暴力の記憶などを扱いながら、「歴史はどのように保存され、誰によって語られるのか」という問いを、映像と彫刻を中心に掘り下げてきた作家である。考古学的な遺物を彷彿とさせる作品群の中でも、《Vakono》は、考古学的に価値がないと判断された遺物を組み合わせた人型彫刻で、他者の身体や歴史がいかに分類され、沈黙させられてきたかを暴き出す、シェリー作品の批評性が端的に表れた一作だった。

シンガポール発のギャラリー、Ames Yavuzが紹介したピナリー・サンピタック(Pinaree Sanpitak)も印象深い。1990年代初頭から一貫して、女性の身体、母性、宗教(とりわけ仏教)、ケア、スピリチュアリティを主題に制作を続けてきた、タイ現代美術を代表するアーティストの一人だ。ここではVessel(器)をテーマとした作品が集められており、多数の壺がモゾモゾと動く《Balancing Act 24》は、ユーモラスであると同時に、彼女が長年取り組んできた主題が凝縮されたかたちで立ち現れていた。

シルパ・グプタ(Shilpa Gupta)《Words come from Ears》の展示風景。Photo: Maya Nago/ ARTnews JAPAN

インドを拠点に活動するシルパ・グプタ(Shilpa Gupta)を紹介したのは、ベルリンのギャラリー、neugerriemschneiderだ。インスタレーション、音、テキスト、パフォーマンス、彫刻といった多様なメディウムを横断しながら、国境、検閲、監視、言語、沈黙、声といったテーマを一貫して扱ってきたグプタの《Words come from Ears》は、かつて駅や空港の案内表示に使われていた反転フラップ式案内表示機を用いた作品である。人の頭部が隠れるほどの高さに吊るされた表示機が、アナログな動作で言葉を紡ぎ出す様は、検閲や権力と個人の関係を、詩的でありながら時に暴力的に問いかける。

パスカル・マルティン・タユー(Pascale Marthine Tayou)の展示風景。Photo: Maya Nago/ ARTnews JAPAN

イースターエッグを思わせるカラフルな卵型彫刻が壁面や床に配置され、祝祭的でありながらどこか不穏な空気を漂わせていたのが、GALLERIA CONTINUAによるパスカル・マルティン・タユー(Pascale Marthine Tayou)の個展だ。カメルーン出身のタユーは、壺を積み上げたトーテム状彫刻やチョークを用いた壁面作品、ガラス製マスクなどを通じて、移動、グローバリゼーション、消費、アイデンティティの不安定さを、軽やかさと鋭さを併せ持つ表現で可視化してきた。土着文化への参照が明確である一方で、それらをアフリカ美術やポストコロニアルという枠に回収すること自体への批評性も感じ取れる展示だった。

メリアム・ベンナニ(Meriem Bennani)《Windy》展示風景。Photo: Maya Nago/ ARTnews JAPAN

また、モロッコ出身の映像作家、メリアム・ベンナニ(Meriem Bennani)による、Eバイクのモーターによって高速回転し続けるネオプレン製トルネード型彫刻《Windy》も、会場でひときわ存在感を放っていた。本作はもともとニューヨーク・ハイラインの公共彫刻として制作されたもので、制御不能な自然現象である竜巻が、人工的に永遠に生成され続けるという設定が、ユーモラスな外見とは裏腹に不安を掻き立てる。人間の営みに起因する災害や混乱が反復され続ける現実への皮肉な問いが、そこには込められている。ニューヨークにおける都市再生の象徴とも言えるハイラインのために制作されたこの作品が、カタールが誇る都市再生プロジェクト、ムシェイレブを舞台に展開されるABQで展示されていることの意味についても、考えさせられた。

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