中世の祈祷書に描かれた女性器は何を意味するのか。信仰と性の表象をひもとく展覧会がNYで開催中

メトロポリタン美術館分館のクロイスターズ美術館で、中世美術に潜む性とジェンダーの表象を紐解く展覧会「Spectrum of Desire: Love, Sex, and Gender in the Middle Ages(欲望のスペクトラム:中世における愛、性、ジェンダー)」は、が開催されている。

フランス王太子妃がかつて所有していた祈祷書。Photo: Courtesy of the MET
フランス王太子妃がかつて所有していた祈祷書。Photo: Courtesy of the MET

聖母子像や磔にされたキリストの絵画を見て、性を連想する人はそう多くないだろう。だが、中世ヨーロッパの富裕層が所有していた個人用の時祷書(私的な日常の祈りに用いた祈祷書)を紐解くと、女性器を連想させる挿絵がかなりの頻度で登場する。これは、磔刑後に兵士がキリストの脇腹を槍で突いた際にできた傷を描いたものだが、当時の信仰のなかでは、子宮や女性性を連想させるかたちで表現されることがあったという。メトロポリタン美術館分館のクロイスターズでは、そうした図像を多くの作品とともに紹介する展覧会「Spectrum of Desire: Love, Sex, and Gender in the Middle Ages(欲望のスペクトラム:中世における愛、性、ジェンダー)」が開催中だ。

本展のキュレーションを務めたメラニー・ホルコムとナンシー・テボーによれば、中世の人々はキリストの身体を、単に「男性の肉体」としてではなく、男性性と女性性を併せ持つものとして認識していたという。挿絵では、キリストが神の子であると同時に「母」として描かれることもあり、脇腹の傷は、乳房や子宮など、生命を育む器官になぞらえられることがあった。

こうした両義的な身体観を支えた視覚的モチーフのひとつが、マンドルラと呼ばれる楕円形の光輪だ。中世の図像では、キリストや聖母マリアの身体を包む背景として繰り返し用いられた。天と地が重なり合う境界を象徴するこの形は、神であり人であるという二重性だけでなく、男性・女性という二項対立を超越する存在としてのキリスト観を視覚化する装置でもあった。

中世に描かれたキリストの後ろにマンドルラが光っている。Photo: Wikimedia Commons
中世に描かれたキリストの後ろにマンドルラが光っている。Photo: Wikimedia Commons

その代表例として挙げられるのが、『ノルマンディー公妃ボンヌ・ド・ルクセンブルクの祈祷書』に収められた一枚だ。金色の蔓草が散りばめられた青い背景に、キリストの傷が正面から描かれ、茨の冠や十字架、釘など受難の道具、そして祈りの言葉が添えられている。ちなみに、描かれているキリストの傷は約5センチメートルで、実際にキリストが負った傷の大きさと同じだという。この祈祷書は、フランスの王太子妃、ボンヌ・ド・リュクサンブールが生前使っていたとされ、1349年に彼女がペストで死去した後、長男のフランス王シャルル5世が引き継いだという。

ボンヌの祈祷書に描かれた「キリストの傷」は、その形状だけでなく、当時の神学的言説を踏まえると、単なる受難の象徴以上の意味を帯びていた可能性がある。キュレーターによれば、中世にはこの傷を、教会を生み出す「子宮」として読む解釈が広く共有されており、それは現代の恣意的な連想ではなく、当時の信仰世界に根ざした比喩だった。こうしたモチーフは、中世後期に出産時の女性が身につけた護符にも見られる。女性たちは、そこに描かれたキリストの傷や聖像に触れながら祈りを唱えたという。ボンヌ自身がそうした護符を所有していたかは分からない。だが、この図像が出産という文脈と結びついていた事実は、彼女の祈りが身体経験と無縁ではなかったことを示している。

また、こうした祈祷書は信者たちが手で触れたり、口づけしながら用いられていたと考えられている。実際に塗料の摩耗や傷みが残る作例も少なくない。なかには、中央に切れ込みが入れられ、使徒トマスの逸話に準えて、指を差し入れた痕跡が残るものもあったという。ホルコムとテボーは、こうした身体的な信仰表現が決して例外ではないと強調する。中世キリスト教では、神との合一が肉体的な言語で語られることが多く、聖カタリナ・デ・シエナがキリストの傷から血を飲む幻視を見たという逸話や、神学者ルペルト・フォン・ドイツがキリストと口づけを交わす場面を想像した例も伝えられている。そこでは、聖性と身体、敬虔さと欲望は対立するものではなく、むしろ滑らかに結びついていた。

「Spectrum of Desire」は、宗教が美術の中心にあった中世ヨーロッパにおいて、信仰と身体、性とジェンダーの問題がどのように表象されてきたのかを、50点以上の作品を通して検証する展覧会だ。キリストの傷をめぐる図像もその一例として提示され、当時の信仰が持っていた身体性や多層的な解釈の幅を示している。

展示作品のひとつである、銅製の水差し。哲学者のアリストテレスがフィリスという美女に誘惑され、彼女を背に乗せた、という1400年頃に有名だった寓話に基づいて作られた。Photo: Courtesy of the MET
「妻の尻に敷かれる情けない夫」は、中世で流行っていたジョークのひとつ。理性と権威の象徴とされていた男性が、感情や誘惑を象徴する女性に支配されている──。そんな立場の逆転が、当時の人々にはおかしく映っていたという。Photo: Courtesy of the MET
修道女がかつて所有していたとみられる赤子のキリスト像は、キリストと特別な関係を結ぶという信仰と結びついている。ひとりの修道女が「この像が世話を求め、母乳まで欲しがった」と記したように、キリスト像は幻視を引き起こしたこともあったという。Photo: Courtesy of the MET

あわせて読みたい