訃報:伝説的ギャラリスト、マリアン・グッドマンが97歳で死去。キーファーやリヒターをアメリカに紹介
アメリカにアンゼルム・キーファーやゲルハルト・リヒターらヨーロッパの現代美術作家を紹介してきた伝説的存在、マリアン・グッドマン・ギャラリーの創設者でアートディーラーのマリアン・グッドマンが、1月22日、ロサンゼルスの病院で死去した。97歳だった。

ブルーチップ・ギャラリー、マリアン・グッドマン・ギャラリーの創設者であり、アートディーラーとして半世紀以上にわたり美術界に多大な影響を与えてきたマリアン・グッドマンが、1月22日、息子が住むロサンゼルスの病院で死去した。97歳だった。死去の第1報は1月25日付のニューヨーク・タイムズ紙が伝えている。
後にマリアン・グッドマンとなるマリアン・ゲラーは1928年、ニューヨークに生まれ、生涯のほとんどを同地で過ごした。父で会計士のモーリス・ゲラーは、アメリカのモダニスト画家ミルトン・エイヴリーの熱心な支持者で、約40点の絵画を収集していた。彼女はジャーナリストを志し、ボストンのエマーソン大学に進学するが、20代初めに土木技師のウィリアム・グッドマンと結婚(1968年に離婚)している。
彼女の人生における大きな転機は1962年に訪れた。子どもであるマイケルとエイミーが通っていたニューヨークのウォルデン・スクールの資金集めのため、画家のフランツ・クラインやスチュアート・デイヴィスらのもとを直接訪ねて版画作品の提供を依頼。学校行事として販売を行ったところ、予想を超える成功を収めた。「これを仕事にできるかもしれないと思ったのです」と、彼女は後にニューヨーカー誌で振り返っている。より体系的な美術知識の必要性を感じた彼女はコロンビア大学に進学し、美術史の修士号を取得した。
その後1977年、49歳のとき、グッドマンはミッドタウン・マンハッタンに自身の名を冠したギャラリーを開廊する。記念すべき初めての展覧会に選ばれたのは、1976年に死去したベルギー人アーティスト・詩人のマルセル・ブロータースだった。彼の厳密なコンセプチュアル・アートは、グッドマンの挑戦的かつ先鋭的な美的判断を端的に示すものだった。
それから約50年にわたり、彼女は同時代を代表する数多くの作家を紹介・展示し、とりわけ当時アメリカでは十分な評価を得ていなかったヨーロッパの作家たちの地位確立に大きく貢献した。アンゼルム・キーファーやゲルハルト・リヒターは、その代表例だ。
グッドマンはインタビューをほとんど受けず、常に注目が自身ではなくアーティストに向かうことを望んだ。そして、ひとたび作家を引き受けると、徹底的に支援した。2004年にニューヨーカー誌で美術評論家ピーター・シュジェルダールのインタビューに応じた際には、「15年、あるいは20年にわたって、そのアーティストの展覧会を開き続ける覚悟がなければなりません」と語っている。
ニューヨークとパリ、ロサンゼルスに拠点を広げたマリアン・グッドマン・ギャラリーには、ドイツのコンセプチュアル・アーティスト、ローター・バウムガルテン、イタリアのアルテ・ポーヴェラを代表するジョヴァンニ・アンセルモやジュゼッペ・ペノーネ、イギリスの映像作家スティーヴ・マックイーン、エチオピア系アメリカ人画家ジュリー・メレトゥ、南アフリカ出身のドローイング作家・映画作家ウィリアム・ケントリッジ、そしてバナナにダクトテープを貼り付けた《コメディアン》で世界的な話題を呼んだイタリアの風刺作家マウリツィオ・カテランなど、錚々たる作家が名を連ねてきた。
「もし過去40年間、マリアン・グッドマンからだけ作品を購入していたとしたら、今日、世界最高水準の美術館を一つ所有していることになるでしょう」
バード大学キュレーション研究センター所長のトム・エクルズは、2014年のWSJマガジンに掲載された彼女の特集で、そう評している。
その後グッドマンは2021年7月、5人のスタッフをパートナーに昇格させ、事実上ギャラリーの第一線から退いた。2024年10月には、パートナーたちはギャラリーを再開発が進むトライベッカ地区ブロードウェイ385番地の5階建てビルへ移転した。それについてパートナーのエミリー=ジェーン・カーワンは、「アーティストにふさわしい観客のために、移動が必要だった」と説明している。
グッドマンは、自身のギャラリーを50年近くにわたりミッドタウン・マンハッタンに構え続けた。その理由について彼女は、幼少期から親しんできたニューヨーク近代美術館(MoMA)まで徒歩圏内であることが不可欠だったと語っている。(翻訳:編集部)
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