古代ローマの墓石がなぜニューオーリンズの民家に? 1900年前の石板の旅を辿る調査報告が公開

古代ローマ時代の西暦2世紀にさかのぼる墓石が、アメリカ・ニューオーリンズの民家の裏庭で見つかった。それは誰のもので、なぜそこに辿り着いたのか、これまでの調査結果をまとめた報告書が10月6日に公開された。

アメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズの遠景。Photo: Brandon Bell/Getty Images

「お宝鑑定! アンティークロードショー」(イギリスの鑑定番組)を見たことがなかったとしても、地下の倉庫や近所のリサイクルショップで価値ある古美術品や歴史的に重要な遺物が見つかるのを夢想する人は少なくないだろう。

そんな青天の霹靂とも言える出来事が起きたのが、ルイジアナ州のニューオーリンズに住む夫婦だ。英ガーディアン紙の報道によると、今年3月、ダニエラ・サントロとアーロン・ローレンツが自宅で庭仕事をしていると、茂みの中からラテン語が刻まれた不思議な大理石の墓標が見つかった。

2人が連絡を取ったニューオーリンズ大学の考古学者、D・ライアン・グレイは、墓石の発見と調査の過程ついて、ニューオーリンズ資源保存センター(PRCニューオーリンズ)の刊行物に報告書を寄稿(PRCはニューオーリンズの歴史的建築物の保存や修復、再生を行っている非営利組織)。10月6日に公開された内容によると、墓石は古代ローマ時代の2世紀頃のものだった。

グレイは普段、都市の発展過程、人種やその隔離政策、第2次世界大戦中の航空機墜落現場に関する調査研究に携わっており、その代表例として19世紀から20世紀にかけてニューオーリンズで活動した黒人の宗教指導者キャサリン・シールズの「無垢なる血の神殿(Temple of the Innocent Blood)」の研究がある。今回、グレイがこの墓石の歴史を解明するきっかけになったのも、航空機墜落現場の研究で以前から関係のあったオーストリアのインスブルック大学だった。

この2世紀の遺物が、どのようにしてサントロとローレンツの裏庭にたどり着いたのか、断片的な情報をつなぎ合わせて経緯を探っていったグレイは、PRCへの報告書でこう書いている。

「これは非常に稀なケースだと言えます。単純な疑問が国際的な規模となり、複数の分野にわたる研究者たちや博物館の専門家、そしてFBIまで関与することになったからです」

グレイが墓石の写真を送ったインスブルック大学の研究者仲間は、ラテン語学者の兄弟とその画像を共有。同時にニューオーリンズのチューレーン大学で働くサントロは、古典学科の同僚の1人に写真を見せたところ、両者とも墓石の碑文はセクストゥス・コンゲニウス・ヴェルスという名のローマの船乗りのものであることを突き止めた。その後、墓石はローマの北西にある港湾都市チビタベッキアの博物館に所蔵されていたもので、今は所在不明になっているという事実にたどり着いたという。

ニューオーリンズで発見された古代ローマ時代の墓石。Photo: Courtesy D. Ryan Gray
ニューオーリンズで発見された古代ローマ時代の墓石。Photo: Courtesy D. Ryan Gray

グレイらの仮説は、第2次世界大戦後のある時期、陸軍または海軍に入隊していたニューオーリンズの出身者が、記念品としてこの石板を持ち帰ったというものだ。グレイとサントロ、そして2人の同僚たちは、アメリカの国勢調査記録や財産記録を徹底的に調べ、「犯人」が誰であるかを特定しようとしている。中でも深く関わっているのが、チューレーン大学の古典学教授であるスーザン・ルスニアで、碑文を翻訳しただけでなく、チビタベッキアの現地調査にも赴いている。

これまでの成果を記したグレイの詳細なレポートは、ページをめくる手が止まらないほどの面白さだ。それによると、最初に墓石を「略奪」した人物は、1944年のローマ解放後にチビタベッキアに駐留していたアメリカ第5軍第34師団に所属していたというところまで絞り込まれている。ただ、その墓石がなぜサントロとローレンツの家の裏庭にあったのか、そこにたどり着くまでの経緯はまだ解き明かされていない。

現在、研究者たちは謎の墓石をイタリアに返還する手続きを進めている。しかし、単に大理石の石板を送り返すという単純なプロセスではないようだ。グレイの説明によれば、FBIの美術品犯罪チームがこの件に関わっており、正当な所有者への正式返還までは、FBIが保管することになっている。(翻訳:石井佳子)

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