アートが導く新しい時代の幕開け──日比谷でAkris × ARTnews JAPANの展覧会がスタート
創業100年を迎えたスイス発のラグジュアリーブランド、アクリスは、東京・日比谷のポップアップスペース「Akris Salon」にて、ブランドの哲学を体現する展覧会を3回に渡り開催する。
アクリスは、その創設から現在に至るまで一貫して、目先のトレンドではなくモダニティとスタイルを重視し、目的を持つ女性たち(Woman with Purpose)が時流を超えて楽しめる上質なワードローブを提案してきた。そんなブランド哲学を支える上で重要なインスピレーションとなってきたのが、アートや建築だ。トーマス・ルフやカルメン・ヘレラ、藤本壮介など、世界で活躍するアーティストや建築家とコラボレーションして生み出されたアクリスのファッションには、時代が変わっても色褪せることのない唯一無二の魅力が宿っている。
そんなアクリスがARTnews JAPANとタッグを組み、日比谷のポップアップスペース「Akris Salon」を舞台に3期に渡って展覧会を開催する。「Reimagining the Values」という大テーマのもと各回のキュレーションを手がけるのは、ART COLLABORATION KYOTOのプログラムディレクターも務める若き才能、そしてアクリスが掲げる"Woman with Purpose"を体現する山下有佳子。5月17日に始まった第1回となる展覧会では「Rebirth Reverse Construction(再生・逆再生・構築)」をタイトルに、パリを拠点に活動するブラジル人アーティストデュオ、デタニコ・レイン、日本を代表するコンセプチュアル・アーティストの河原温、日本を拠点とする若手アーティストの細井美裕、関根ひかりの作品を展示する。本展をめぐって、キュレーターの山下有佳子と出品作家の1人である細井美裕が対談した。
新時代に向け、既存の枠組みを解体し再構築する試み
──今回の展覧会「Rebirth Reverse Construction」のコンセプトについて教えてください。
山下:本展では、アクリスのクリエイティブ ディレクターであるアルベルト・クリームラーが、ブランドのアイデンティティの1つとして挙げた「Construction(構造/構築)」にヒントを得ました。
コロナ禍を経て、2023年という年はさまざまな意味で新しい時代の幕開けです。「Construction」という言葉は、私たちを取り巻く不確かな世界を再認識し、未来に向けて進んでいく指標になると考えました。
本展で紹介する4組の作家の作品はいずれも、言語や数字といった記号が持つ意味について再考することを促し、既存の社会的な枠組みや概念の解体、再生そして再構築を試みています。
細井:今回、山下さんからうかがった展覧会コンセプトの中には、私がこれまで制作や展示を通じて色んな方と交わしてきた会話に共通するキーワードがいくつもありました。展示作家の1人に選んでいただいた意図が私の中でもしっくり来て、とても嬉しかったです。
山下:今回、細井さんには《Lenna(レナ)》という作品を展示いただくのですが、展覧会をキュレーションする中で、私たち人間が世界とつながる手段であり、極めて私的なものである「声」を扱う細井さんの作品が、本展覧会の鍵となる作品となり得るのではないかと考えたんです。
──《Lenna》という作品について詳しく教えてください。
細井:《Lenna》は、22.2chフォーマットを前提につくられた「音響作品」です。22.2chというのは、NHKが4K/8Kの映像に合わせて公開した、合計24個のスピーカーを使用する音の伝送規格です。私の声のみを多重録音し編集していて、制作には私以外に、作曲家の上水樽力さんと3名のエンジニアが携わっています。
そもそも、22.2chフォーマットは、超高画質の映像に合わせた音響として開発された経緯があります。素晴らしい音響方式なのに、映像を前提としている状況に対するフラストレーションから生まれたのが《Lenna》です。音響自体にもっと表現できることがあると考え、敢えて音だけの作品として制作しました。
《Lenna》は24個のスピーカーがあることを前提として制作していますが、インストールする空間によってどのような鑑賞体験が可能となるかを、様々な空間で試みてきています。これまでNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)の「無響室」や山口情報芸術センター(YCAM)、札幌文化芸術交流センター(SCARTS)、東京芸術劇場のコンサートホール等で作品を発表していて、その都度会場の環境に合わせて、作品を再構築しています。
山下:《Lenna》は楽器を使わず、細井さん自身の声のみを素材にしている点も非常に興味深いと思っています。他者や社会とのつながりを通じて、声というパーソナルな物質の構造が変化し、再構築されていく過程そのものを見て取ることができる作品だと思います。
細井:なぜ《Lenna》が私の声だけを素材としているかというと、8分間の作品の音声の収録と編集の作業量が膨大で、相当な時間を要したからです。こんな常軌を逸した収録を引き受けてくれて、尚且つ私のイメージする声質の人を探すのは現実的ではありませんでした。そこでスタジオに一人こもって、ひたすら録音しては波形を編集して、という作業を繰り返しました。
──細井さんの作品のほかに、今回展示する3作家の作品についてご紹介いただけますか。
山下:ひとつは、デタニコ・レインの《Lunar Maria》というインスタレーション作品です。円形に敷き詰められた白い砂利の上の各地点にアルファベットが割り振られていて、その配置に合わせて、ライトが月の海に付けられた名前を照らし出すという作品です。変化するライトの光が、白い砂利の上に本物の月のようなイメージを描き出し、鑑賞者に視覚的な宇宙体験をもたらします。
彼らは、感覚や感情などの個人的なものではなく、共通の記号や法則をもとに、社会的もしくは普遍的なイメージを構築しています。1950年代にブラジルで起こった芸術運動で、コンクリート芸術の官能性、色彩、詩的感覚の向上を求めた、ネオ・コンクリートムーブメントの流れを汲む作家として、注目しています。
デタニコ・レインが影響を受けた作家の1人である河原温(1943-2014)の作品《One Million Years(百万年)》も展示します。河原は人間の生死や、存在と消失をテーマの1つとして数々の作品を発表してきました。今回の作品は、制作時期を基点として、過去と未来それぞれ100万年分の西暦を羅列しています。タイプライターで打刻された、淡々と並ぶ年を示す数字を通して、日付や時間という記号的な概念の無機質さを再認識させるとともに、深く広く、途方もない時間の連なりへの想像を促します。
関根ひかりは、言語の持つ記号性、音、意味などの諸要素にフォーカスし、自身の作品の中でそれらを研究し、その価値を問う作家です。今回展示する《Seeds of Character(文字の種)》という作品は、意味を持つがゆえに語弊や、それに伴う争いを生むきっかけにもなってしまう「文字」が禁止された世界を想定しています。意味を失い記号となってしまった文字=「文字の種」に彼らは宝石のような価値を見いだします。これは既存の概念の意味の消失、あるいは再考を通して、そこから生まれる新たな価値の可能性を鑑賞者に考えさせるきっかけを与えてくれます。
「音」だけで表現できることは、たくさんある
──そもそも、細井さんが音を用いた芸術表現に取り組むようになったきっかけはなんですか?
細井:私の現在の活動の原点には、高校時代の合唱部があります。国際大会で金賞を獲る強豪校だったのですが、そこで出会った先生が少し不思議な方で、マリー・シェーファーや武満徹、三善晃などの楽曲を扱っていたんです。当時はただ「そういう合唱曲なのだ」と思っていましたが、大学生になって、自分が触れてきた音楽が、いわゆる現代音楽であったことを知りました。そうした経験から、少しずつアートの方に関心が広がっていきました。
「ペイ・フォワード」が新しい技術を生む
山下:《Lenna》に話を戻すと、膨大な時間と労力を費やした作品を、細井さんは現在クリエイティブ・コモンズ・ライセンスとして公開していますね。非営利目的であれば、誰もが自由に《Lenna》のデータを使用することができます。
細井:マルチチャンネルの音のサンプルって、現状あまり無いんです。《Lenna》という作品名の由来は、画像処理のサンプルデータとして広く利用されている女性の肖像写真「Lenna」から来ています。私の制作は、上の世代の方々が培って、提供してくださった技術の上で成り立っています。《Lenna》を誰かがサンプルにしてくれ、そこから新しいシステムが生まれるのであれば、とても嬉しいと思います。
私の場合、ひとりのアーティストとして作品を発表していくだけではなく、他の作家の制作を手伝ったり、展示自体をつくったりするような活動も多いです。むしろ、つくるために何をつくらなければならないか、つまり「つくるためにつくる」というシステムづくりに興味があります。
自分の表現したいものが、従来の音楽公演の枠組みや、現状の民生機の性能では十分に実現できないこともある。そうしたシステムに表現が縛られてしまうのが悔しい、という思いが常にあり、だったら自分でシステムからつくれば良い、と考えるんです。
山下:細井さんの作品の魅力は、まさにその「縛られない」点にあるのではないでしょうか。細井さんのアートに対する柔軟な姿勢、既存の枠組みを解体し、再構築していこうとするスタンスから生まれる作品を、私はとても新鮮に感じます。
最初に新しい時代の幕開けとお話ししましたが、既存の価値観の変容、旧来の社会構造の解体によって、いま我々の前には、未知なる時代、未知なる世界が広がっています。これは芸術分野にも言えることで、新たな技術やメディアが登場し、アートの表現も多様化しています。そうした中で「Construction」をテーマとする本展を通じて、鑑賞者の方々それぞれの感性で、新たな価値の意味を見つけていただければ嬉しく思います。
──今回の会場では《Lenna》をどのように展示していますか。
細井:今回の展示では、アストロデザイン社が開発した22.2ch対応のチェアスピーカーを使用しています。《Lenna》の立体音響システムを担当していただいた久保二朗さんが、以前この製品の音響チューニングに携わる機会があったことから、チェアスピーカーを展示に提供いただけることになりました。チェアスピーカーの開発時も、サンプル音源として《Lenna》を使用していたそうなんです。
山下:先ほどのクリエイティブ・コモンズの話にも繋がりますね。《Lenna》が「つくることをつくる」循環を生んでいます。
細井:今回のグループ展は、一つの空間で《Lenna》がどのように他の作家さんの作品と共存していくかを考える良い機会になりました。《Lenna》の展示は少し久しぶりなのですが、その間に自分が重ねた経験を反映させて、改めてこの作品を展示できる機会をいただけたことを嬉しく思っています。今回は作品にかなり没入して頂ける環境になります。会場ごとに再構築される《Lenna》という作品を、ぜひ多くの方に鑑賞していただきたいです。
変容を受け入れるための基礎力
──最後に、お2人が制作やお仕事で、日頃から大事にしていることを教えていただけますか。
山下:変容することを恐れないこと。変容をとらえ、受け入れるためには、自分の中にしっかりした軸、基礎を持つことが必要になります。アート業界でキャリアを積んでいく中で、移り変わっていく状況を需要できる柔軟性や、自分にとっての規律の重要性をますます実感しています。基礎となる審美眼のトレーニングは、仕事をしながら日々実践するように心がけています。
細井:山下さんのお話に通じるところがあるのですが、変えたいもののために何を変えてはいけないのか、ということに自覚的であるように努めています。新しい技術を導入するとき、新しいことを表現しようとしたときに、前提となることや物事の順序を確認するようにしています。
また、常に情報収集を心がけながらも、チームを組んで作品を制作する以上「自分は、色んなことをちょっとずつしか知らない」ということも肝に銘じておくようにしています。私は作品のコンセプトが出来上がった時点で、実現可能性は一旦置いておいて、自分の脳で考えられ得る最大限のものをすべてエンジニアに伝えるようにしています。そうすることで、エンジニアからより良い提案を引き出すことができる。最初に時間をかけてチームでベクトルを共有しておくことが、すごく重要なんです。
Text: Mirai Matsuzaki Photo: Kaori Nishida Editor: Kazumi Nishimura
Akris × ARTnews JAPAN Reimagining the Values Vol. 1「Rebirth Reverse Construction」
会場:Akris Salon(東京都千代田区内幸町1-1-1 帝国ホテルプラザ1階)
会期:5月17日(水)~6月11日(日)
時間:11:00〜17:00
入場料:無料
山下有佳子(やましたゆかこ)
アート・プロデューサー。1988年、京都で茶道具商を営む家庭に生まれる。 慶應義塾大学卒業後、ロンドンのサザビーズ・インスティチュート・オブ・アートにて アート・ビジネス修士課程を修了。サザビーズロンドン中国陶磁器部門でのインターンを経て、サザビーズジャパンにて現代美術を担当。2017 年、GINZA SIX内のギャラリー「THE CLUB」マネージングディレクターに就任。2022 年より「Art Collaboration Kyoto」プログラムディレクター、京都市成長戦略推進アドバイザー(アート市場活性化担当)就任。京都芸術大学客員教授。
細井美裕(ほそいみゆ)
1993年生まれ、慶應義塾大学卒業。マルチチャンネル音響を用いたサウンドインスタレーションや、屋外インスタレーション、舞台公演、自身の声の多重録音を特徴とした作品制作を行う。Forbes 30 under 30 Japan 2021(アート部門)、SHURE24 : 世界のオーディオカルチャーをプッシュする24人に選出。第23回文化庁メディア芸術祭アート部門新人賞受賞。