芸術家向けベーシックインカム制度の正式導入をアイルランドが決定。実証実験で約140億円の経済効果
アイルランドで芸術家向けベーシックインカム制度の正式導入が発表された。来年9月に始まるこの制度では、1人あたり日本円にして月額約22万円強が給付される。これまでの試験導入の背景と、その効果に関する調査結果などをまとめた。

3年の試行期間を経て、アイルランドは2026年から芸術家向けベーシックインカム制度を正式に導入する。対象となるアーティストは、週あたり約375ドル(最近の為替レートで約5万6250円、以下同)、1カ月約1500ドル(約22万5000円)の給付金を受け取ることになる。募集枠は2000人で、応募は2026年9月に開始される予定だが、現時点では詳細な応募資格は発表されていない。また、アイルランドの主要放送局RTÉが報じるところによると、政府は今後、追加予算が確保されれば対象者を拡大する可能性があるという。
ポストコロナにおける芸術分野支援のために検討が始まったアイルランドのベーシックインカム・プログラムは、2022年秋に試験導入され、今年初めに決まった6カ月間の延長を経て、来年2月に終了する。コロナ禍ではライブコンサートや各種イベントが軒並み中止され、数多くのアーティストが大幅な収入減など、特に大きな影響を被ったためだ。
プログラムの試験導入時には、ビジュアルアートから演劇、文学、音楽、舞踊、オペラ、映画、サーカス、建築までの幅広い分野が対象とされた。応募者は、作品売上による収入があること、専門団体に所属していること、あるいは評論の対象となっていることなど、自身がプロのカルチャーワーカーであることを証明するものを2点、提出することが求められた。当時のニューヨーク・タイムズ紙の報道では、9000人を上回る申請者のうち8200人が適格と認められ、そこから2000人が無作為に選ばれて給付金を受け取った。さらに1000人の適格申請者が、比較対象の給付なしモニターに選定されている。
正式導入の発表は、イギリスに拠点を置くコンサルティング会社、アルマ・エコノミクスによる第三者評価報告書の公表を受けて行われた。同報告書によれば、試験導入によるこれまでのコストが7200万ユーロ(約126億円)であるのに対し、その経済効果は8000万ユーロ(約140億円)近い。また、ベーシックインカム受給者1人あたりの芸術関連収入が平均で月額500ユーロ(約8万7500円)以上増加した一方、芸術関連以外の労働による収入は約280ユーロ(約4万9000円)減少。さらには、他の補助制度への依存度が低下し、参加者への給付額が1人当たり平均で月額100ユーロ(約1万7500円)減少したことが報告書で示されている。
この結果に関し、パトリック・オドノヴァン文化・通信・スポーツ大臣は、「アーティストやクリエイティブワーカーへの投資による経済的リターンは、当該分野だけでなく、アイルランド経済全体に即効的なプラスの影響をもたらしている」と声明で指摘した。アルマ・エコノミクスの報告書では、政府が正式導入の対象を拡大した場合、芸術作品制作が22%増加し、消費者が支払う芸術作品の平均価格は9~25%低下するだろうとの推定もある。
10月に入り、アイルランド政府はこの件に関する世論調査の結果も発表している。それによると、回答者1万7000人の97%が同プログラムを支持していることが明らかになった。対象アーティストの選定方法については、47%が経済的必要性に基づくべきだと回答し、37.5%が実績による選定を支持。無作為抽出を選んだ回答者は14%だった。
芸術家を対象としたアイルランドのベーシックインカム制度(BIA)は、政府が必要最低限の金額を無条件で全国民に支給するユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)の一形態だ。UBIはまだ広く導入されているとは言えないものの、近年、AIをはじめとしたテクノロジーの進化による雇用喪失への懸念が高まる中、注目を集める存在になっている。そして、ベーシックインカム支持者の多くが、この制度の代表例としてアイルランドのBIAを挙げてきた。UBIの可能性を追求する市民による世界的な分散型組織、「UBI Labネットワーク」は声明で、アイルランド全体での制度実施を求め、こう述べている。
「試験導入プログラムが示すように、ベーシックインカムは機能します。人々は今こそUBIを必要としているのです。UBIによって初めて、世界が直面する数多くの社会的・経済的・環境的危機に立ち向かい、対処することができます。当ネットワークは今後も、社会におけるベーシックインカムの実証実験を支援し、それが持続可能な政策であることを示す取り組みを継続します」
またこの6月には、同ネットワークに属する「UBI Labリーズ」の主宰者であるラインハルト・ハスが、ビジネスインサイダーの取材にこう答えている。
「これ以上の試験導入は必要ありません。世界の人々は今まさに、社会面、経済面、そして環境問題におけるさまざまな危機的状況に立ち向かうため、ベーシックインカムを必要としているのです」(翻訳:石井佳子)
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