ロンドンの中心地で19世紀の救貧院跡を発掘。ディケンズの代表作『オリバー・ツイスト』の舞台?
イギリスを代表する文豪、チャールズ・ディケンズが19世紀ロンドンの下層階級の人々を描いた『オリバー・ツイスト』。同作の舞台という説がある救貧院(ワークハウス)、セント・パンクラス作業所跡が考古学者によって発見された。
救貧院(ワークハウス)は、19世紀初頭のイギリスで、自立して生活を営むことが困難な高齢者、病人、失業者らを救済するために作られた施設だ。入所者は、麻の繊維とタールで作られるコーキング材「オークム」製造のため、船の係留などに使われた太いロープをほぐして繊維を取り出したり、石を割ったりする重労働と引き換えに、基本的な食事と住居を与えられた。文書に残された記録では、虫だらけで過密状態であると描写されることが多かった。
ワークハウスのうちの1つ、セント・パンクラス作業所については、これまで、教区地図に描かれた全体的な形状以外はほとんど知られていなかった。今回、考古学者たちは同作業所の建造物の大部分を発見し、そこに住んでいた主人や住人についての新たな詳細を明らかにした。
この調査結果について、ロンドン考古学博物館(Mola)のプロジェクト・マネージャーであるグウィリム・ウィリアムズは、 「大衆文化によく描かれる、暗くて薄汚れたワークハウスとはまったく異なるものでした」と11月15日にガーディアン紙に語った。
例えば、淡いブルーの漆喰の壁や、高さおよそ3フィート(約90センチ)の暖炉があったことが分かった。また、食器類や馬毛のついた骨製の歯ブラシの残骸も発見された。
セント・パンクラス作業所は、困難な状況にある人々への支援のため、1809年にオープンした。しかし、その意図とはうらはらに、500人を収容する予定だった建物は、1850年代には1900人にまで増加し、医師らから過密状態が指摘された。
ウィリアムズはガーディアン紙に、「施設の状況は過酷でしたが、入所者たちは罰を受けるためにそこにいたわけではありません。敷地内には庭園、診療所、託児所がありました。これらは、(調査により分かった)暖房の効いた部屋や壁の淡いブルーのペンキと同じように、彼らのニーズを満たしていたでしょう」と語る。
また、まだ議論の余地はあるが、セント・パンクラス作業所はディケンズの1838年の小説『オリバー・ツイスト』に登場する施設ではないかという説もある。少なくとも、彼の友人であり出版物の寄稿者でもあったヘンリー・モーリーがセント・パンクラス作業所について言及していたことが確認されている。
同作業所は1929年に病院に改築されたが、第2次世界大戦で一部が爆撃され、その後取り壊された。
その跡地に、ムーアフィールズ眼科病院NHS財団トラスト、UCL眼科研究所、ムーアフィールズ・アイ・チャリティーの共同イニシアティブによる、眼科医療、研究、教育のための新施設「オリエル」が建設されることになり、先立つ発掘調査が行われた中での発見だった。(翻訳:編集部)
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