スピリチュアルアートってなに? タブー視された女性作家たちが残した功績

抽象画の先駆者とされる神秘主義者のヒルマ・アフ・クリントは、近年世界各地で回顧展が開かれ、大きな評判を呼んだ。その流れはさらに、彼女と同様スピリチュアルな世界を描いた女性アーティストへと広がりつつある。スポットライトが当たり始めた作家たちを紹介しよう。

2016年にロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで開催されたヒルマ・アフ・クリントの展覧会。Photo David M. Benett/Getty Images

スピリチュアルなアートを生み出した女性作家に関する書籍が出版

1936年にロンドンで開催されたシュルレアリスムの展覧会で、イセル・コフーンの描いた不思議な花や、聖書の物語を下敷きにした奇妙な絵画は、他のイギリス人シュルレアリストの作品と違和感なく並んで展示された。彼女が描く夢のようなイメージはシュルレアリスムと相性が良いように思われたが、1つ問題があった。それは、コフーンが秘密結社のようなオカルト思想グループのメンバーだったことだ。

1939年になる頃には、コフーンはシュルレアリスムと決別していた。この芸術運動の指導者たちは、芸術的インスピレーションの源としてオカルティズムを認めていなかったからだ。彼女が自分の意志で抜けたのか、あるいは仲間たちから追い出されたのか、美術史家たちも正確なところはつかめていない。

しかし、コフーンの才能は時を経て証明されることになる。2019年にテートが、5000点に及ぶコフーン作品のアーカイブを全て購入し、そのことを公表する声明の中で彼女をシュルレアリスム運動の「重要人物」に位置づけたのだ。イギリスにはローランド・ペンローズやポール・ナッシュなど、彼女よりずっと有名なシュルレアリストたちがいるが、彼らの作品はテートにそれほど多く収蔵されていない。最後に笑ったのはコフーンだったというわけだ。

コフーンの作品はテートのみならず、リバプール・ビエンナーレやヴェネチア・ビエンナーレにも展示されるなど、アート界のメインストリームでますます注目が高まっている。彼女が関わっていたオカルト思想は、前衛芸術家でさえ距離を置くほど怪しげなものだと考えられていたが、今では神智学などの神秘思想に基づく彼女の実験的な作品に関心を持つ人は多い。コフーンが制作していたようなスピリチュアルアートは、かつては批評家の間でもタブー視されていたが、今や広く受け入れられ、現代アートの歴史に書き加えられるまでになった。

そんな中、コフーンを含む異色の女性アーティストについて書かれたジェニファー・ヒギーの著書、『The Other Side: A History of Women in Art and the Spirit World』が出版された。この本では、過去2世紀の間に絵画や写真、イラストレーション、ダンスなどの芸術作品で精神世界を魔術的に表現した女性たちが取り上げられている。コフーンの章も他の芸術家と似た構成で、最初は謎めいた女性として登場する(マン・レイが撮影した彼女の肖像写真について、「幽霊のように、影のある顔に白い目が浮かんでいる」という記述がある)。その後、人物像の輪郭が徐々にはっきりしていき、遂にはその仕事が世に認められる。コフーンが正当に評価されるのに時間を要したのは、彼女が真に非凡な人物であったことが原因だと見るヒギーは、こう書いている。

「彼女は慣習を無視し、バイセクシャルで、多くの恋人を作り、子どもを持たなかった。また、『神聖な女性性』の力を信じながらも、遠い昔のある時期までは男性的エネルギーと女性的エネルギーは一体のものだったと考えていた」

オーストラリア出身の批評家で、アート専門誌フリーズの編集長を務めたこともあるヒギーは、ほかにも時代の枠に収まらない女性アーティストを取り上げている。たとえば、渦巻く抽象的な形で埋め尽くされた絵を描いたジョージアナ・ホートンの霊的な作品は、人気があったものの、ほとんど買い手がつかなかった。ヒギーはその理由について、「1860年代のロンドンでそんな絵を描いている画家はほかに誰もいなかった」からだろうと論じる。

また、宗教的・社会的常識にとらわれない神智学を唱えたヘレナ・ブラヴァツキーは、ピエト・モンドリアンからマルセル・デュシャンまで、多くのモダニストたちにインスピレーションを与えた。にもかかわらず、ブラヴァツキーが美術史の中で大きく取り上げられないのは、あまりに先鋭的なその思想ゆえかもしれない。そしてもちろん、スウェーデンの抽象画家ヒルマ・アフ・クリントも出てくる。アフ・クリントの神秘的な絵は、彼女が交信していた別世界の存在の指示によって描かれたとされている。

1949年に撮影されたイセル・コフーン。彼女が「魔女のボール」と呼ぶ巨大な球体のイヤリングと黒いレースを身に着けている。 Photo: Reg Speller/Fox Photos/Hulton Archive/Getty Images

霊的な世界を描いた作品に光を当て始めた欧米の美術館

これらの作家には、ここ数年、欧米の美術館で作品が頻繁に展示されるようになったという共通点がある。現在、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州立美術館がホートンの展覧会を開催中だが、そこでは彼女のドローイングと、知名度がはるかに高いワシリー・カンディンスキーの抽象画が比較対照されている。また、ニューヨークグッゲンハイム美術館で2018年に開催されたアフ・クリントの回顧展は、同美術館の来場者記録を塗り替えた。さらに、こうした展覧会の解説文などには、かなりの頻度でブラヴァツキーの名が登場する。美術館はこれまで、美術史が作られる神聖な場所だと考えられてきた。その権威ある場所に、目には見えない不思議な世界や、幽霊のような存在を描いた作品を展示することが受け入れられるようになってきたのだ。

美術界の主流では、この手の女性アーティストを黙殺しようという力学が働くものだが、そこから彼女たちを解放する方法はあるのだろうか? ヒギーは、歴史的な記述をあえて避けることで、それを試みている。著書『The Other Side』は、大まかには時系列的な構成ではあるものの、話が常に起承転結に沿って教科書的に進むわけではない。こうした書き方は、ヒギーが指摘するように、合理性や科学的な研究とは相入れない彼女たちの芸術の本質を反映しようとするものでもある。

少し長くなるが、ヒギーの著書から示唆に富んだ部分を引用してみよう。

「これらの作品は、現実に存在していることが知られ、記録もされてきた。それにも関わらず、あまりに長い間、魅力的ではあるが珍奇と見なされるか、西洋美術史の周縁に置かれたり、無視されたりしてきている。芸術の世界でさえ、理性や秩序、意志が男性的な特徴として重んじられ、男性は活動的で知的であるのに対し、女性は受動的で脆く、感情的であるとされた。実験的で革新的な作品を制作した芸術家は、たまたまそれが女性であれば奇人だという目で見られた。モダニズムの初期には、精神世界に関心を抱いていた男性芸術家もいたし、そうした男性の多くは賞賛されていたのに」

たとえば、トランセンデンタル・ペインティング・グループ(*1)のメンバーだったアメリカ人画家、アグネス・ペルトンは、自らの作品をこれまで見たことのない宇宙への「小さな窓」だと説明していた。彼女の世界観は鮮烈で美しく、半透明の球体や星形が薄明かりの空の中で組み合わされている。それはあまりに神秘的で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のようなアート施設が認める芸術の枠組みには収まらなかった。そのため、ペルトンは長い間、近代アートの主要作家とは認められず、ようやくMoMAがペルトンの絵画を購入したのは2023年のことだった。


*1 1930年代後半に、精神世界に傾倒していたアーティストらによってニューメキシコ州で結成されたグループ。トランセンデンタル(transcendental)は超自然的、超越的の意。
ジョージアナ・ホートン《Glory be to God》(1864) Photo: Courtesy Victorian Spiritualists’ Union, Inc., Melbourne

より多様なバックグラウンドを持つ作家の発掘が求められる

ヒギーが本の中でペルトンを取り上げたのは、MoMAの排他的な歴史について語るためではない(確かにその問題についても触れられてはいるが)。ペルトンに関する最初の記述は、ヒギーがギリシャのキクラデス諸島への旅を回想するくだりで出てくる。夕暮れ時の光景について彼女は、「日中の陽光が作り出す硬い輪郭が溶けはじめ、空気が冷気を帯び、鳥たちが静まり返り、きらめく星の光が波打つ藍色の海に反射する」と叙述している。ヒギーは、ペルトンがギリシャのこの地を訪れたかどうか定かではないとしているが、それはさしたる問題ではない。ここで重要なのは、ヒギーが自分自身の経験というフィルターを通してアートを語りながら、客観的とは言えない美術史を書こうとしていることだ。

この本でヒギーは、複数のジャンルを融合させようとしている。つまり、回顧録でもあり、コロナ禍における旅行記でもあり、美術史研究でもあるというように。しかし残念ながら、1冊の本に担わせるには役割が多すぎたようだ。エーゲ海に浮かぶ島の海辺の回想がアート作品の描写を凌駕するほど強烈なので、ペルトンなどアーティストに関する記述の印象が薄れてしまう。

2022年のヴェネチア・ビエンナーレやグッゲンハイム美術館でのアフ・クリント回顧展などを熱心に追いかけてきた読者なら、『The Other Side』で取り上げられたアーティストのほとんどを知っているだろう。それもまた残念な点だ。この本は図らずも、アフ・クリントのような女性作家をようやく認知し始めた、ヨーロッパ中心主義的な従来の美術史を肯定してしまっている。ファーストネーションズ(カナダの先住民)のアーティストには数ページしか割かれておらず、グローバルサウス(*2)のアーティストにも形ばかりしか触れられていない。この本ではいまだに、ある種の精神性が他の精神性より重要であるかのように感じられてしまうのだ。


*2 グローバル化した資本主義による負の影響を色濃く受ける国や地域。低所得国が南半球に多いことから使われるようになった用語。

とはいえ『The Other Side』は、精神世界を探求した女性アーティストたちには、まだ光が当てられ始めたばかりだということを随所で気付かせてくれる。つまり、この本は正しい方向への第一歩に過ぎないのだ。やるべきことはまだ多い。

ヒギーがそのことを示唆しているのは、彼女がそれまでまったく知らなかったというオランダのアーティスト、オルガ・フレーベ=カプテインを取り上げた箇所だ。モノクロームの背景に輪郭のはっきりとした形態を配したフレーベ=カプテインの抽象画は、私たちが住む世界を超えた別世界への扉を開くことを意図している。生前の彼女は、分析心理学の創始者である心理学者のカール・ユングにも賞賛されたほどの実力者だったが、今日でも彼女の名はほとんど知られておらず、大規模な回顧展が開かれたこともない。

「過去40年間ずっと、私は芸術について真剣に考え続けてきた。それなのに、自分が知らないことがいかに多いかを常に気付かされ、驚きの連続だ」

フレーベ=カプテインに関するセクションで、ヒギーはこう吐露している。これにはまったく同感だ。(翻訳:野澤朋代)

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