道化師や狂人が暗示する人間の欲望、哀感、狡猾さ──ルーブル美術館の「愚者の姿」展を読み解く

西洋美術では、絵画や彫刻、挿絵の中に数多くの「愚者」が登場する。さまざまな姿をした愚者は、人々を笑わせ、楽しませる一方で、社会への警告や既成秩序への疑念を体現してきた。それらはどのように描かれ、何を伝えてきたのか。ルーブル美術館が中世から19世紀まで数百年にわたる「愚者の姿」を集めた展覧会から厳選した作品で紐解いていこう。

ヤン・マテイコ《Stańczyk during a ball at the court of Queen Bona in the face of the loss of Smolensk(ボナ・スフォルツァ妃の舞踏会で、スモレンスク陥落の報に接した宮廷道化師スタンチク)(1862) Photo: Piotr Ligier/National Museum in Warsaw
ヤン・マテイコ《Stańczyk during a ball at the court of Queen Bona in the face of the loss of Smolensk(ボナ・スフォルツァ妃の舞踏会で、スモレンスク陥落の報に接した宮廷道化師スタンチク)(1862) Photo: Piotr Ligier/National Museum in Warsaw

パリルーブル美術館が、愚者や狂気の描写が中世から19世紀にかけてどう変わっていったかをたどる意欲的な展覧会「Figures of the Fool: From the Middle Ages to the Romantics(愚者の姿:中世からロマン主義まで)」を開催し(2024年10月16日〜2025年2月5日)、各方面から注目を集めた。

歴史上、愚者はさまざまな姿で現れる。間抜け、隠者、罪人、宮廷恋愛をあざ笑う者、パーティ好き、宮廷道化師、狂王、不道徳な快楽主義者、精神が不安定な芸術家など、非常に多面的で、時に恐ろしい表情を見せることもある。中世史を専門とするフランスの歴史学者、ミシェル・パストゥローは、展覧会カタログで次のように解説している。

「中世末期に描かれた数多くの狂人や馬鹿者、王族や貴族に仕える道化師などの絵からは、愚者の役割やイメージを表すさまざまな物をリストアップすることができます。すなわち、帽子や頭巾、雄鶏の頭、鈴、道化棒、チーズ、球、月、禿げ頭、裸体、切り抜かれた衣服、縞模様や市松模様など色とりどりの衣装、幅広でギザギザの襟、先のとがった靴などです」

ルーブルの「愚者の姿」展では300点を超える作品が年代順に展示され、この魅力的で多面的なテーマが前例のない規模で探求された。以下、特に印象的な9点の作品を紹介する。

ジャックマール・ド・エダン《The Fool (detail) from Psalter of the Duke of Berry(愚者 [部分]、ベリー公爵詩篇より)》(1386年頃)

ジャックマール・ド・エダン《The Fool (detail) from Psalter of the Duke of Berry(愚者 [部分]、ベリー公爵詩篇より)》(1386年頃) Photo: © Bibliothèque nationale de France, Paris
ジャックマール・ド・エダン《The Fool (detail) from Psalter of the Duke of Berry(愚者 [部分]、ベリー公爵詩篇より)》(1386年頃) Photo: © Bibliothèque nationale de France, Paris

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の挿絵として描かれたこの絵は、愚者が棍棒を手に、パンかチーズの大きな塊にかぶりついている姿が描かれている。これは展示作品のうち最も古い時代のもので、棍棒を持った「哀れな愚者」の典型に基づくものだ。ド・エダンは、この構図をそれより前の『ジャンヌ・デヴルーの時祷書』(1324- 1328)から借用しつつ、森の中の赤い模様を背景に愚者を配している。裸足の男性像にはどこか高貴な雰囲気があり、純白の布のドレープが優雅な印象を与える。肩にかついだ長い棒は武器というより、14世紀頃のフランス貴族がスポーツに使ったスティックのように見える。

マイスター・E・S《The Fool and the Naked Woman with Mirror(愚者と鏡を持つ裸の女)》(1465年頃)

マイスター・E・S《The Fool and the Naked Woman with Mirror(愚者と鏡を持つ裸の女)》(1465年頃) Photo: © Bibliothèque nationale de France
マイスター・E・S《The Fool and the Naked Woman with Mirror(愚者と鏡を持つ裸の女)》(1465年頃) Photo: © Bibliothèque nationale de France

1440年頃からライン渓谷で盛んになった銅版画の作品で、作者は宗教をテーマとした作品や風刺的な作品を残した「マイスターE・S」と呼ばれる版画家・金細工師だとされている。この絵は《Lust and the Fool(欲望と愚者)》とも呼ばれ、そこに描かれた裸の女性の無造作なポーズと鏡は情欲を表している。隣で間抜けな笑みを浮かべている男性は、道化の典型的な衣装である鈴の付いたフードのある服をまとっているが、ズボンが脱げかけているのが見える。マイスターE・Sの他の作品にも描かれている岩の上のインコが官能の象徴であるように、この絵では欲望と狂気が一体となっている。

アーント・ファン・トリヒト《Towel-Holder: Fool Embracing a Woman(タオルホルダー-:女性を抱擁する道化)(1535年頃)

アーント・ファン・トリヒト《Towel-Holder: Fool Embracing a Woman(タオルホルダー-:女性を抱擁する道化)(1535年頃) Photo: A.Gossens/Museum Kurhaus Kleve – Ewald Mataré-Sammlung
アーント・ファン・トリヒト《Towel-Holder: Fool Embracing a Woman(タオルホルダー-:女性を抱擁する道化)(1535年頃) Photo: A.Gossens/Museum Kurhaus Kleve – Ewald Mataré-Sammlung

このタオルホルダーは、16世紀の彫刻家アーント・ファン・トリヒト作とされ、道化が豊満な胸を露わにした貴婦人に抱きつく様子が彫られている。今にもキスを交わすかのように2人の顔は触れ合い、肩の上にいる小人の道化の1人はバグパイプを吹き、もう1人は太鼓を叩いている。さらに、道化の袖の破れ目から3人目の小人の道化が顔を出し、こちらを見つめている。オランダの美術史家、グイド・デ・ヴェルドによると、この彫刻は道徳的な警告として作られたもので、「道から外れた女性には気をつけろ、彼女は最後には正気を失うだろう」という意味が込められているという。この作品が貴族の邸宅用に作られたものなのか、それとも飲み屋のものだったのなのかについては、研究者の間でも意見が分かれる。しかし、ドイツのカルカーにある聖ニコライ教会の祭壇画でファン・トリヒトが描いたマグダラのマリア(悔い改めた娼婦の守護聖人)の顔と、この女性の顔が同じであることを考えると、後者の説が妥当だろう。

フランチェスコ・ラウラーナ《Henry VIII’s Armet with a Fool’s Face(アンジュー公ルネの道化師トリブレ)(1461- 66年頃)

フランチェスコ・ラウラーナ《Henry VIII’s Armet with a Fool’s Face(アンジュー公ルネの道化師トリブレ)(1461- 66年頃)Photo: ©Allen Memorial Art Museum, Oberlin College, Ohio/Bridgeman Images
フランチェスコ・ラウラーナ《Henry VIII’s Armet with a Fool’s Face(アンジュー公ルネの道化師トリブレ)(1461- 66年頃)Photo: ©Allen Memorial Art Museum, Oberlin College, Ohio/Bridgeman Images

剃り上げた頭、太い首、下顎が前に突き出た顔立ちから、この人物はフランス王ルネ(アンジュー公、ナポリ王)の道化師だったトリブレだとされる。頭部が生まれつき小さい小頭症だったが、そうした特徴が蔑視された時代にもかかわらず、俳優や劇作家として名を成した人物だ。この大理石のレリーフは、フランチェスコ・ラウラーナの作品とされてきたが(ラウラーナはほぼ同時期にトリブレの顔をあしらったメダルをデザインしている)、評論家の一部には、ラウラーナの弟子で1461年頃にアンジュー公ルネの宮廷の一員でもあったイタリア人彫刻家、ピエトロ・ダ・ミラノの作品だとする説もある。いずれにしても、この肖像画の作者は、トリブレを当時の典型的な道化師のような姿ではなく、ローマ皇帝を思わせる威厳のある表情で描いている。

ヒエロニムス・ボス《愚者の石の除去》(1501-05年頃)

ヒエロニムス・ボス《愚者の石の除去》(1501-05年頃) Photo: ©Museo Nacional del Prado, Dist. GrandPalaisRmn, image du Prado/Museo Nacional del Prado, Madrid
ヒエロニムス・ボス《愚者の石の除去》(1501-05年頃) Photo: ©Museo Nacional del Prado, Dist. GrandPalaisRmn, image du Prado/Museo Nacional del Prado, Madrid

16世紀に広まった疑似科学では、脳に埋め込まれた石を取り除けば狂気が治ると信じられていた。ヒエロニムス・ボスは、偽医者をあばくため、あるいは患者の愚かさを指摘するために、穿頭術と呼ばれるこの処置が行われているさまざまな場面を描いた。この絵では、外科医の頭に漏斗が載せられているが、それは手術されている男と同様、医師も正気ではないことの暗示だ。また、タイトルとは異なり、愚者の頭から石ではなくスイレンの花が取り出されているが、スイレンの花には性的な意味合いがある。その意味合いは、患者の狩猟用袋を貫く男根のような短剣と、絵を取り囲む中世オランダ語の文章「Meester snijt die keye ras/ Myne name is Lubbert Das(ご主人さま、早く石を早く切り取ってください/私の名は去勢されたアナグマです)」によって強調されている。なお、この絵はボスの作品とされているが、弟子の1人が描いたとする説もある。

1537年のマスター《Portrait of a Fool Looking Through his Fingers(指の間から覗き見る愚者の肖像)》(1548年頃)

1537年のマスター《Portrait of a Fool Looking Through his Fingers(指の間から覗き見る愚者の肖像)》(1548年頃)Photo: ©The Phoebus Foundation
1537年のマスター《Portrait of a Fool Looking Through his Fingers(指の間から覗き見る愚者の肖像)》(1548年頃)Photo: ©The Phoebus Foundation

木板に描かれたこの油彩画は、「1537年のマスター」と呼ばれるフランドル派の画家の作品とされている。活動時期は1520年から1570年の間で、厚かましげな人物を誇張して描いたことで知られるが、その特徴的スタイルはこの絵にも見て取れる。指の間から覗き見る人物は、妻の軽率な行動を見て見ぬふりをするという、ドイツとオランダのことわざを体現しているが、16世紀の絵画ではさらに広い意味を持ち、不道徳なことや違法なことが容認される状況を表す。同じモチーフは、ピーテル・ブリューゲル(父)の《ネーデルラントの諺》(1559)にも見られ、盲目的な寛容は、世界秩序を転覆させるほどの罪への入り口になるという考え方を伝えている。

フランシスコ・デ・ゴヤ《Yard with Lunatics(狂人のいる庭)》(1794)

フランシスコ・デ・ゴヤ《Yard with Lunatics(狂人のいる庭)》(1794) Photo: Robert LaPrelle/Meadows Museum, Southern Methodist University, Dallas
フランシスコ・デ・ゴヤ《Yard with Lunatics(狂人のいる庭)》(1794) Photo: Robert LaPrelle/Meadows Museum, Southern Methodist University, Dallas

この作品は、ゴヤが重病を患って聴力を失い、精神状態にまで深刻な影響が生じた直後に制作された。ブリキ板に油彩で描かれているのは困窮した人々の溢れる中庭で、そこには格闘する2人の男や、鞭を振るってそれを止めようとする番人がいる。暴力的かつ写実的な場面は、ゴヤがスペイン北東部の故郷サラゴサで若い頃に見た光景に着想を得たものだ。狂人の生々しい表現は、セルバンテス、ロペ・デ・ベガ、ディエゴ・デ・トレス・ビジャロエルといったスペインの小説家や劇作家たちの悲喜劇的なトーンとは対照的だと言える。この絵を含む12枚の実験的な連作は、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーから高く評価され、版画集「ロス・カプリチョス」や、「ろう者の家」と呼ばれる自宅の壁に描いた「黒い絵」シリーズなど、幻想、狂気、革新性に彩られた作品への道を開いた。

フランソワ=オーギュスト・ビアール《The Exorcism of the Madness of Charles VI(シャルル6世の狂気の悪魔祓い)》(1839)

フランソワ=オーギュスト・ビアール《The Exorcism of the Madness of Charles VI(シャルル6世の狂気の悪魔祓い)》(1839) Photo: Ursula Gerstenberger/©bpk | Museum der bildenden Küns/Museum der bildenden Künste Leipzig
フランソワ=オーギュスト・ビアール《The Exorcism of the Madness of Charles VI(シャルル6世の狂気の悪魔祓い)》(1839) Photo: Ursula Gerstenberger/©bpk | Museum der bildenden Küns/Museum der bildenden Künste Leipzig

フランス王シャルル6世は、1392年に精神疾患を発症。1422年に死去するまで症状が繰り返し発現し、その合間の寛解期に統治を行っていたことで知られる。狂王とも親愛王とも呼ばれたシャルル6世の精神的な不安定さは画家たちの格好の題材となり、フランソワ=オーギュスト・ビアールはこの作品を含む6点の絵画を1839年のサロンに出展している。絵の中では2人の修道士が儀式を行い、キアロスクーロ(明暗法)によって狂気と正気が象徴的に描かれている。苦痛に顔をゆがめてひざまずく王を支えながらこちらを見つめている女性は、王妃のイザボー・ド・バヴィエール、あるいは愛人のオデット・ド・シャンディヴェールだろう。このシーンの劇的な緊張感は、これより2世紀前にウィリアム・シェイクスピアが狂王を描いた戯曲『リア王』へのオマージュかもしれない。

ギュスターヴ・クールベ《The Man Mad with Fear(恐怖に狂った男)》(1844年頃)

ギュスターヴ・クールベ《The Man Mad with Fear(恐怖に狂った男)》(1844年頃) Photo: Anne Hansteen/The National Museum, Oslo
ギュスターヴ・クールベ《The Man Mad with Fear(恐怖に狂った男)》(1844年頃) Photo: Anne Hansteen/The National Museum, Oslo

この初期の自画像でギュスターヴ・クールベは、崖の端に立ち、奈落の底に落ちる寸前の男を描いている。頭を触る左手は、自分が現実の人間であることを確かめているようで、こちら側に差し伸べたもう一方の手は、つかまる相手を探しているように見える。この絵画を描いた1844年当時、クールベは自身の芸術的能力に対する疑念と不安に苛まれていた(ちなみに、クールベが数年後にこの絵のタイトルを変更し、1855年の個展で《The Suicide, landscape(自殺、風景)》として発表したとする評論家もいる)。その心理状態を考慮すると、この絵に描かれているのは天才性を理解されない画家の寓意と見ることもできるだろう。愚者を描くときにしばしば用いられる縞模様のジャケットは、分裂した人格を表現している。実際のクールベも、絶望とナルシスティックな自信の間を揺れ動くことで知られていた。(翻訳:清水玲奈)

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