「9日間の女王」レディ・ジェーン・グレイ生前唯一の肖像画か。死後、信仰の殉教者の姿に描き替えも

「9日間の女王」として知られ、16歳で処刑された悲劇のイングランド女王レディ・ジェーン・グレイ(1537-1554)。このほど、研究者らがある肖像画を調査したところ、彼女の「生前唯一の肖像画」である可能性が高いと発表した。

ポール・ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》(1834)ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵。Photo: Wikimedia Commons

レディ・ジェーン・グレイは、権力闘争に巻き込まれ、史上初のイングランドの女王として1553年に即位した。だがわずか9日間でメアリー1世により廃位され、その7カ月後、大逆罪で斬首刑に処されてしまう。16歳だった。

彼女の悲劇の物語は長年語り継がれてきたが、実際の姿を留めた肖像画はこれまで見つかっておらず、歴史家たちは捜索に苦労してきた。現在グレイの肖像として最も知られているのはフランスの画家、ポール・ドラローシュ(1797-1856)の絵画《レディ・ジェーン・グレイの処刑》だが、これは死後300年近く経った1834年に、当時の歴史資料を参考にして彼女の死の瞬間を描いたものだ。

だがこのほど、個人コレクションからイギリスの文化財保護機関、イングリッシュ・ヘリテージに貸し出された肖像画がレディ・ジェーン・グレイのものであるという可能性が示唆されたとガーディアンが伝えた。

レディ・ジェーン・グレイ生前唯一のものと考えられている肖像画。Photo: X/@EnglishHeritage

イングリッシュ・ヘリテージによると、白い帽子にショールという慎み深い服装を身に着けたこの肖像画は1701年に第11代ケント伯爵アンソニー・グレイがレディ・ジェーン・グレイの肖像画として入手したもので、21世紀の美術史家たちは、その帰属を疑問視していた。

そこでイングリッシュ・ヘリテージは、コートールド美術研究所および年輪年代学者のイアン・タイヤーズと協力し調査した。同館が3月7日発表した声明によると、年輪年代学による絵画のパネルの分析結果から、肖像画はおそらく1539年から1571年頃の間に制作されたものと推定。また、インフラレッド・リフレクトグラフィーによるスキャン画像では大きな装飾袖と豪華なヘッドピースを描いて消された跡があり、その代わりに白い頭巾や白いスカーフが追加されていることを発見した。

なぜこのような改変が行われたのか。グレイは王位継承権4位だったがプロテスタントの信者であり、熱烈なプロテスタントであった前王エドワード6世の死後、彼女の後見人ジョン・ダドリーによって後継として突如担ぎ上げられた。エドワード6世に次ぐ王位継承権を持っていたカトリック信者のメアリー1世はこれを不服として民衆とともにロンドンへと進軍し、ダドリーを打ち負かしてグレイは失脚する。イングランド女王となったメアリーは国教をカトリックに変え、グレイに「もしカトリックに改宗するのであれば、命を助ける」と申し出たが、グレイは拒否した。肖像画は、彼女の処刑後にプロテスタントの殉教者の姿として描き直された可能性がある。

そのほか、女性は右側を見ていたが、左を見るよう描きかえられていた。そういった部分に加え、女性の目、口、耳が傷つけられており、おそらく宗教的または政治的な理由で損壊されたと、イングリッシュ・ヘリテージは指摘する。また、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに展示されているレディ・ジェーン・グレイの死後に描かれた肖像画にも同様の跡があるという。

今回の発表について歴史小説家のフィリッパ・グレゴリー博士は、「これは実に興味深い絵画で、多くの疑問を投げかけています。もしこれがジェーン・グレイであるなら、この若いヒロインに関する貴重な追加情報となるでしょう。人格を備えた女性として、これまでの『目隠しをされた犠牲者』という従来の表現に力強く異議を唱えるものです」と述べた。

この肖像画は、現在ベッドフォードシャー州のレスター・パークで展示されている。

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