中世の城砦・ロンドン塔で20体の遺骨発見。研究者は「氷山の一角」と調査進展に期待

かつて監獄として使われていたイギリスのランドマーク的存在「ロンドン塔」では、30年ぶりとなる大規模発掘プロジェクトが進行中だ。その成果として、これまでに20体以上の人骨が発掘され、1000年に渡るロンドン塔の歴史の詳細が明らかになりつつある。

上空から望むロンドン塔の全貌。Photo: Historic England Archive/Heritage Images via Getty Images)

イギリスロンドンのテムズ川岸、イースト・エンドにある中世の城塞、ロンドン塔で最大級の発掘プロジェクトが進行中だ。現在、その中でも最も古いホワイト・タワー付近の聖ペテロ・アド・ヴィンキュラ王室礼拝堂の近くで進められている調査により、20体以上の埋葬された遺骨が見つかった。これにより、塔の歴史に新たな1ページが書き加えられようとしている。

ロンドン塔は11世紀にウィリアム征服王が要塞として建設した。その後のおよそ1000年の時の中で、塔は王宮や銀行、動物園など様々な施設に姿を変えてきた。中でも最も有名なのは、14世紀以降の監獄・処刑場としての使用で、ヘンリー8世の妻アン・ブーリンやトマス・モア、レディ・ジェーン・グレイといった人物たちが塔に投獄されて処刑され、この地に埋葬されている。現在はイギリス王室が所有する宮殿として、歴史的な宝物と共に一般公開されている。

アートネットの報道によると、今回の発掘プロジェクトは1520年に建てられた聖ペテロ・アド・ヴィンキュラ王室礼拝堂にエレベーターを設置する工事計画により発足した。前述の20体以上の遺骨は、イギリス王室の未使用の宮殿を管理する独立系慈善団体、ヒストリック・ロイヤル・パレス(HRP)とプリ・コンストラクト考古学会社との共同による発掘調査により今年に入って見つかったもの。そのうち12世紀または13世紀初期のものと考えられる3体の1体は、高い地位を意味する経帷子で包まれていた。また、別の1体は木炭が入った壺が副葬品に含まれており、これはノルマン人の風習でイギリスでは前例がなく、外国から移動してきた人物の可能性があるという。

発掘調査で見つかった遺骨。死因は黒死病と考えられている。Photo: Courtesy HRP.

特に注目すべきは14世紀のものと思われる複数の遺骨で、急いで埋葬された形跡があることから、1348年にロンドンを襲い人口の15パーセントが死亡したと推定される黒死病(腺ペスト)の犠牲者であったと考えられている。

これらの発見を受けて、HRPの学芸員であるアルフレッド・ホーキンスは、「教会を改装し、王室礼拝堂として使用したヘンリー3世の治世(13世紀)以前は、誰がこの建物を使用していたかについて明らかになっていません。その後礼拝堂は住民が洗礼、結婚式、葬式を行う教区教会の役割も果たしていたと考えられます」と分析する。

そのほか、2019年の予備調査で見つかった中年女性と少年の遺体は、16世紀初頭に塔に在住していた人物だったことが判明した。彼らをカーディフ大学が法医学分析したところ、女性は大量の糖分を含む豊かな食事を摂取していた。だが一方の少年は病気や栄養失調によるものと思われるストレスの期間を経験し、死亡する少し前に回復していたことが分かった。

研究者たちは、二人はかつてそこに住んでいた王族や貴族たちではなく、塔で生活し働いていた一般人であると考えている。これについてHRPの学芸員、アルフレッド・ホーキンスはタイムズ紙に、「極めて重要な発見です。宮殿では、ヘンリー8世が何をしたかなど王たちの記録は残っていますが、塔で生活し、働き、礼拝し、そして亡くなった人々については分かっていないからです」と説明した。

また、今回の発掘調査により、現在の礼拝堂の地下から大規模な火災跡のある基礎が見つかった。このことから、13世紀にエドワード1世によって建設された礼拝堂が大火事で焼失した後、ヘンリー8世時代の1520年に再建されたことが分かった。また、現場ではステンドグラスと彩色ガラス、縫い針、ペンダント、指輪、4つの大砲の弾も見つかっている。

今回の調査についてHRPの責任者、ジェーン・シデルは声明で、「明らかになったのは、まだ氷山の一角に過ぎません。今後のさらなる分析で、イギリスで最もドラマチックな歴史的建造物だけでなく、それに関わる人々についての様々な物語が明らかになってくるでしょう」と語った。

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