「みる」とは何か──「あたらしい目 ― モネと21世紀のアート」の現代アーティストたちが示す、異なる視点

光の移ろい、汚染された川、忘れられた死、つくられた自然。ポーラ美術館で開催中のモネ没後100年・開館25周年記念展「あたらしい目 ― モネと21世紀のアート」は、現代アーティストたちの作品との対話を通じて、モネが穏やかな水辺や睡蓮を通じてハックした「みる」という行為そのものを問い直す。

Installation view: The New Vision: Monet and the Contemporary Gaze, Pola Museum of Art, Hakone, 2026, Photo: Shu Nakagawa

1839年にダゲレオタイプ(銀板写真)が発表された際、フランスの画家ポール・ドラローシュは「今日を限りに絵画は死んだ」と言ったという逸話がある。風景をありのままに記録する技術の登場により、当時の画家たちは絵画の行く末を案じた。 しかし、絵画がその役割を終えることはなかった。むしろこの出来事が新たな表現を切り拓く画家たちの登場を促す契機となったのは周知の通りだ。

ダゲレオタイプ発表の翌年に生まれたクロード・モネもそのひとりだった。写真が世界を機械的に記録するのに対し、モネが提示したのは、個人の知覚を通して世界を再構築する視点。特に1890年代以降の彼の作品の多くは、戸外で光の変化を捉えつつもアトリエで加筆し仕上げられている。そこで彼が求めたのは、眼前に広がる光景の忠実な再現にとどまらない、知覚と記憶を通じた世界の再構成だった。

それからおよそ1世紀半。ポーラ美術館で開催中のモネ没後100年・開館25周年記念展「あたらしい目 ― モネと21世紀のアート」では、同館が収蔵するアジア最大規模のモネ・コレクション19点と、国内外18組の現代作家による表現が同じ空間に展示される。従来の美術史的な比較を離れ、作品同士の創造的な対話を起こすことを主眼に、わたしたちが世界を認識する根源的な行為である「みる」ことを問い直す試みだ。

同じ光を追えども

モネがそうだったように、現代の作家たちもまた、それぞれが扱うメディアを通じて「みる」という行為に向き合っている。

例えば、ニューヨークを拠点とする今坂庸二朗が用いるのは、19世紀の湿板写真と大判カメラ。これは被写体が放った光を、感光させたガラス板に直接焼き付ける古い技法だ。レンズで像を写し取るというより、光そのものを採集する装置と言うべきだろう。ルイジアナ州のバイユー(湿地帯)で強い日射しの瞬間を待ち、ガラスに光を定着させるその試みは、戸外で光の移ろいを数秒単位で追ったモネと、使う道具こそ違え同じ光をとらえようとしている。

モネと今坂が戸外で自然の光を採る者だとすれば、サンパウロを拠点とするルーカス・アルーダはその対極だ。アルーダが描くのは、特定の場所を持たない風景。アトリエにこもり、絵具のレイヤーを重ねては剥ぎ取る作業を繰り返して、記憶と内省のなかから連作《砂漠=モデル》を生み出した。

ルーカス・アルーダの《砂漠=モデル》(左)とモネの《セーヌ河の支流からみたアルジャントゥイユ》。Installation view: The New Vision: Monet and the Contemporary Gaze, Pola Museum of Art, Hakone, 2026, Photo: Shu Nakagawa ©Lucas Arruda Courtesy the artist, David Zwirner and Mendes Wood DM

光の下に潜むもの

モネが描く美しい風景の表層の奥には、しばしば近代社会の現実が潜んでいると言われる。例えば今回展示されている《花咲く堤、アルジャントゥイユ》(1877年)は、産業化により水質汚染が進むセーヌ河畔を舞台に、川辺の自然と工場の煙突を対比的に描いた作品だ。

本展でこの作品に並置されるのが、ホーチミンを拠点とするタオ・グエン・ファンの映像作品《堆積する》。彼女は2018年に起きたメコン河支流のダム決壊事故を題材とし、人為的な開発がもたらした生態系の破壊や植民地主義の痕跡を、史実と寓話を交えて表現している。産業化が進むパリ近郊の街を離れてヴェトゥイユへ移住したモネと、ファンが提示する現代の環境危機には、時代も場所も超えた共通の課題がある。

タオ・グエン・ファンの作品展示風景。Installation view: The New Vision: Monet and the Contemporary Gaze, Pola Museum of Art, Hakone, 2026, Photo: Shu Nakagawa Produced by the Han Nefkens Foundation Courtesy of the artist

モネがロンドン滞在中に制作した《国会議事堂、バラ色のシンフォニー》(1900年)では、モネが魅了されたバラ色に霞む大気が描かれる。しかし、それは下水の臭気と工場の煤煙が混ざり合った大気汚染の産物でもあった。同作とともに展示されるのが、ロニ・ホーンの《静かな水(テムズ川、例として)》。ホーンはテムズ河の水面を捉えた写真に、同河での自死に関する新聞記事や私的なテキストを脚注のように添えた。

モネの《国会議事堂、バラ色のシンフォニー》(左)とロニ・ホーンの《静かな水(テムズ川、例として)》(奥)Installation view: The New Vision: Monet and the Contemporary Gaze, Pola Museum of Art, Hakone, 2026, Photo: Shu Nakagawa

水面下に潜む死の記憶は、個人的な喪失のテーマにつながる。厳冬のヴェトゥイユで解氷するセーヌ河を描いたモネの《セーヌ河の日没、冬》には、妻カミーユを亡くした画家の悲哀と静寂が投影されている。

これに呼応するように配置されるのが、フェリックス・ゴンザレス=トレスのインスタレーションだ。青いキャンディをセーヌ河を流れる氷塊に、電球を用いた作品を沈む夕陽に見立てて展示している。キャンディの総重量は、亡くなった恋人や家族、身近な人々の体重と同じ。鑑賞者はそのキャンディを持ち帰れる。

じっと眺めていると、モネが描いた解氷するセーヌの氷と、少しずつ減っていくキャンディの塊がシンクロし、やがて愛する人が過去の存在となっていく悲しさや喪失感がじわりと心に沁みてくる。

フェリックス・ゴンザレス=トレス《「無題」(マルセル・ブリアンの肖像)》(手前)とモネの《セーヌ河の日没、冬》(奥)Installation view: The New Vision: Monet and the Contemporary Gaze, Pola Museum of Art, Hakone, 2026, Photo: Shu Nakagawa Courtesy of Felix Gonzalez-Torres Foundation

「人工の庭」をめぐって

 展覧会のなかでは、モネの代名詞とも言えるジヴェルニーの庭に焦点が当てられ、画家のもう一つの側面も現れる。環境の変化や喪失を描いた画家は、同時に自然環境をみずからつくりかえた人でもある。セーヌ河の支流から水を引き、睡蓮を植え、太鼓橋を架けた庭は、彼が理想を求めて築き上げた「人工の自然」だからだ。

この構築された庭と一緒に展示されているのは、フランスの作家ノエミ・グダルの「デルタ」シリーズ。古植物学者の協力を得て約3億年前の石炭紀の植生をジオラマで再現し、それを写真や映像に記録した。はるか昔の地球の姿を覗き見しているようであり、過去を想定して創作された架空の植物の姿でもあるこの作品は、目の前の風景が自然そのものか、あるいは構築されたイメージかを鑑賞者に問いかけている。

モネの《睡蓮の池》(左)とノエミ・グダルの「デルタ」シリーズ(右)。Installation view: The New Vision: Monet and the Contemporary Gaze, Pola Museum of Art, Hakone, 2026, Photo: Shu Nakagawa ©Noémie Goudal Courtesy of the artist and Edel Assanti

一方、プエルトリコを拠点とするアローラ&カルサディーラは、二つの作品──窓のない展示室に木漏れ日のような光が差し込む《半影(箱根)》と、床一面を5万個の手彩色の造花で埋め尽くす《接ぎ木》──で空間を構成している。これらの背景には、1940年代にフランスの亡命知識人たちが滞在したマルティニーク島アブサロンの谷の記憶や、植民地主義、気候変動によって変容したカリブ海の生態系の歴史がある。樹木のない空間に差し込む光と、根を持たない花々。別の場所から持ち込まれ、人為的に組み立てられたこの風景は、モネの庭が内包する人工性と共鳴しつつ、異なる土地の記憶を空間に重ね合わせている。

アローラ&カルサディーラの《接ぎ木》。Allora and Calzadilla, Graft, 2026, Pola Museum of Art, Installation view: The New Vision: Monet and the Contemporary Gaze, Pola Museum of Art, Hakone, 2026, Photo: Shu Nakagawa

また本展において特異な存在感を放つのが、ピエール・ユイグの作品だ。ジヴェルニーの睡蓮の池を水槽へと移植した《Nymphéas Transplant》などの作品で、モネの庭をひとつの生態系として表現してきたユイグ。今回展示されている《異系知性(淵)》は、モネが描いてきた水面のさらに下を想像させる作品だ。

本作は、ロダンの弟子である戸張孤雁の小像《淵》を元にした女性像の頭部を、生きたミツバチの巣で覆ったもの。突然現れる異形の者に、展示室を訪れる人は必ずや目を奪われるだろう。認識の器官が集まる頭部という人間の知性の象徴が、精緻な構造を持つハチの巣に覆われることで、鑑賞者の意識は人間以外の異系の知性へと向けられる。

存在自体の次に気になるのは、その視線が見つめる先だ。原作《淵》の少女が水面に手を触れる仕草を引き継ぎつつ、ユイグは水面下に広がる人間には知覚しきれない生態系や非人間の存在へと焦点を当てる。ここでは、風景が単なる観察の対象にとどまらず、絶えず変化し生成され続ける場として表現されているのだ。

ピエール・ユイグの《異系知性(淵)》。 Installation view: The New Vision: Monet and the Contemporary Gaze, Pola Museum of Art, Hakone, 2026, Photo: Shu Nakagawa

視覚の再構築

モネが提示した「あたらしい目」は、自らの知覚と記憶を通じて世界を再構築するという彼なりの応答だった。そして現在、現代の作家たちもまたその問いに取り組み、環境問題や人の死、記憶といった現代のテーマへと接続させている。視覚芸術がこの世界をどのように捉え直し、意味を更新していけるのか。本展は、それを探求する現在進行形の実践だ。


モネ没後100年・開館25周年記念 あたらしい目 ― モネと21世紀のアート
会期:2026年6月17日(水)〜2027年4月7日(水)
会場:ポーラ美術館(神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285)
休館日:会期中無休(12月1日は休館)

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