訃報:アール・ブリュットの代表作家ヨーゼフ・ホーファーが81歳で死去。鮮烈な描写で身体を表現
アール・ブリュットの代表的作家、ヨーゼフ・ホーファーが81歳で死去した。オーストリア生まれのホーファーは、発達障がいと言語障がいがあり、幼少期にはナチスの迫害を逃れるため身を隠していた。ドローイング表現を追求して独自の作品世界を築き、晩年まで国際的に評価され続けた。
発達障がいと言語障がいがあり、幼少期にはナチスの迫害を逃れるため、両親によって身を隠されていた経験を持つ、アール・ブリュット(*1)の代表的作家ヨーゼフ・ホーファーが10月23日、81歳で死去した。仏美術専門紙Le Quotidien de l’Artが報じた。
*1 アール・ブリュット(Art Brut/生(なま)の芸術)は1940年代にフランスの画家ジャン・デュビュッフェが提唱した概念で、既存の文化や流行、美術界の影響を受けずに制作を行う独学のアーティストなどの作品。
ホーファーがこの秋に最後の個展を開いたパリのギャラリー、クリスチャン・バーストによると、肺の感染症に伴う合併症で入院した後、オーストリア北部のリート・イム・インクライスで亡くなった。
「ペピ(Pepi)」の署名で作品を発表していたホーファーは、ほとんど言葉を発することがなく、耳も聞こえにくかった。ドローイングは、彼にとって自らを表現する重要な手段となり、人生や身の回りの観察を、荒々しくも具象的な描写を通して表してきた。なかでも、エロティックな裸体を赤、黄、オレンジの色彩で枠取ったドローイングが代表的で、人物が囲いのなかに閉じ込められているかのような印象を与える。
ギャラリーを運営するクリスチャン・バーストは、US版ARTnewsへのメールで次のように追悼した。
「彼にとって創作は、選択ではなく、生きるために欠かせない営みでした。ドローイングは、世界の中に身を置き、そこに自らの痕跡を残し、あるいは自分の居場所をつくり出す方法だったのでしょう。類まれな強度と人間性を備えた彼の作品は、これからも長く、私たちの心を深く揺さぶり続けるはずです」
ホーファーは1997年、オーストリアで通っていたデッサン教室で出会った美術史家のエリーザベト・テルスニクに見出された。テルスニクはその後、彼を美術機関へと繋ぎ、ヨーロッパ各地で展覧会が開催されるきっかけにもなった。2003年にはスイス・ローザンヌのアール・ブリュット・コレクションで展示が行われ、2010年にはプラハのオーストリア文化フォーラムで回顧展が開催された。さらに2022年には、スイスのヴァルトにあるトゥルガウ美術館/イッティンガー美術館で大規模な展覧会が開かれた。
現在、彼の作品はポンピドゥー・センターのほか、アントワーヌ・ド・ガルベール、ブルーノ・デシャルム、アルヌルフ・ライナーといった著名なコレクターにも所蔵されている。また、フランス・モンペリエの現代美術センターMo.Coでは、ホーファーの作品を含むアール・ブリュット の展覧会「I Am the Phantom of My Own Opera」が、2026年12月5日から2027年5月2日まで開催される予定だ。

1945年3月17日、オーストリア北部に生まれたホーファーは、同じように精神的・身体的な障がいがあった兄とともに、農村部で外部との接触を制限された環境で育った。ナチス政権の衰退後も、ソ連軍の侵攻を恐れた両親は外部との接触を避け、家族の孤立は続いた。
1977年に父親が亡くなると、一家はキルシュラークへ移住した。そこでホーファーは次第に他者と交流するようになり、リートにある精神科クリニックに入院した。1985年にドローイングの魅力に目覚めてからは、色鉛筆を使い、紙に何千点もの作品を描き続けた。初期には農場での暮らしなどを題材としていたが、やがてエゴン・シーレの作品にも影響を受けながら、裸体表現へと展開していった。
美術史家のテルスニクは、ホーファーの最後の展覧会に合わせて刊行されたカタログの中で、彼のドローイングについて「それまで私が目にしてきたあらゆるものとは、まったく一線を画す作品だった」と記している。(翻訳:編集部)
from ARTnews