なぜ世界は「UFO」を求めるのか──アートと映画が問い直す「他者」、そして想像力の限界
人間は「他者」をどう想像し、恐れ、あるいは排除してきたのか。映画からアート、さらにはホワイトハウスまでを席巻する「エイリアン」を入り口に、私たちが未知なる存在に投影してきた欲望と恐怖、その想像力の歴史と限界を探る。
世界はいま、本気で「信じたい」と願っているようだ。空を見上げれば、あの光の球体はついに現れた「来訪者(Visitors)」なのかもしれない。あるいは単に私たち自身が、空であれ、大地であれ、光であれ、目の前にあるあらゆるものを、自分たちを映し出す鏡へと変えているだけなのかもしれない。
最新のUFOブームは、映画界、ホワイトハウス、そして、ニューヨークのギャラリーシーンを席巻している。その先頭に立つのが、演出の名手にして私的なE.T.真相追求者でもあるスティーヴン・スピルバーグだ。彼の新作『ディスクロージャー・デイ』(2026)は、ネット上で何を言われようとも、間違いなくここ数十年で最高傑作と呼べる作品だ。
物語の主人公は、ともに地球外生命体の言語に接続できる、サイバーセキュリティ専門家(ジョシュ・オコナー)とカンザスシティのお天気お姉さん(エミリー・ブラント)。2人は、政府が一般市民に「未知との遭遇」の真実を隠蔽してきた陰謀を暴いていく。
冷ややかで気高く、そして、不当にけなされてきたこの作品は、まさに今という時代にふさわしいタイミングで登場した。
未知なる存在の脅威に魅了された私たち
一方で、私たちの多くは、「エイリアン」という存在の「脅威」にも反射的に取り憑かれてもいる。
今年5月、トランプ政権下のホワイトハウスは、その執着を制度化した。機密解除されたUFO文書を公開する大げさに盛り上げられたA24風のキャンペーンと、不法移民に対するICE主導の摘発・迫害を結びつけるウェブサイト「Aliens.gov」を立ち上げたのだ。
こうした息が止まるような国家的腐敗に対し、エミリー・ブラント演じるお天気お姉さんが見せる鋭い切り返し──喉と舌を鳴らし、エイリアンからの加工されていないメッセージをカンザスシティのニュース番組でアメリカ国民へ届ける場面──は、未知なるものに対する畏敬と好奇心に満ちた、実にスピルバーグらしい瞬間である。

さて、現在スイス・バーゼルの美術館、カルチャーシュティフツング・バーゼル H. ガイガー(Kulturstiftung Basel H. Geiger)では、クロエ・ワイズ(Chloe Wise)が新作のUFO映像作品を初公開している。出演者には、デラニー・ロウ(Delaney Rowe)、マルティーヌ・シムズ(Martine Syms)、ベン・アーラーズ(Ben Ahlers)、ルーカス・ブラヴォ(Lucas Bravo)らが名を連ねる。
そしてチェルシー・ホテルの一室では、映画監督ニコラス・ウィンディング・レフン(Nicolas Winding Refn)と日本のゲームクリエイター、小島秀夫のキュレーションによるUFOテーマの没入型展覧会「プラダ モード」が開催された(2026年6月3日〜7日)。
また、トライベッカ・フェスティバルの会場近くでは、目の大きなエイリアンが描かれたプラカードを掲げる若い男たちの一団が私の前を通り過ぎていった。そこには、「TAKE ME TO YOUR LEADER(お前たちのリーダーに会わせろ)」や「WE COME IN PEACE(われわれは平和のために来た)」と書かれていた。
人間の知覚の限界
それだけではない。現在マンハッタンでは、UFOを主題とする優れた展覧会がほかにも3つ開催されており、互いに共鳴し合っているのだ。
ダウンタウンのアンドリュー・エドリン・ギャラリー(Andrew Edlin Gallery)で開催されているカーラ・ナイト(Karla Knight)の展覧会では、奇妙で色彩豊かな絵画群が、人間味あふれる輝きを放っている。それらは「いま」という時代に寄り添いながらも、同時に距離を取る作品でもある。
作品は複雑に描き込まれ、不思議なオブジェのような姿をしている。脈打つように赤いマザーボードには、ナイトおなじみのオレンジ色の球体が埋め込まれ、海のように青いタペストリーには、暗号や惑星が散りばめられている。
《Watching for the Planets》(2025)は、情報を狂ったようにスキャンするよう私たちの視線を訓練してしまったスマートフォン時代にあって、見る者の目をゆっくりと減速させながら、その軌道へと引き込んでいく。
画面の端に目を向けると、「ASTRONOMY FOR EVERYBODY(すべての人のための天文学)」「PLANET—ANY WORLD THAT MOVES(惑星──動くあらゆる世界)」といったフレーズや、「SPACE BREAD(宇宙のパン)」、そして、不思議なほどあちこちに現れる「SHY TEETH(内気な歯)」といった魅惑的なケニング(合成語による隠喩的表現)が見つかる。
この最後の不可解な「SHY TEETH」という言葉に、ナイトの関心が現れている。つまり、人間の言語と、それが発音できないものを前にしたときのおしゃべりな無力さだ。
そのため、彼女のキャンバスの一部は独自の言語で描かれている。巨大な「他者」と、どうコミュニケーションを取るのか。答えは出ない。ナイトにおけるUFOブームとは、結局のところ、人間の知覚の限界を指し示しているのである。
UFOと植民地主義

この好奇心は、小さな地球全体を覆っている。
建築家であるタンディ・ロウエンソン博士(Dr. Thandi Loewenson)の、地味で目立たない展覧会へ足を運ぶと、まず耳に飛び込んでくるのは、20世紀後半に膨大な遭遇証言を収集したアフリカを代表するUFO研究家、シンシア・ハインド(Cynthia Hind)の声だ。
ストアフロント・フォー・アート・アンド・アーキテクチャーで開催されているこの展示で、ロウエンソンは、投影されたドローイングと延々と続く壁面テキストによって、それらの証言を収める枠組みを与えている。
薄暗い会場で全てを読み終えるには1時間以上かかる。しかし、UFO研究のなかでもほとんど語られてこなかった領域に深く潜る価値は十分にある。
そこでわかるのは、アフリカ諸国でハインドに報告された目撃談の多くが、植民地主義の境界線に沿って分断されているということだ。
ジンバブエの白人たちは、ロズウェル事件以降に世界化したおなじみのクリシェ──UFO、誘拐、奇跡的な来訪──に従って体験を語る。しかし彼らのエイリアンは、定番のグレーでも緑でもなく、黒い肌をしている(まさにここで鳴り響くのが、パブリック・エネミーの「Fear of a Black Planet」(1990)だ)。
一方、ローデシア時代を懐かしまない黒人のジンバブエ人たちは、「エイリアン」ではなく、祖先の「亡霊」と遭遇したと語る。彼らは、煉獄のような、居心地の悪い中間状態に存在する──この世ともあの世ともつかない、迷える魂なのだ。
スピルバーグの映画とロウエンソンの展覧会は、ともに、あの大きな目をしたエイリアン像を歴史化し、そのイメージ自体を問い直している。
『ディスクロージャー・デイ』の源泉

アップタウンのガゴシアンでは、エリザ・ダグラス(Eliza Douglas)の見事な展覧会「Ghosts」が開催されている。
彼女がオマージュを捧げるのは、現在のUFOブームを生み出した立役者とも言える調査報道記者──自身の叔母であるレスリー・キーン(Leslie Kean)だ。
キーンは、2017年にニューヨーク・タイムズに掲載された、国防総省の秘密UFO計画を暴露する記事の共同執筆者であり、その記事こそが、スピルバーグに何十年も温めていた『ディスクロージャー・デイ』の制作を決意させた。
ダグラスの「Ghosts」シリーズでは、キーンがすべての作品に登場する。それは、観客が歩み入り、そこから霊が払われるべき野原だ。
夜空を背景にキーン自身が撮影したセルフィーに、正体不明のイメージ群が重ねられ、さらにその上からダグラス自身の過去作が塗り重ねられている。
ぼやけた光の球体が、ポップアート風の「Shh!」の周囲を漂う。99セントショップ(編注:日本でいう100円ショップ)で売られていそうな安っぽいマービン・ザ・マーシャン(Marvin the Martian)風のキャラクターや、セーラームーンもキーンの近くを浮遊している。
だが私のお気に入りは、そうしたわかりやすいイメージが何ひとつ突出していない作品だ。そこにいるのは、サイケデリックな色彩に包まれ、アフロヘアが光輪のように広がるキーンだけ。私たちはUFOが現れるのを待つ。しかし、この絵に決定的な異変は見つからない。ただ、雰囲気(vibes)があるだけだ。
「心を向けよ」「聞け」「心せよ」
では、本当にエイリアンは存在するのだろうか。
少なくとも、私たちがそれを強く求めていることだけは確かだ。
スピルバーグに言わせれば、この広大な宇宙に私たちしか存在しないと考えること自体が傲慢なのだ。
そしてアーティストたちにとっては、地球外生命体がどのような姿をしているか、そのイメージや概念を人間がすでに把握していると考えることもまた、同じくらい傲慢だ。あるいは、エイリアンと遭遇するためには別の惑星へ行かなければならない、と考えることさえ。
私たちはずっと以前から〈他者〉と接触してきた。
そして、その〈他者〉は、『E.T.』のような存在でもなければ、メキシコ移民を怪物化した政治的な幻想でもない。
私たちにできるのは、『ディスクロージャー・デイ』のラストでエミリー・ブラントが発する、あの鳥肌が立つような最後の一言に従うことだけだ。それは永遠へと続く対話の、最初の言葉でもある。
その言葉は、「見ろ(look)」でも、「暴け(uncover)」でも、「追放しろ(deport)」でもない。
「心を向けよ」「聞け」「心せよ」──ごくシンプルに、「気にかけよ」。
ただ、それだけだ。(翻訳:編集部)
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