絵画の傷は直さない方がいい? プロの保存修復家が指南する「アート作品を守る5つの心得」

アートをコレクションするうえで重要な、作品の保存や修復についての知識は十分だろうか? 愛着のある作品を大切に保存し、その価値を次世代に伝えていく上で覚えておきたい基礎知識や心構えをプロが指南する。

Illustration: Iris Legendre
Illustration: Iris Legendre

現代アートの世界において、絵画のメンテナンスや修復作業に関する情報は、それに関わる一部の人々の間だけで共有される場合がほとんどだ。しかし、そこには意図せぬ弊害がある。多くのコレクターがそのせいで、時を経る中で絵画が辿る複雑な道のりについて知る機会を逸してしまうのだ。フォトショップで欠陥を簡単に修正できてしまう今の時代、絵の具は劣化しないという錯覚にすら陥りやすい。

実のところ、絵画は見た目以上に手がかかるもので、変化しやすい。著名な美術コレクションの歴史を調べれば、それらを次世代に残すために数多くの人々が尽力してきたことが分かる。メディチ家からディエゴ・ベラスケスに至るまで、あらゆる階層や分野の人々が、作品の保存に欠かせない地道な作業に取り組んできた。その献身的な姿勢は、王の所蔵品であれ、親から受け継いだ愛着ある数点の絵であれ、何ら変わりはない。

アート作品と共に暮らしていれば、思わぬハプニングに直面することもあるだろう。だが、正しい心構えと適切なツールさえあれば、それほど心配する必要はない。アートコレクションを大切に守り抜いていくことは、大きな喜びと充実感を与えてくれるはずだ。今の美術史に対する理解があるのは、それぞれの時代に生きた芸術の守り手たちの的確な選択のおかげだとも言える。ぜひ、以下に挙げる5つの「プロのヒント」を、美術品を後世に伝えていくというやりがいのある道を歩み始めるきっかけにしてほしい。

1. 所有作品の特質とコンディションを把握する

Illustration: Iris Legendre
Illustration: Iris Legendre

個人コレクターから絵画を借り受けた美術館が最初にすることは、写真撮影、検分、レポート作成などのドキュメンテーションだ。ところが、新たに取得した作品に対して同様の作業を行うコレクターはほとんどいないだろう。この手続きに展示機関が多大な労力と費用をかけるのは、アートそのもののためというより、保険会社や貸し手を安心させるための「官僚的パフォーマンス」ではないかと考える人もいるかもしれない。絵画は植物ではないのだし、突然枯れてしまうことを想定しなくてもよいのではないかと。しかし絵画には、(良い意味でも悪い意味でも)想像以上に多くの可変的な要素がある。それなのに、変化の起きる可能性は低く見積られがちだ。

そもそも、絵の具とは何だろう? 単なる赤い点のように見える筆跡も、分子レベルではずっと複雑だ。その中では何千何万もの金属や鉱物の粒子と、植物・昆虫・動物から抽出された物質が混ざり合い、絵の具の膜の中で繊細な均衡を保っている。絵画を植物、動物、鉱物いずれかのカテゴリーに分類するのは困難だ。もし、ツタとカブトムシと鉄の塊が組み合わされて壁に掛けてあれば、それはミクストメディア作品だと見なされるだろう。しかし、同じ素材が微細な粒子にまで粉砕され、顔料に加工され、筆を使って塗られた場合、それは単純化され過ぎて誤解を招きやすい「油絵」という名称で呼ばれてしまう。

さらに、筆跡それ自体は自らを支えることができないため、絵の具は必然的に支持体に依存することになる。画家はあらゆる種類の平面素材(多くの場合は布地)の上に絵の具を塗る。絵を支えている布地は、さらに別の構造体(木枠など)に張られる。顔料に含まれる金属粉から、布地を織りなす糸に至るまで、絵画を構成する多種多様な「内部器官」は、互いに、そして絶えず変化する外部環境と動的な対話を繰り広げている。その変数は専門家にとっても気が遠くなるほど多く、2020年にヘリテージ・サイエンス誌で発表された化学の論文では、絵画を「圧倒的な複雑さ」を持つ「準安定的な状態で多層構造の不均一な高分子材料」と表現していた。

つまり、絵画はそれぞれが唯一無二の存在で、時間の経過が個々に及ぼす変化を単純に予測したり一般化したりすることはできない。また、比較的新しい絵画の塗膜には、特有の脆弱性がある。油彩画の表面が強固な塗膜へと硬化するまで1世紀以上を要することもあるし、発明されてから100年も経っていないアクリル絵の具の経年変化については現在進行形で解明されつつあるところだ。それに、ワニスで保護される前の、まだ柔らかい塗膜にとって、ほこりは特に脅威となる。粉末状の汚れとして絵の具に永久に埋め込まれてしまう可能性があるからだ。

絵画の状態を詳細に記したコンディションレポート、それも特に取得時の状態を記録したものは、取り返しのつかない深刻なダメージを防ぐための重要なツールだ。どんなに簡潔なメモであれ、作品に関する情報には価値があるが、レポートの質は重要だ。経験豊富なコンサルタントによる監査と同様、保存修復の専門家による優れたコンディションレポートは、単なる現状報告にとどまるものではない。それは、作品の来歴や素材の状態を評価し、将来の見通しまで指摘することで、脆弱性がどこにあるかを示してくれる。

絵画のコンディションは、それを見る機会が多ければ多いほど良好に保たれる。よって、コレクターには定期的に所蔵品を鑑賞する時間を作ることをおすすめしたい。時間帯を変えて見てみたり、1人で、あるいは誰かと一緒に作品を鑑賞したり、近くに寄ったり離れたりして眺めたり──絵画を楽しむことと保存することは切り離せない関係にあるのだ。

本項目のポイント:今後起きるかもしれない変化の評価基準とするため、作品を取得したら早い段階で写真付きのコンディションレポート作成を依頼すること。定期的に絵画を観察し、ほこりがつかないよう注意すること。絵画を保管する際(特に地下室の場合)は、床に直置きせず、台などの上に載せること。カンバス作品の場合は、保存修復師や額装業者に依頼し、木枠に裏板を取り付けてもらうこと(必要に応じて取っ手も)。これは衝撃、ほこり、振動から絵を守り、ひび割れも軽減できる重要な予防措置となる。

2. すべての変化が修復の必要な傷だとは限らない

llustration: Iris Legendre
llustration: Iris Legendre

貧しい若手画家だった頃にウィレム・デ・クーニングが描いた絵に、ネズミの小さな足跡が見つかったとしたら、それは除去するべきなのだろうか? それとも、それは彼の不屈の精神を今に伝える繊細な証で、キャリアのあらゆる段階においてアーティストを支援すべきだというメッセージとして受け止めるべきなのか? ジャスパー・ジョーンズが自宅でドアとして使っていたラウシェンバーグの版画の縁には、彼らの指紋が付いているかもしれない。この生活の痕跡を単なる汚れと見るのか、それとも親しい間柄だった2人の関係性を映し出す一風変わった肖像と見るべきなのか?

窓や配管に入ったひびは、明らかに修理が必要な損傷だ。しかし絵画には、窓や配管にはない複雑で謎めいた役割があり、ある作品が突然予期せぬ意味を帯びることがある。欠陥だと思える部分があったとしても、完全な状態に復旧すべきだという固定観念に駆られて安易に「修正」するべきではない。

アーティストにはそれぞれ、自作に対する独自の考え方がある。たとえば、自身の絵画を「ミクストメディア」と呼んでいたメアリー・ラブレース・オニールは、ラメや昆虫、ひもなどの思いがけない物質や生き物が作品に付着することを前向きに捉えていた。彼女にしてみれば、進化し続ける精神を持つ作品にとって、それらは歓迎すべき存在だったからだ。その一方で、可能な限り完成時の状態を保ちたいと望むアーティストもいる。とはいえ、保存修復に関するアーティストの方針についてはまったく情報がないか、情報があったとしても解釈の幅がある場合も多い。そのため、保存修復作業においては、手先の器用さと同じくらい慎重な判断が重要となってくる。

ある作家が手がけてきた作品のほとんどに、制作プロセスに起因する避けられない変質が見られる場合、そうした変質は作品の真正かつ当然の特徴として受け入れられることもある。たとえば、ジョアン・ミッチェルの絵画に詳しい修復師であれば、彼女の作品の多くに見られる広範囲なひびに驚くことはないだろう。なぜなら、ミッチェルが選んだ素材や、絵の具の物理的限界に挑戦するような制作スタイルに起因するものだからだ。実験の痕跡であるこうした変質は、不注意や事故の結果ではなく、むしろ作品の魅力を増幅させる要素として解釈される場合が多い。ミッチェルの絵画の絵の具のひび割れは、彼女の人生や創作上の意図を反映している。だが、カビによる斑点には(通常)そうした意味はない。

こうした文脈に関する知識こそが、直すべきものと直すべきでないものを区別するための最も重要なツールとなる。作品の来歴を理解し、アーティストの意思決定の背景にある「どのように」「どこで」「いつ」「なぜ」を把握していれば、制作プロセスを反映する痕跡などの意味のある変質を、無神経に消してしまわずに済む。

本項目のポイント:あなたが収集している作品と同じ種類の絵を専門とする保存修復師を選ぶこと。ポロック作品とルーベンス作品には、異なるアプローチが必要だからだ。理想を言えば、あなたが収集しているアーティストの作品を扱った経験のある修復師に依頼することが望ましい。また、可能なら調査をしたり、アーティスト本人や制作に関わった人物、企業、財団、遺産管理団体、あるいはギャラリーに問い合わせたりして、手元の作品をどう管理するのが最善なのか情報を取集・記録すること。

3. 事故の防止方法と事故が起きたときの対処法

Illustration: Iris Legendre
Illustration: Iris Legendre

注意を払うこと。それが全てだ。ずっと同じ場所に掛けられている場合であっても、絵画は環境の細かな変化の影響を受ける。室内の光の状態は1日の間、そして季節ごとに移ろうものだし、空気には見えない流れがあって微細なほこりが漂っている。さらに窓や通気口、天窓の位置など、変化の要因は多岐にわたる。

とりわけ注意が必要なのは輸送時で、保険請求のほとんどは絵画の設置、撤去、または移動中に生じた損傷に対して行われる。ここでは、慎重さと常識こそ事故防止のベストプラクティスだ。大きなものを1人で運んだり、散らかった場所で作業したりするのは危険だし、作品を持ち上げたり梱包したりする作業員は、その仕事を熟知していなければならない。アートハンドラー(美術品の展示・梱包・運搬に携わる専門職)には、多種多様な素材と、さまざまな状況下でそれらを扱うことに関する広範かつ深い知識はもちろん、先の先まで予測する能力が求められる。そして、あらゆる職人技がそうであるように、こうしたスキルは経験を通じてのみ培われる。ニューヨークのような大都市には世界トップクラスのアートハンドラーが多いが、反面、市場規模が大きいだけに、企業間および企業内での能力のばらつきがある可能性も少なくない。

絵画は鑑賞され、生活空間に飾られるのを前提としているため、完全に事故を防ぐことは難しい。最も厄介な問題は大概、事故そのものではなく、その直後のパニックが引き起こすミスが原因となって起きる。たとえば、誰かに気づかれる前に汚れを落とそうと絵画の表面をこする、破れを接着剤でくっつけようとするといった行為がこれに当たる。事故が起きた時は、まず写真を撮って記録を残し、後はできるだけそっとしておくこと。現場にいた人に、損傷への的確な対処ができる可能性は限りなく低いからだ。

本項目のポイント:絵を飾る場所を選ぶ際は、その環境をよく観察すること。窓からの日差しは1日を通してどこに当たるのかを把握し、浴室や熱源、換気口の近くは避けること。事故が起きたら、まずは落ち着くように努め、作品に触れないのが最善策である場合がほとんどだ。剥落した絵の具の破片は拾い集めて保管すること。大きな破片はショッキングだが、修復師にとっては微細な欠片よりはるかに再接着が容易だ。米国文化財保存修復学会(AIC)、カナダ保存研究所(CCI)、アメリカ合衆国国立公園局(NPS)は、よくある緊急事態への対処に関する情報をオンライン上で提供している。また、絵画を運搬する際には、経験者の支援とリハーサルが鍵となる。目的地までのルートをしっかり把握し、必要に応じて途中の休憩地点を確認しておくこと。作品を入れた箱にはラベルを貼り、梱包材が絵画の表面に直接触れないようにすること。注意力と手間を要する大変な作業なので、必ず時間に余裕を持って行うことを心がけよう。

4. 修復を恐れない

Photo : Illustration Iris Legendre
Photo : Illustration Iris Legendre

人は大昔から作品の修復に不安を感じていた。たとえば、古代ローマの博物学者で政治家でもあった大プリニウスは、海水で傷んだ絵画について、それを制作した画家への敬意から誰も修復しようとしなかったと書いている。これは現代も同じで、作家自身でさえ色や光沢、質感のバランスが崩れるのを恐れて、一度完成させた絵の「封印」を破って手を加えるのをためらうことがある。

一方、メトロポリタン美術館の絵画保存修復部門で責任者を務めていたジョン・ブリーリーには、「今の見た目こそが、その絵画にほかならない」という有名な言葉がある。もし、絵の構図よりも損傷部分が先に目に飛び込んでくるなら、その絵画は本来のあり方を失っていることになる。白いシャツのシミにばかり目が行くのと同じように、ごくわずかな欠損でさえ、驚くほど作品の印象を損なわせることがある。

優れた修復師は欠損部分の補彩を行う際、油絵の修復に水彩絵の具を使うなど、元の絵とは異なる組成の材料を用いる。それは、将来的に補修部分を除去できるようにしておくためだ。肉眼では見分けがつかないほど巧みな修復でも、紫外線ライトを当てればその痕跡が浮かび上がる。そして修復の跡は、元の絵についたシミとして不当に判断されてしまうこともある。ここで忘れてはならないのは、問題は損傷そのものであり、それを修復するために施された処置ではないということだ。

どこまで修復するかは、その都度柔軟に判断する必要がある。アート作品の創造に「正しい」方法がないのと同様に、その損傷に対する唯一の「正しい」解決策も、多くの場合は存在しない。まずは最小限の処置をした後に見直して、さらなる処置が必要かどうかを決めればいい。どんな保存修復であっても、そのプロセスはいわば対話のようなものだ。そして、上手くいけば魔法のような奇跡が起きることもある。裂け目や穴は完全には直せないが、擦り傷や液体が滴った跡、小さな染み、こびりついた汚れの層、カンバスのたわみなどは、技術があればかなり解消できる。適切な処置をすれば、まるで最初からなかったかのように消せることもあるのだ。

ただ、アート市場では完璧な状態が重視されているとはいえ、完成時の状態を保ち続けることがアート作品にとって唯一の望ましいあり方だとは言い切れない。古くから、絵画は手つかずの完璧な状態で保存されることが理想とされているので意外に思うかもしれないが、長い歴史の中で何度も修復を経てきたことで、時とともにその絵画の重要性が高まっていく場合もある。

その一例に《夜警》(1642)がある。これが傑作とされる理由は、レンブラントの芸術的手腕だけではない。保存修復家のエスター・ファン・ドゥインやキュレーターのヤン・ピート・フィレット・コックが指摘するように、大がかりな修復(経年劣化したワニスの除去と塗り直し)が何度も行われ、そのたびにこの絵は世間の注目を浴びた。いくつもの世代が、レンブラントの描いた人物が暗く変色した塗膜の下から鮮やかによみがえるのを目の当たりにしたのだ。そのようにして、新たな観客が作品の魅力に引き込まれていった。まるでそれが天啓でもあるかのように。

絵画は有形の物体だが、その価値はモノの中だけにあるのではない。それを取り巻く文化的意義は人々と作品との間に築かれる関係性から生まれるもので、作品に対する愛着は保存修復のプロセスと密接に結びついている。修復師のイーゼルに載せられた作品はどれも、誰かにとって思い入れのあるものだ。それゆえに、修復の成果は絵画の物理面を超えた影響を及ぼすことになる。

本項目のポイント:最も重要なのは作品を安定した状態に保つこと(絵の具が剥落していないかなど)。それを超える処置は、その都度最善の方法を模索しながら一歩ずつ慎重に進めること。絵画のメンテナンスに時間と資金をかけることで、作品が改めて評価される機会が、予期せぬ恩恵としてもたらされることがある。

5. 今すぐ修復できないなら、一旦立ち止まる

Illustration: Iris Legendre
Illustration: Iris Legendre

どれほど周到にコレクションの管理に取り組んでいる人でも、乗り越えられない壁に直面することがある。たとえば、黒いミニマリズム絵画の表面についた光沢のある擦り跡や、ほんのちょっと触れただけで質感が損なわれる繊細な絵の具に付着した汚れに対しては、現時点では完璧な解決策が存在しない。

また、時間の経過は画材だけに変化をもたらすわけではない。保存修復における興味深い研究分野の1つに、原子状酸素に関するものがある。これは宇宙空間や地球の高層大気中に漂う反応性の高いガスで、太陽風(プラズマ)と衝突して緑色のオーロラを起こすこともある。この研究が進めば、原子状酸素を使って絵画の塗膜に閉じ込められた煤の粒子を気化させることができるという。つまり、オーロラの緑色のカーテンに通せば、火災で黒ずんでしまった絵がきれいになるかもしれないのだ。

本項目のポイント:将来どんな技術が発明されるかは誰にもわからない。時には気長に待つことが最善策になる場合もある。(翻訳:野澤朋代)

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