訃報:マーティン・パー、73歳で死去。観光文化を皮肉と笑いで捉えた写真家

観光地と日常に潜む可笑しさと現実を切り取ってきた写真家マーティン・パーが73歳で亡くなった。代表作「The Last Resort」シリーズで広く名を知らしめ、その後もカラー写真の可能性を押し広げた。2025年版「KYOTOGRAPHIE」では、京都で撮影した最新作も発表した。

British documentary photographer Martin Parr poses during a photo-session in Paris on October 31 2025. Photo: Joel Saget/AFP via Getty Images
イギリス人写真家、マーティンパー。2025年10月31日撮影。Photo: Joel Saget/AFP via Getty Images

写真家のマーティン・パー(Martin Parr) が12月6日、イギリス・ブリストルの自宅で死去した。73歳だった。パーは観光客を写しとった作品で知られ、その視線には対象への真摯な興味と同時に皮肉の眼差しも読み取れると評されてきた。訃報は、彼が2017年にブリストルで設立したマーティン・パー財団により、12月7日日曜日(イギリス現地時間)に発表された。

財団は死因を明らかにしていないが、パーは2021年に多発性骨髄腫(骨髄がんの一種)と診断されており、今年ガーディアン紙は、寛解にあるものの化学療法の内服を続けていると報じていた。財団は声明で、「マーティン・パー財団とマグナム・フォト(1994年から所属)は、マーティンのレガシーを保存し共有していくため協働します。詳細は追ってお知らせします」と述べている。

観光の「大いなるパラドックス」に魅せられた写真家

パーは同世代を代表する写真家のひとりだ。日光浴客や観光客を撮った作品で特によく知られ、写真集を数多く刊行するとともに、『VOGUE』などのファッション誌やグッチを含む多数のブランドのファッション撮影も手がけた。

対象は多岐にわたるが、その作品には常にどこか下世話な美学、「低俗」文化への愛着が漂う。作品は、素朴な共感のまなざしとも、鋭い批評とも読み取ることができるため、解釈は分かれることが多かった。その曖昧さこそが、多様な角度から語られてきた理由とも言える。来年にはパリのジュ・ド・ポーム国立美術館でパーの回顧展が予定されており、気候変動やオーバーツーリズムの捉え方に焦点を当てるという。(パーはかつてガーディアン紙に、「フランス人は写真を愛している。プリントを買い、レビューを書く」と語り、イギリスより受容が温かかったと述べていた。)

彼を一躍有名にしたのは、1983〜85年に撮影したシリーズ「ザ・ラスト・リゾート(The Last Resort)」だ。イギリス北西部のニューブライトン・ビーチで海水浴客を撮影したもので、ある写真では、汚れたトラクターの後ろで海も見えぬまま砂に寝そべる観光客が、別の写真では、泣く赤子から目を逸らし日焼けに夢中になる母親が捉えられている。どちらも「余暇」という幻想を追いながら、実際には安らぎに辿りつけない人々の姿を写し出している。これらは1986年にロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで展示され、パーは瞬く間に注目を集めた。

この視点は、1987〜94年のシリーズ「スモール・ワールド(Small World)」へと続く。各地の名所で群れる観光客を撮影したもので、彼らは往々にして本来の見どころを見ずに別のことに興じている。ピサの斜塔前で観光客が塔を「支えるポーズ」をする写真は特に有名だ。画面には塔が大きくそびえるが、観光客は背を向けている。

「観光は世界最大の産業だ」とパーはニューヨーカー誌に語っている。「私が興味を持つのは、この場所の神話と現実との矛盾という大いなるパラドックスだ」

「スモール・ワールド」は賛否を呼んだ。パーは2025年刊行の自伝で、初展示時に近代写真の巨匠アンリ・カルティエ=ブレッソンから「異世界的だ——悪い意味で」と批評されたと記している。パーはこう応じたという。「あなたが人生を祝福する写真を撮るのに対し、私には批評的な視線が暗に含まれる。隔たりがあることは認めます。ただ私は問いたい。『Why shoot the messenger?(=報せを運ぶ者を責めるな、という意)』と」

マーティン・パー《GB. England. Salford. Spending Time》(1986)© Martin Parr
マーティン・パー《Venice, Italy》(2005)© Martin Parr/Magnum Photos
マーティン・パー《Dubai, United Arab Emirates》(2007)©Martin Parr/Magnum Photos

鮮烈な色で表現された現実の「異質さ」

パーは1952年、イングランド・サリー生まれ。幼少期、祖父からカメラの扱いを教わり写真に親しんだ。主要科目で落第したことを機に美術の道へ進み、唯一合格したマンチェスター・ポリテクニック(現在のマンチェスター・メトロポリタン大学)に進学した。のちにウェストヨークシャー州ヘブデン・ブリッジに移住し、後に結婚するスーザン・ミッチェル(Susan Mitchell)と出会う。二人の間には娘のエレン・パーがいる。

はじめは教会を撮影し、その後アイルランドへ移ると白黒で制作を続けた。さらにイギリス・マージーサイド州ウォラシー(Wallasey) に転居すると、カラーへ移行。当時カラー写真は低く見られていたが、アメリカではスティーブン・ショアやジョエル・マイヤーウィッツ、ウィリアム・エグルストンらが芸術として確立しつつあった。「ザ・ラスト・リゾート」シリーズは色調を抑えているが、後年の作品ではより鮮烈な色が異質な世界観を強めることとなる。

1999年にはイタリアの雑誌『アミカ(Amica)』に招かれ、ファッション写真を開始。スタジオではなくスーパーマーケットや美術館など「現実の場」で撮影することを好んだ。パーは写真集『Fashion Faux Parr』(2024)の刊行に際し、『アパーチャー』誌にこう語っている。

「現実世界で成り立つおもしろい写真を撮ること、それが挑戦であり、私がずっとやってきたことです。スタジオ撮影は一枚もありません。すべて外の世界です」

キャリアを通じて活動領域は横断的だった。1994年にマグナム・フォトに参加し、2013~17年に会長を務めた。展覧会も活発で、ロンドンのバービカン・センター、ミュンヘンのハウス・デア・クンストなどで回顧展が開催されている。

闘病期も精力的に活動し、財団の運営にも注力しながら、ギャラリー運営や若手写真家の支援も行った。2025年4月から5月にかけて京都で開催された写真祭「KYOTOGRAPHIE」にも参加し、安藤忠雄設計の建物「TIME'S」で個展を開催。開催直前に本人も来日し、マスツーリズムとも言われる京都各所の観光地を撮影した最新作も発表していた。

パーは過去に、ガーディアン紙にこう語っている。

「世界を救っていると言うつもりはない。写真が何かを変えると期待したこともない。ただ、誰かの助けになればと願っています」

(翻訳:編集部)

from ARTnews

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