大地震で湖に沈んだシルクロードの遺跡を発見──中世の遺構や墓地が物語る中央アジアの民族興亡

シルクロードで交易の中心地として栄え、大地震で湖に消えた中世の都市遺跡がキルギスで見つかったと昨秋発表された。イシク・クル湖における水中考古学調査では、大規模な建造物や埋葬地、遺骨などが発見されている。

湖底で見つかった壺の一部を手にしたロシア科学アカデミー考古学研究所の研究員。Photo: Elizaveta Romashkina/RGS

中央アジアのキルギスにあるイシク・クル湖には、中世の交易都市トル・アイグルと見られる遺跡が沈んでいる。この遺跡の調査をしているのが、ロシアとキルギスの考古学研究者たちだ。何世紀にもわたり水中に隠れていたこの遺跡の存在は、昨年10月、ロシア地理学会(RGS)がロシア科学アカデミー考古学研究所およびキルギス共和国国立科学アカデミーと共同で立ち上げた考古学調査団によって初めて報告された。

紀元前1世紀から15世紀まで、中国と西洋を結ぶ交易の大動脈だったシルクロードの重要拠点として繁栄したトル・アイグルは、15世紀初頭の大地震によって崩壊し、湖に消えた。キルギス側の責任者である研究者のヴァレリー・コルチェンコによると、当時すでにこの都市が放棄されていた可能性はあるが、地震後は人口構成が劇的に変化し、中世の定住者に代わって遊牧民族が移住してきたという。

また、ロシア科学アカデミーの研究員で調査団団長のマクシム・メンシコフによると、10世紀から13世紀にかけて、イシク・クル湖の周辺地域はテュルク系王朝であるカラハン朝の支配下にあったという。調査に関する声明でメンシコフはこう述べている。

「この地の人々の間には、中央〜北アジアに特有のテングリ崇拝、仏教、ネストリウス派キリスト教など、様々な信仰がありました。イスラム教は主に貴族階級や交易に従事する人々の宗教でした」

調査チームは湖の北西岸に近い水深約1~4メートルの4地点で発掘調査を行い、その1つからは焼成レンガ造りの建物の遺構や石臼、装飾が施された建築部材などが発見されている。こうした遺物が示唆するのは、建造物がモスクや浴場、あるいはイスラム教の学校であるマドラサのような公共の場所だった可能性だ。

そのほかにも、石と木を用いた建造物の遺構が見つかった。この木材のサンプルを分析することで、トル・アイグルを襲った大地震の発生時期を特定できるのではないかと期待されている。

別の地点では、イスラム教の墓地が発見された。墓の主はイスラム教の伝統に従い、右側を下にして顔と体がメッカの方角を向くよう埋葬されていた。イスラム教が中央アジアに広く普及したのは13世紀であることから、この墓地もその頃のものと見られる。今後はここで発掘された2人の遺骨を詳しく調べ、当時のトル・アイグルの人々がどのような暮らしをしていたのかを知る手がかりを得たいと研究者たちは考えている。

メンシコフによると、現地調査と並行して、同時代の中国の文献から見たこの地域の位置付けも研究されている。それによると、中国は同地域を支配下には置かなかったものの、関心を持っていたことが、特に唐王朝(618年~907年)時代に書かれた文献からうかがえるという。これについてメンシコフは、「歴史的資料と考古学的発掘調査の結果を関連付けるという意味で希望が持てる」と述べている。

さらに、3つ目の地点では中世の陶器が発見され、4つ目では円形と長方形の構造物の遺構が確認された。研究チームは今後の発掘でこれらの場所をさらに詳しく調査する計画だ。(翻訳:石井佳子)

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