【2月22日は猫の日!】猫をめぐる、アーティストたちの10の言葉
猫の自由奔放で時に繊細な姿は、アーティストの心の支えとなり、創作のインスピレーションを与えてきた。2月22日の猫の日にちなみ、10人のアーティストが猫について語った言葉を紹介する。

“猫は知識を何も持たずとも幸せな人生を送る方法を教えてくれる。彼らは自分の面倒を自分で見て、楽しみを自分で作る”
──アイ・ウェイウェイ

アイ・ウェイウェイは北京に暮らしていた時期、30匹以上の保護猫と生活していたことで知られる。中国当局の厳しい監視下にあった当時の生活を振り返り、彼はインタビューで、猫たちは「別世界」の存在だったと語っている。人間社会の葛藤や緊張とは無縁で、日々確かな喜びをもたらしてくれる存在。猫に心を開くことで、人間社会では得がたい感覚に触れられる。そんな実感が、この言葉には込められている。
“動物をこれほどまでに愛することができるとは知らなかった。そしてそれは魂の結合だった”
──トレイシー・エミン
愛猫家として知られるトレイシー・エミンの中でも、もっとも有名なのがドケットという名の猫だ。2002年に飼い始め、ロンドン東部で脱走した際に彼女が貼った迷子ポスターが「作品」として持ち去られ、eBayで売買される騒動も起きた。最愛のドケットを失った後、エミンはこの言葉を語っている。若い頃からうつやトラウマ、孤独と向き合い、さらに病と闘う人生のなかで、猫は揺るがぬ安心と愛情を与えてくれる存在だった。現在も彼女のそばには、ティーカップとパンケーキという2匹の猫がいる。
“あなたにはこの巨大な猫が割り当てられた。この状況を受け入れ、そこに喜びを見出しなさい”
──デイヴィッド・シュリグリー
イギリスのアーティスト、デイヴィッド・シュリグリーは、《CAT WITHOUT A HEAD》など、風刺とブラックユーモアを交えた作品で知られる。極めてシンプルな絵と短い言葉の組合せの絵画群も制作しており、そこにも猫はたびたび登場する。《This Huge Cat — “This huge cat has been assigned to you. You must accept this situation and find joy in it.”》では、抽象的な「運命」や「避けられない状況」を「巨大な猫」に置き換える。理不尽を前にしても、それを受け入れ、そこに喜びを見いだすという、シュリグリーらしい逆説的な人生観が示唆されている。
“猫の死のことを悲しいと言うと、滑稽なことのように見えてしまう。でも、その出来事は両親の死よりも強烈だった”
──ソフィ・カル
ソフィ・カルは2014年、17年間ともに暮らした愛猫スーリ(Souris)を亡くした。ペットの死を公に悲しむことが軽視されがちな社会の風潮に疑問を投げかけ、彼女は喪失を主題とする作品を制作。さらに、U2のボノ、ファレル・ウィリアムス、マイケル・スタイプらが参加したスーリの追悼アルバム『Souris Calle』も発表した。不在や記憶をめぐる彼女の創作姿勢は、この猫との別れを通していっそう強く表現されている。
“俺は、家の中にいる猫じゃなくて、路地を横切る本物の猫を描きたいんだ”
──パブロ・ピカソ

ピカソは猫好きとしても知られる。しかし彼が作品に求めたのは、愛玩動物としての姿ではなく、野性味を宿した存在だった。《Cat Eating a Bird》(1939)では、獲物を食いちぎる激しい姿が描かれており、《Still Life With Lobster》(1962)では皿の上のロブスターを鋭い目つきで狙う。そこにあるのは可愛らしさではなく、生と暴力、そして本能だ。ピカソにとって猫は、人間に飼い慣らされない生命の象徴だった。
“火事になって、レンブラントの絵と猫のどちらかを選ばなければならなかったら、私は猫を助ける”
──アルベルト・ジャコメッティ

ジャコメッティは猫を飼っていたという確かな記録はないが、その身体性には強い関心を寄せていた。2018年にサザビーズがジャコメッティ《Le Chat》(1951-55)をセールに出した際の解説によると、彼はある日、弟ディエゴの飼い猫が細い隙間を物体に触れずにすり抜ける様子を見て、「猫は細身だからそのようなことができるのか」と驚嘆したという。その感動がそのまま本作に表れている。
“最も小さなネコ科動物は傑作だ”
──レオナルド・ダ・ヴィンチ

この言葉はダ・ヴィンチのものとされるが、確定的な出典はない。しかし彼が猫の造形に魅了されていたことは確かだ。1480年頃の《Study of Cats》(1513-15)では、休む姿、遊ぶ姿、身体をしなやかに捻る瞬間など、多様なポーズが克明に描かれている。細部まで観察されたその線からは、自然の造形に対する彼の敬意が伝わってくる。
“私の夢の中で、猫は目撃者です。裁くことはせず、ただ見つめているのです”
──ルイーズ・ブルジョワ
1998年に刊行された日記とインタビュー集のなかで語られた言葉。ブルジョワはコネチカット州イーストンで幼い息子たちと暮らしていた時期、タイガーとシャンフルレットという猫を飼っていた。彼女は猫を注意深く観察し、しばしば作品のモチーフとした。どれも少し不思議なもので、五本足に人間の顔を付けたり、シャンフルレットがハイヒールを履いた魅惑的な姿で描かれたりしている。
“タマは何をしにわが家を選んできたのだろう。われわれの精神と生活に奉仕するためだったのだろうか。こちらはタマに何を奉仕してやったというのだ”
──横尾忠則
タマは横尾忠則の家の裏庭に現れ、15年間をともに過ごした。2014年5月31日に死んだ後、横尾は鎮魂の思いを込めて肖像画を描き続け、その数は91点にのぼる。2020年には画集『タマ、帰っておいで』(講談社)としてまとめられた。この言葉はタマの死後、横尾がTwitterに投稿したもの。深い喪失と自問自答が、切実な響きをもって胸に迫る。
“チロと女に共通するいちばんいいところはさ、『ときどき』『美しく』『見える』ことなんですよ”
──荒木経惟
荒木経惟は、1990年に異例のロングセラーとなる写真集『愛しのチロ』(平凡社)を刊行した。飼い猫であるチロを撮った1冊は同年に死去した妻陽子が楽しみにしていたものでもあった。この言葉は、チロが死んだ約10年後、2021年に行われたインタビューでのひとこと。「美」と「醜」が入り混じるところに魅力が存在するという、荒木流の美学が凝縮されている。