エジプト 中王国後期(紀元前1850~前1700年頃)の王族の遺骨を再調査した研究成果が7月17日、学術誌「Frontiers in Environmental Archaeology 」に掲載された。研究を率いたのは、エジプト のベニ・スエフ大学の考古学者ゼイナブ・ハシェシュ。Greek Reporter が伝えた。
調査対象となったのは、ホル王、ヌブヘテプ王女、イタ王女、クヌメト王女、イタウェレト王女と、不明の女性1人の計6人。いずれの遺骨も、フランスの考古学者ジャック・ド・モルガンが1894~95年にダハシュールで行った発掘調査で見つかった。
遺骨は1915年にカイロのエジプト博物館へ移され、その大半は地下収蔵庫で100年以上にわたって本格的な調査を受けないまま保管されていた。2020年に再発見され、今回の研究に繋がったという。
研究チームは、骨の形態を調べる骨学的分析に加え、X線撮影やフーリエ変換赤外分光法(FTIR)を実施。年齢や健康状態、日常的な身体活動、血縁関係、防腐処理に使われた物質などを分析した。
とくに注目されたのが、筋肉や腱、靱帯が骨に接する「付着部」だ。筋肉を長期間にわたって繰り返し使うと、この部分が発達したり、隆起が目立ったりすることがある。ただし、同様の変化は年齢や体格など別の要因によっても生じるため、解釈には注意が必要だ。
28~34歳で亡くなったイタ王女の遺骨からは、右肩や腕、手に発達した付着部が確認された。研究チームは、武器などを繰り返し握る動作によって生じた可能性があると指摘。王女の墓から見つかった豪華な短剣や棍棒を、生前に実際に使用していた可能性を示すものだとしている。
40代前半で亡くなったヌブヘテプ王女の遺骨でも、前腕と右手の付着部が著しく発達していた。ド・モルガンは王女の墓から、保存状態のよい複数の矢を発見している。研究チームによると、右手の骨に見られる変形や筋肉付着部の発達は、弓を繰り返し引いたことで生じた可能性があるという。
クヌメト王女とイタウェレト王女の腕や肩にも、弓を引く動作と一致する骨格上の特徴が確認された。ホル王の遺骨でも、左右の腕における筋肉付着部の非対称性など、武術やそれに類する反復動作との関連が考えられる痕跡が見つかった。
王女たちも武闘に参加した可能性
弓を射る動作を繰り返すと、弓を支える側と弦を引く側で異なる筋肉が使われ、上半身に左右非対称の発達が生じることがある。短剣や棍棒を繰り返し握る動作でも、手や腕の付着部が発達する可能性があるという。
研究チームは、こうした骨格上の特徴と副葬品を照らし合わせ、墓に納められた武器が単なる権威や身分の象徴ではなく、王族たちが生前に実際に使用していた可能性があると結論づけた。
この結果は、古代エジプト社会で身体的負担の大きい活動を担ったのは主に男性だったという従来の見方に再考を促すものだ。とりわけ王族の女性は、高い社会的地位によって当時の一般的な性別役割を越え、武術や儀礼的な身体活動に参加できた可能性がある。
また、フーリエ変換赤外分光法を用いて遺骨に付着した黒色の物質を分析したところ、イタ王女を除く5人には乳香とセイヨウネズの樹脂を混ぜた防腐剤が使われていたことが判明した。イタ王女の遺骨からは、セイヨウネズの樹脂のみが検出された。
これらの香料や樹脂は、エジプトとヌビア、スーダン、プントなどを結ぶ長距離交易網を通じて入手されたと考えられている。王族の遺体には、遠隔地から運ばれた高価な物質を使った、一定の基準に基づく防腐処理が施されていた可能性がある。
遺骨からはこのほか、治癒した骨折や幼少期の栄養不足や感染症を示す兆候、関節や脊椎にかかった負担の痕跡も確認された。こうした発見は、特権的な生活を送った王族であっても、病気やけが、身体的負担と無縁ではなかったことを物語る。
さらに、複数の人物の脊椎には、共通する先天的特徴が見つかった。研究チームは、こうした特徴が6人の遺伝的な近縁性を示す可能性があると指摘。エジプト中王国(第12~13王朝)の王家で、同族内の婚姻が行われていたという見方を補強する証拠だとしている。
大エジプト博物館の必見スポット15選──ツタンカーメンの宝物からビールを作る召使い像まで
2025年11月、世界の注目を浴びてついにグランドオープンした大エジプト博物館。そこには5000点を超えるツタンカーメン王の全財宝が史上初めて一堂に集められ、7000年にわたる古代エジプト文明の歴史が圧倒的物量と質で目の前に繰り広げられる。その数えきれない見どころの中から、3人の専門家が必見の展示を紹介する。
1. ラムセス2世像
大エジプト博物館の壮大なエントランスホールを見下ろしているのが、エジプト第19王朝3代目のファラオ、ラムセス2世の巨像だ。素材はピンク色の花崗岩で、高さ約11メートル、重さは82トンにも達する。
ラムセス2世はレバント地方(地中海東岸)への遠征を指揮した英傑で、世界最古の国家間平和条約を締結した王として知られる。1820年にミト・ラヒナ(古代エジプトの首都メンフィスがあった場所に位置する村)で発掘された巨大なラムセス2世像は、カイロ中心部の広場に約50年にわたって設置されていた。しかし、排ガスによる劣化が懸念されたため、エジプト政府は2006年に像をギザへ移動。その際の夜間運搬は大きな注目を浴びた。2018年1月には大エジプト博物館のアトリウムへ最後の移動を果たし、同館で最初に設置された主要展示物となった。
Photo: ©Grand Egyptian Museum
2. クフ王の「太陽の船」
ギザの大ピラミッドを建造した第4王朝のファラオ、クフ王のために造られた「太陽の船」は、記録に残る世界最古の大型木造船の1つで、第1の船と第2の船の2隻が見つかっている。全長が40メートルを超える船にはレバノン杉が用いられ、紀元前2500年頃、クフ王のピラミッド南側の船坑に分解して封印された。2隻とも、太陽神ラーとともに王の魂が来世へ移動するためのものとされる。
4500年以上もの間、地下に隠されていた第1の船が見つかったのは1954年。エジプトの調査隊によって木片1224点が発掘され、修復の名手ハグ・アーメド・ユーセフ・ムスタファが十数年をかけて丹念に復元した。この船の構造は極めて精密で、理論上は今でもナイル川を航行できると言われている。なお、1987年には早稲田大学エジプト学研究所が、電磁波地中レーダー探査で第2の船の存在を確認。第1の船に隣接する坑から発掘され、現在は大エジプト博物館で復元作業が一般公開されている。
Photo: Ahmed Gomaa/Xinhua News Agency via Getty Images
3. ヘテプヘレス妃の副葬品
第4王朝のスネフェル王の妃で、クフ王の母にあたるヘテプヘレスの墓は、1925年にギザのピラミッド近くで発見された。この王朝は大ピラミッドやスフィンクスといった驚異的建造物で知られるが、ヘテプヘレスの墓からも当時の繁栄を偲ばせる副葬品の財宝が出土した。その1つが木と金銀で作られたヘッドレスト(枕)だ。古代エジプトにおいて枕は現世でも来世でも不可欠なもので、頭を支え、首を冷やし、さらには死者の復活を助けるとされていた。
ヘテプヘレスの墓から出土した遺物には、アラバスターの石棺(空の状態で見つかった)や寝台、椅子や輿、宝石箱などが含まれていた。しかし、その数年前に墓が発見されたツタンカーメンが世界的ブームとなっていたために、王妃のコレクションは当時ほとんど注目されなかった。その後、約1世紀を経て、ヘテプヘレスの財宝は古王国時代の眠りに関する儀礼を伝える貴重な記録として知られるようになっている。
Photo: Courtesy Ahmed Maatouk
4. ツタンカーメンの短剣
若くして王になったツタンカーメンの墓から出土した5000点以上の遺物の中で、長年にわたり研究者が魅了され、かつ頭を悩ませてきたのがこの短剣だ。ツタンカーメンの右太腿あたりで見つかった短剣は鉄でできているが、紀元前14世紀のエジプトにはまだ鉄の製錬法が伝わっていなかったからだ。
2016年、鉄にニッケルと微量のコバルトが混じった組成から、短剣に使われている金属は隕石由来のものだとする研究結果が発表された。この短剣を「天からの鉄」と呼んだ古代エジプト人は、おそらく隕石の貴重さを認識していたのだろう。専門家たちは、精巧な技法と希少な素材が用いられたツタンカーメンの短剣から、古代エジプトの生産技術の謎をさらに解明しようと研究を続けている。
Photo: Courtesy Ahmed Maatouk
5. ツタンカーメンの黄金の玉座
金箔で覆われ、ガラスや半貴石が象嵌されたツタンカーメンの玉座は、古代エジプトにおけるデザインのシンボル的存在だ。
1922年に王家の谷で発見された玉座は、エジプト王の絶大な地位と権威を物語っている。背もたれの板には椅子に座るツタンカーメンと、その肩に香油を塗ろうと手を伸ばす妻アンケセナーメンの姿が描かれ、神格化されたファラオの地位を示しつつも、王自身の優しく人間的な側面が表現されている。第18王朝後期にまでさかのぼるこの玉座は、少年王ツタンカーメンの象徴的な姿やファラオの不滅の神性を今に伝える重要な遺物だ。
Photo: Xin Mengchen/Xinhua News Agency via Getty Images
6. アンク・アフ・エン・コンスの碑(啓示の碑)
エジプト末期王朝時代のものとされる彩色木版のステラ(碑)は、戦いの神モントゥの神官、アンク・アフ・エン・コンスのために作られた。描かれているのは、太陽神ラーと天空の神ホルスが融合したラー=ホルアクティ神に神官が供物を捧げる姿だ。
それから2000年あまり後の1904年、イギリスの神秘主義者で「魔術」の実践者でもあったアレイスター・クロウリーがカイロのエジプト考古学博物館でこの碑と出会い、神秘的な啓示を受けたと主張したことで広く知られるようになった。クロウリーは、そのときの啓示が自らの創始した現代宗教「セレマ」の基盤になったとしている。
Photo: Via Wikimedia Commons
7. 「ペルセポネの誘拐」を描いたグレコ・ローマン時代のレリーフ
ギリシャ神話の冥界の神ハデスに拐われた春の女神ペルセポネが、エジプト神話の来世の案内人アヌビスに迎えられる場面を描いた石灰岩のレリーフは、ギリシャ神話とエジプト神話の混淆を示している。エジプトに入植したギリシャ人が、ギリシャ神話のハデスをエジプト神話の冥界の神オシリスに対応する存在と見なすなど、馴染みのある物語や属性を通じて異国の神々を解釈していった宗教融合の時代を反映した貴重な遺物だ。
このレリーフが示しているのは、ギリシャとエジプトという2つの古代国家の接触を通じて進んだ両者の信仰体系の融合で、共有された宗教的要素がハイブリッドな図像の発展につながった過程が垣間見える。
Photo: Curtis Ryan
8. ウィッグスタンドとして使われた女性の頭部の彫刻
大きなイヤリングを付けた女性の頭部を模したこのウィッグスタンド(かつら台)は、かつらが文化やアイデンティティ表出のうえで大きな役割を担っていた当時の装いの習慣を今に伝えている。
かつらは社会階級や性別を超えて着用され、個人の身分や年齢、権威を示すものだった。たとえば、人毛のかつらは主にエリート階級が着用していたという。古代エジプトでは髪に関する埋葬習慣が重要視されていたことが知られているが、このウィッグスタンドは日常生活と自己表現におけるかつらの重要性を物語っている。
Photo: Curtis Ryan
9. Hekaemsaf(ヘカエムサフ)の黄金のマスク
古代エジプトにおけるマスクには、ミイラの頭部を保護するとともに神性を象徴する役割があり、死後の世界で魂が自らの身体を認識する助けになると考えられていた。この黄金の葬儀用マスクは、末期王朝時代の第26王朝でアマシス2世の船の監督官を務めたHekaemsaf(ヘカエムサフ)のものとされている。
マスクは槌を打って伸ばした金の板でできており、長石の目、黒曜石の瞳、ラピスラズリのまぶたと眉が、まるで生きているかのように感じさせる。これらの装飾は着用者の階級を表し、神の加護を象徴するものでもある。
Photo: Curtis Ryan
10. ラムセス2世の三連像
紀元前13世紀を中心に栄えた第19王朝時代に作られたこの赤御影石の彫刻は、ヘラクレオポリス・マグナ(現在のベニ・スエフ県に位置)のプタハ神殿で発見された。古代エジプトの都市メンフィスで信仰された創造神プタハと、プタハの妻で雌ライオンの頭を持つ戦争と治癒の女神セクメトを両脇に従えたラムセス2世の姿は、王が2体の神々に守られ、神々と協力関係にあることを視覚化し、その権威の高さを示している。
現在この像は大エジプト博物館の大階段に展示されており、ファラオが宇宙の秩序・均衡・調和の概念である「マアト」を支える役割を担っていたことを強く印象付けている。
Photo: Sayed Hassan/Getty Images
11. ビールを醸造する女性2人の小像
古王国時代に作られたこの彩色木像は、当時のビール作りの様子を捉えたものだ。2人の女性の召使いがもろみを濾して甕の中に麦汁を貯める姿からは、ビールが古代エジプトのさまざまな社会階層で欠かせない飲料だったことが窺える。
ビールは保存期間が短いことから、醸造作業は毎日の重要な仕事として生活に定着していた。カロリーや水分を補給するためだけでなく、日々の楽しみでもあったビールは、ピラミッド建設などの国家的事業に従事する労働者には、1日を通して決まった量が支給されたという。ニアンクペピケムの墓から副葬品として発見されたこの小像は、死後の世界でも楽しめるようにと、貴重なビールを墓に収めたことを示唆している。
Photo: Courtesy Ahmed Maatouk
12. 玉座に座るカフラー王
玉座に座り、前方を見つめている第4王朝のカフラー王は、王のための頭巾であるネメスを着け、ハヤブサの頭部を持つ天空の神ホルスに背後から頭部を守られている。玉座にあしらわれている蓮とパピルスの文様は、上エジプトと下エジプトの統一を象徴するものだ。像の素材には、サハラ砂漠の奥地でのみ採れる極めて硬い緑色の岩石、アノーサイト片麻岩が用いられている。
この像は、カフラーの「カー」(生命力)を宿すために作られた。古代エジプトの信仰では、カーには物理的な住処が必要とされ、ミイラが損傷した場合、カーの像がそれに代わる役割を果たすと考えられていた。
Photo: Courtesy Egyptian Museum of Cairo
13. テル・エル=ファルカで出土した小像
金で覆われたこの小像は、5000年以上前にさかのぼる先王朝時代、ナカダ文化ⅢB期(紀元前3350~紀元前2920年頃)のものと見られ、古代エジプト最古の統治者像とされる。像の芯部は木製で、ラピスラズリで縁取られた目が鋭い眼光を放っている。ラピスラズリは、現在のアフガニスタンに当たる産出地からはるばる輸入された貴重な素材だった。
大きい像は高さ約60センチ、小さいほうは約30センチで、統治者とその後継者と考えられている。用いられている素材が物語るのは、ナイルデルタ地帯の交易ネットワークと富、そして像が支配階級の地位を示していることだ。
Photo: Courtesy Ahmed Maatouk
14. メンカウラー王の像
第4王朝時代のこの像は、ギザのピラミッド群で最も小さいピラミッドを建造したファラオ、メンカウラー王を描いたものだ。当時理想とされた大きな手足や長い脚、力強く筋肉質な体が表現されている。
この像は、未完成に終わったメンカウラー谷の神殿に、他の像とともに安置される予定だったと考えられている。
Photo: Courtesy Mosaic Club
15. 金と銀でできたデンデラ神殿のホルス神像
この金と銀の像はハヤブサの姿をしたホルス神を表現したもので、頭上には太陽を表す金の円盤を戴いている。デンデラ神殿の宝物の1つとされ、盗賊から守るために司祭たちによって隠されていたと見られている。
デンデラ神殿の宝物とは、20世紀初頭にルクソールの北にあるデンデラ神殿とその周辺で発見された小像、宝飾品、儀式用器具、鏡などの遺物群だ。ホルス像は現在、同時に出土した他の遺物とともに展示されている。
Photo: Courtesy Vanilla Travels
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