ノートルダム大聖堂の地下から1000点以上の遺物と100基の墓を発見。当時の建築技術の解明にも貢献
12月8日から一般公開が再開されるパリのノートルダム大聖堂の地下から、大量の遺物が出土した。2019年の火災後、考古学者たちは改修と再建の間の5年にわたって躯体の地下を発掘調査する機会を得たが、彼らが想像していた以上の成果が得られたようだ。
12月8日から一般公開が再開されるパリのノートルダム大聖堂の地下では、2019年の火災以後、考古学者たちによる地下を発掘調査が行われてきた。フランスでは、「土地開発工事によって破壊される可能性のある(陸上および水中の)考古学的遺跡を科学的に調査するため」に適用される事前考古学に関する法律があり、考古学者たちはこれによって2022年2月にこのプロジェクトをスタートすることができたのだ。
国立事前考古学研究所(Institut National de Recherches Archéologiques Préventives )のクリストフ・ベスニエが率いるチームは当初、大聖堂の石造の床を掘るのに5週間しか与えられていなかったが、足場の基礎と同じ深さである16インチを掘削すことが許可された。その結果、1035点もの美術品の断片と100基の墓が見つかった。ベスニエはこれについてナショナル・ジオグラフィックに、「我々の想像を超える豊かさでした」と語っている。
今回発見された100基の墓によって、大聖堂の総埋葬者数は500人以上にのぼることが判明した。散乱した骨と多くの棺の身元は未だ不明のままだが、中には、詩人ジョアシャン・デュ・ベイユのものと考えられる人型鉛棺など、歴史的人物が埋葬された可能性の高いものも見つかっている。
さらに床下からは、キリスト像を含む等身大の石灰石製の像の頭部や胴体も発掘された。また、かつて聖歌隊と聖堂を隔てていた13世紀のジュベ(内陣仕切り)も特筆すべき発見の一つだ。
研究者たちは、中世の職人たちがどのようにノートルダム大聖堂を建設したのかについての理解も深めた。例えば、炭化した梁を調査したところ、当時の気候についてより深い洞察が得られたという。
どうやら中世の大工たちは、およそ樹齢100年、長さ約15メートルのオークの原木をドルーア斧で加工して使用したようだ。木に空けられたロープ用の穴は、セーヌ川で舟運する際に原木を結束するために使われていたと考えられる。また、石材の結束には鉄製のクランプが多用されていたことから、建築工程がさらに明らかになった。 およそ25〜50センチある最も古いクランプは1160年代の大聖堂建設開始時のものであることから、ノートルダム大聖堂は、鉄を建材として使用した最初のゴシック様式の教会となる。さらに、石材の表面を調査すると当時の石の切断技術もわかったほか、聖歌隊席の上に13世紀に設けられた第二の屋根には建材が再利用されていることも判明した。
ほかにも、これまで見えなかった大聖堂の基礎となる柱は、加重を分散するためにつながれていることが明らかになった。こうした完全な分析は、そこにあるものを記録するだけでなく、大聖堂の翼廊にあるバラ窓など、中世の工芸品のさらなる真正性の証明にも役立ったと言える。
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