古い長距離バスを移動博物館に! アフリカ系アメリカ人の大移動を解明するプロジェクトが始動
「グレート・マイグレーション(アフリカ系アメリカ人の大移動)」を象徴する長距離バスを「移動博物館」としてよみがえらせる計画が進んでいる。この構想を主導するのは、祖母がこの大移動の経験者であるアーティスト、ロバート・ルイス・ブランドン・エドワーズだ。

オハイオ州クリーブランドのアーティスト、ロバート・ルイス・ブランドン・エドワーズはいま、ペンシルベニア州の廃品置き場にあったグレイハウンド社の長距離バスを入手し、改造を進めている。歴史学者で史跡保護活動家でもある彼の目的は、このバス(1970年代の持ち主がキッチン、バスルーム、寝室を備えたモーターホームに変えていた)の内部を改装し、「グレート・マイグレーション博物館(Museum of the Great Migration)」を作ることだ。
グレート・マイグレーションとは、1910年代から70年代にかけて起きたアフリカ系アメリカ人の大移動で、数百万人のアフリカ系アメリカ人が、南部の農村から中西部や西部、北東部へと移住した。エドワーズが構想している博物館では、バーチャルリアリティによる展示も含め、ジム・クロウ法(*1)による隔離政策、人種差別や暴力など、移動の間に彼らが経験した出来事や苦難に光を当てた展示を行う。
*1 ジム・クロウ法は、アメリカの南部諸州で人種隔離政策の基盤となった法律の総称で、1870年代から1960年代まで続いた。ジム・クロウという名称は、顔を黒塗りした白人俳優のトーマス・ライスが演じたキャラクターに由来する。
祖母のバス旅が移動博物館構想のヒントに
「バスを再び走行できるようにするための資金をどれだけ早く集められるかにもよりますが、来年の今頃までには運行を開始したいと考えています」とエドワーズはUS版ARTnewsの取材に答え、「大移動の目的地となった主要都市を全て巡回する予定です」と続けた。
インダストリアルデザイナーの巨匠、レイモンド・ローウィがデザインした、このバスを含む数々の自動車は、1930年代に国内を車で移動するアフリカ系アメリカ人ドライバー向けに発行されたガイドブック、『黒人ドライバーのグリーンブック(The Negro Motorist Green Book)』(*2)にも掲載されている。そこからもわかる通り、このバスはかつて、アメリカの五大湖地域を中心に、シカゴ、クリーブランド、デトロイト、ニューヨーク、フィラデルフィアなどの大都市を行き先としたルートで運行されていた。つまり、これらの目的地は、「グレート・マイグレーションで南部の黒人が向かった主な移住先」なのだ。
*2 このガイドブックには、移動中に黒人が安全に過ごせる逗留地に関する情報が盛り込まれていた。
改造中のバスは現在、クリーブランドのチェスター通りにあるグレイハウンド・ターミナルに置かれている。1948年に完成したターミナルは、アール・デコから派生したストリームライン・モダン様式の建物で、建築家ウィリアム・ストラドウィック・アラスミスが設計したもの。しかし、今年いっぱいでこのターミナルは閉鎖される。航空会社やカーシェア各社との競争に苦戦し、グレイハウンド社の経営は圧迫されているからだ。
ターミナルの建物が閉鎖された後は、クリーブランドに拠点を置く芸術教育の非営利団体、プレイハウス・スクエアがパフォーマンス会場として利用することになっている。この団体の協力を取り付けたエドワーズは、コロンビア大学文化財保存学の博士課程の一環として、移動博物館のプロジェクトを進めている。きっかけになったのは、エドワーズの祖母であるルビー・メエ・ロリンズが、娘のシンディとリンダ(エドワーズの母)を連れ、バージニア州フレデリックスバーグからニューヨークまでグレイハウンドバスで移動した話を聞いたことだという。
「祖母は私に、ジム・クロウ法の時代に黒人として旅をすることが、いかに開放的なことで、なおかつ困難であったかを語ってくれました。そこで気づいたのは、文化財保存の対象を車や鉄道、バスにまで広げることが、黒人の歴史的な経験を思い起こさせる空間のアーカイブをより充実させるために不可欠だということです」とエドワードは語り、こう続けた。
「グレート・マイグレーションについて紹介している博物館はいくつかありますが、このテーマに特化したところはありません。南部のアフリカ系アメリカ人が中西部や西部、北東部へと移住したことで、産業化や都市化が促進されただけではなく、アートや音楽、文学、文化から飲食物やテレビ番組にまで影響が広がりました。つまり現在の私たちは皆、グレート・マイグレーションの影響を受けています。その共通点のもとで結束するきっかけとして、この移動博物館が役立つことを願っています」
人種隔離された環境で「大移動」した黒人たちの旅を追体験する
エドワーズはアート・ニュースペーパー紙の取材で、20世紀半ばのグレイハウンドバスの車内では、黒人の乗客への嫌がらせや暴行が多発したと語っている。また、道路沿いのレストランから入店拒否に遭うこともしばしばあったため、食べ物を持参する黒人乗客が多かった。
「彼らは、自分が安全に過ごせる場所がどこなのか分からなかったのです。グレイハウンドのルートにあるバスステーションは、エリス島(*3)のようなものだと感じます」
*3 ニューヨークのマンハッタン南端と自由の女神像が立つリバティ島の間にある島で、1892年から60年間、アメリカ合衆国移民局が置かれていた。入国を認められず本国に送り返される移民希望者もいた。
グレート・マイグレーションの移動に使われたバスの車両が現存しているか確かめたい──エドワーズがそんな「クレイジーなアイデア」をひらめいたのは、2022年のことだった。あちこち探した結果、ペンシルバニア州で1万2000ドル(最近の為替レートで約177万円、以下同)で売られているのを見つけ、現金払いで5500ドル(約80万円)に値切ることに成功した。しかし、バスを平台トラックでクリーブランドまで輸送するのに7000ドル(約100万円)かかってしまったという。バスの車内は以前の持ち主が改造していたが、ジム・クロウ法で黒人の乗客が使用を義務付けられた後部座席を含め、現役時代の特徴も残っていた。
エドワーズがプレイハウス・スクエアにバスの駐車場所を相談したとき、同団体はちょうど、グレイハウンドのターミナルを300万ドル(約4億4000万円)で買い取ったところだった。同団体の責任者であるクレイグ・ハッソルはアート・ニュースペーパーの取材に対し、「偶然とは思えない」とコメントしている。そして、バスステーションを改築したターミナルでの展示は、オハイオ州における黒人の歴史を解き明かすことにつながるだろうと付け加えている。
「改造したバスは、一般的な黒人が文化的、社会的、物理的な風景の中を、どのようにして目的地へ移動していたのかを探るため、実際に使われていたバスの代わりとなる『乗り物』として機能します」
エドワーズはアメリカで景観遺産の価値に関する啓蒙活動を行う非営利団体、文化的景観財団(Cultural Landscape Foundation)に、自らのプロジェクトをこう説明している。
「祖母は、長距離バスの人種隔離された座席に座り、北部の見知らぬ街へと向かいました。それがどんな体験だったか──車内は喧しかったのか? 車内の温度は? 乗り心地は? 怖い思いをしたのか?──を理解したいのです。私にとって重要なのは、アメリカの風景の中を旅する「途上」の時間がどのようなものだったかを解明することです。また、文化財保存における研究と教育方法を問い直し、改善していきたいとも考えています」(翻訳:清水玲奈)
from ARTnews