ラムセス3世の軍司令官の墓は「リサイクル」? 新発見の墓から異なる時代の副葬品も出土
エジプトの考古学者たちがエジプト北東部の遺跡を調査中に、ラムセス3世の治世下(紀元前1184頃~前1153頃)で軍司令官を務めたと思われる人物の墓を発見した。

エジプト考古最高評議会(SCA)の考古学調査団がエジプト北東部にあるテル・エル・マシュータ遺跡を調査したところ、古代ギリシャ、ローマ時代後期に作られた墓群とともに、ラムセス3世の時代にさかのぼる軍司令官の墓を発見したとLIVE SCIENCEが伝えた。
墓は主埋葬室と3つの追加室からなる泥レンガ構造で建てられており、多数の副葬品が収められていた。その中にラムセス3世のカルトゥーシュが刻まれた金の指輪や青銅製の矢じり、儀式用の杖の残骸があったことから、SCAの考古学者たちは、墓の持ち主はラムセス3世時代の威厳ある指揮官であったと考えている。
第20王朝2代目のファラオであるラムセス3世は、古代エジプトで大きな権威を持った最後の人物とも言われており、治世中は大きな戦いも経験した。攻め入る外敵「海の民」やリビア軍との戦いに勝利し、ルクソール近郊のメディネトハブに、現在も残る精巧な葬祭殿を建設した。だが、紀元前1153年頃、後継者争いで妻と息子を含む一派に刺殺された。
ほかにも墓からは保存状態の良いアラバスター石で作られた容器がいくつか発見され、その中の2点には、第18王朝で最も有名な戦士王の一人であるホルエムヘブ(在位:紀元前1323-1295)の名前がカルトゥーシュで刻まれていた。このことから、考古学者たちはこの墓地が古い墓地を再利用して作られていた可能性があると推測している。
一方で、今回見つかった墓を軍司令官のものとするのは時期尚早と考えている専門家もいる。中国・東北師範大学のエジプト学者、デビッド・ウォーバートンは、通常墓にあるはずの「碑文」が見つかっていないことを指摘した。LIVE SCIENCEの取材に対して彼は、「私は(碑文で)その肩書を確認していないので判断できない」と語っている。