原田マハが語るアンディ・ウォーホルのアート革命──エスパス ルイ・ヴィトン東京トークイベントレポート

エスパス ルイ・ヴィトン東京では、アンディ・ウォーホル展「SERIAL PORTRAITS ― SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」が2月15日まで開催されている。本展の開催にあわせ、1月23日に作家・原田マハをゲストに迎えたARTnews JAPAN読者向けトークイベントが行われた。その模様を紹介する。

エスパス ルイ・ヴィトン東京で開催中のアンディ・ウォーホル展「SERIAL PORTRAITS – SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」に合わせ、ARTnews JAPANの読者向け特別トークイベントが1月23日に開催された。ゲストに迎えたのは作家の原田マハ。モデレーターはARTnews JAPAN編集長の名古摩耶が務めた。

本展は、ポップ・アートの旗手、アンディ・ウォーホル(1928–1987)の「ポートレート」に焦点を当てた展覧会だ。フォンダシオン ルイ・ヴィトンの「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムの一環として、1950年代にファインアートの画家を志していた駆け出し時代のペン画群《UNIDENTIFIED MALE(名のない男)》(1955–57)をはじめ、現代アーティストとして名声を確立し、ファクトリーで旺盛に制作活動を行っていた1980年代のポラロイド写真群、さらに同年代に制作されたシルクスクリーンの連作《TEN PORTRAITS OF JEWS OF THE TWENTIETH CENTURY(20世紀のユダヤ人10人の肖像)》(1980)などが展示されている。会場は《TEN PORTRAITS OF JEWS OF THE TWENTIETH CENTURY》の色彩から抽出した緑、黄色、紫などで塗られた壁によって区切られ、作品ごとに異なる世界観が立ち上がる構成となっている。

原田マハは大学卒業後に商社に勤務したのち、森ビル森美術館設立準備室を経てニューヨーク近代美術館(MoMA)に勤務。その後フリーランスのキュレーターとして独立し、2005年に『カフーを待ちわびて』で小説家デビューを果たした。以降、アンリ・ルソーの作品をベースにしたミステリー『楽園のカンヴァス』(2012)や、モネマティスを題材にしたオムニバス『ジヴェルニーの食卓』(2013)など、アートを主題にした作品を数多く発表している。数々のアーティストの創作と人生を見つめ、物語として紡いできた原田にとって、ウォーホルとはどのような存在なのか。以下、トークの一部を紹介する。

ウォーホルは人生の分岐点

──原田さんとウォーホル作品との最初の出会いについて教えてください。

初めてウォーホルの作品に出会ったのは、大学時代、20歳の頃。好奇心の赴くままにさまざまな表現に触れていた時期で、のちに小説『楽園のカンヴァス』で取り上げたアンリ・ルソーや、ピカソとの出会いも、ちょうどこの頃でした。

ある日、神戸にあった海外のアート雑貨や書籍を扱う「ONE WAY」という店で、壁に貼られていた一枚の大きなポスターに目を奪われました。それがウォーホルによる同性カップルを主題とした「Love」シリーズの一作でした。若い男性に、彼より年長の男性が寄り添い、耳元に舌を伸ばすという構図。そのあまりの生々しさに、「これもアートなのか」と強い衝撃を受けたことを、今でもはっきりと覚えています。

その後、ウォーホルと彼を取り巻く世界についてさらに知りたいという思いが募り、気がつけばその店でアルバイトを始めていました。約3年間、アートの情報に囲まれた環境で過ごしながら、ジャスパー・ジョーンズロバート・ラウシェンバーグといった現代アーティストの名前を、一人ひとり書き留めては覚えていきました。振り返ってみると、その経験を通して、私はすっかりアートにのめり込んでいたのだと思います。

もし当時、ルソーやピカソだけに惹かれていたら、美術史の研究者になっていたかもしれません。ですが、現代アートの世界に引き込まれたことで、ギャラリーやアートプロデュースへの関心が芽生えました。そうした意味で、ウォーホル作品との出会いは私の人生における大きな分岐点だったと言えます。

──今回の展覧会は、ポートレートに焦点を当てた構成となっています。ウォーホルはマリリン・モンローやエルヴィス・プレスリーといったセレブリティをモチーフにしたシルクスクリーン作品で広く知られていますが、本展では、会場の入り口付近で彼の初期のドローイング作品が展示されています。これによって、スターになる以前の彼の人間性に触れられるという点で、非常に貴重な体験だと感じました。

私自身、ウォーホルのドローイングがとても好きで作品集も持っていますが、本展で紹介されていたドローイング作品は初めて実物を目にするものばかりでした。手描きの作品が加わることで、ウォーホルが神話的な存在ではなく、確かにこの世界に生きていた一人の人間だったのだと実感できます。非常に良いキュレーションだと思いました。

ウォーホルは移民の家系に生まれ、幼い頃から持病があり健康不安を抱えていましたし、同性愛者でもあったことから、当時の社会においては明確なマイノリティの立場に置かれていました。しかし彼は、その弱さの上にアートという仮面を重ねることで新たな強さを獲得し、自身をスターとして成立させるという劇的な転換を成し遂げます。その意味において、ウォーホルは非常に類いまれな才能を持つ成功者であったと言えるでしょう。変化し続けるセルフポートレートを辿ると、彼の生きづらさに対するある種の哀感を覚える一方で、その表象の変化そのものが、彼が強くなっていく過程の軌跡として立ち現れてくるように感じられます。本展を通して、異なる時代ごとのウォーホルの姿を巡ることができたことは、とても興味深い体験でした。

ゴッホはウォーホル出現を予見していた

──現在は生成AIで自分の顔を変化させたり、架空の人物を出現させたりすることもできますし、美容整形をすることに対しても大きな抵抗がなくなっています。その中で「顔」というアイコンの持つパワーが薄らいでいるようにも思います。「ポートレート」という作品が持つ力にはどういうものがあるでしょうか。

実は、ウォーホルに匹敵するぐらいセルフポートレートを制作した画家がいます。それはフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)です。ゴッホとウォーホルが生きた時代は40年ほどの差しかありません。ですが、ゴッホは19世紀的な社会の呪縛の中で死んでいきました。一方のウォーホルは20世紀、戦後に登場したトリックスター。ほぼ同時代に生きながら対照的ですね。

ゴッホが数多くのセルフポートレートを描いた理由については、自己を深く見つめ続けた結果だとする見方もありますが、私はむしろ、モデルに支払う金銭的余裕がなかったという現実的な理由が大きかったのではないかと考えています。とはいえ、彼の自画像が放つ力は圧倒的です。2022年にロンドンのコートールド・ギャラリーで開催されたゴッホのセルフポートレート展を鑑賞した際、展示された作品の一つとして同じ表情や雰囲気のものが存在しないことに驚きを覚えました。その瞬間、私の脳裏には自然とウォーホルのセルフポートレートが重なってきたのです。

ウォーホルもまた、シルクスクリーンやポラロイドなど手法を変えながら、異なるイメージの多数のポートレートを生み出しました。2人は、自分自身が変化し続ける存在であることを直感的に理解し、その過程を作品として記録していたように思えます。そのシンクロニシティから、ゴッホは後にウォーホルが登場することを予見していたのではないか、とすら感じてしまいました。

ウォーホルは、印象派の画家たちが光の中で「時間」を捉えたように、一瞬の時間を作品に定着させた作家でもあります。この年、この日、この時間に撮影されたイメージがシルクスクリーンとして刷られた瞬間、モデルは永遠性を獲得する。永遠と常に闘い続けるという彼の果てしない挑戦に、私は畏怖に近い感覚を覚えます。

「ファクトリー」は究極のコンセプチュアル・アート

──ウォーホルは1960年代に「ファクトリー」と呼ばれるスタジオを構え、「複製」をキーワードに制作を行いました。エリート主義的なファインアート全盛のアメリカ美術界において、非常に革新的な試みだったと思いますが、原田さんはファクトリーをどのように評価していますか?

ウォーホルは、ある種の賢さと、したたかさを併せ持った人物だったと思います。一方で、実はファクトリー的な制度は、中世まで遡ることができます。当時は「アーティスト」という概念は存在せず、制作は工房によって行われていました。徒弟制による分業体制が、何百年も続いてきたのです。

19世紀になると、作家個人の名前や個性が価値を持つようになり、アートマーケットが成立します。モネやゴッホのような画家たちは、自分の作品であることを明確に示すためにサインを入れるようになりました。当時は素朴だと評され、あまり人気がなかったルソーでさえ、赤い文字で堂々と署名しています。

その後、二度の世界大戦を経る中で、「個」という概念はさらに強調されていきました。そうした歴史的な流れに対し、ウォーホルはあえて数百年前の工房制度を現代へと引き戻し、「ファクトリー」という形で再構築します。ウォーホルは、マルセル・デュシャンの《泉》(1917)を重要な起点として捉え、既製品の便器を「作品」として成立させる発想をファクトリーという仕組みを通じてさらに拡張しました。その意味で、ファクトリーとは、彼の制作姿勢を貫くコンセプトそのものであり、それ自体が究極のコンセプチュアル・アートであると言えるでしょう。

第2次世界大戦後、アメリカがヨーロッパに代わって超大国となり、文化の中心となっていく過程で、マーク・ロスコらに代表される抽象表現主義が誕生します。そして抽象絵画に対するカウンターとして、異なる表現を求める動きが生まれます。そこでウォーホルは、ブリロの箱やキャンベルスープ缶、新聞の三面記事といった、身の回りにあるものを次々と拾い上げ、アートへと転用しました。この転用の機知こそが、彼の大きな強みでした。現代アートは、誰も持っていなかったカードを切る人物に熱狂する世界です。当時は、次に登場するスターを社会全体が待ち構えていた時代でもありました。

──ウォーホルは「誰もが15分間は有名になれる」などいくつもの有名な言葉を残していますが、私がもっとも印象深いと思っているのは、「自分には語るべき“内面”がない/表面を見れば十分」という言葉です。

確かにウォーホルのその言葉は、内面の存在を否定するものとも捉えられますが、彼がつくった『Interview』誌が象徴するように、実際にはモデルと対話を重ね、インタビューを通じてその人物像を丁寧に把握したうえで制作に臨んでいたことが知られています。ウォーホルにとって内面とは否定されるものではなく、表層と同様にイメージとして扱われる対象だったのでしょう。表層と本質のあいだを自在に往還しながら、それらを作品に盛り込んでみせる知性こそが、ウォーホルをスーパートリックスターたらしめているのだと感じます。

ウォーホルはまた、AI時代の到来を先取りしていたとさえ言えるでしょう。多様な人々を巻き込み、ファクトリーを形成していくその構造は、没後40年近くが経過した現在、私たちが日常的に実践している行為とも重なります。ファクトリーに関わることで、人々は次第にアートの一部となっていく。その過程に伴う高揚感と同時に潜む危うさを、ウォーホルはきわめて巧妙に可視化していたのではないでしょうか。

──もしウォーホルが現代に生きていたとするならば、何をしていたと思いますか?

もしウォーホルがSNSを使っていたら、きっととんでもない存在になっていたでしょうね(笑)。彼は単なる昔の作家ではなく、先駆者として、すでに私たちの生きる時代へと跳躍してきているような存在です。その作品は現在においても古さを感じさせず、遠い未来においても、ひとつの起点として参照され続ける可能性を秘めています。

私自身、コンテンポラリーアートと本格的に向き合う最初の地点がウォーホルであったことは、すごくシンボリックな体験でした。彼を通して過去の美術を見つめ直し、同時にモダンな感覚を獲得してきたと感じています。そしてそれは、私個人の経験にとどまるものではないでしょう。時代がどれほど変化しても、未来の観客やアーティストたちはウォーホルを参照点として思考を続けていく。その関係性は、これから先も途切れることなく更新され続けていくと思います。

Photos: Timothée Lambrecq

アンディ·ウォーホル展「SERIAL PORTRAITS - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」
会期:〜2026年2月15日(日)
場所:エスパス ルイ・ヴィトン東京(東京都渋谷区神宮前5-7-5 ルイ・ヴィトン表参道ビル7F)
時間:12:00〜20:00
休館日:ルイ・ヴィトン 表参道店に準じる
料金:無料
※2月11日(水祝)の15:00から会場スタッフによる解説ツアーあり(事前申込不要、所要時間約15分)

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