パルテノン神殿の「床の湾曲」は視覚補正ではなかった? 古代ギリシャ建築の定説覆す新研究

パルテノン神殿の床や柱に見られるわずかな湾曲は、目の錯覚を補正するための工夫だと長らく考えられてきた。だが、オックスフォード大学の数学者は、視覚補正とは別の理由があった可能性を示している。

パルテノン神殿を訪れる観光客たち。Photo: Nicolas Economou/NurPhoto via Getty Images
パルテノン神殿を訪れる観光客たち。Photo: Nicolas Economou/NurPhoto via Getty Images

年間およそ450万人が訪れるパルテノン神殿は、2000年以上にわたって人々を魅了してきた古典建築の傑作だ。柱や土台にわずかな曲線を加えることで、柱や床が歪んで見える錯覚を打ち消し、建物を直線的に見せる工夫が凝らされていたとされ、古代ギリシャ建築家の巧みな手腕が賞賛されてきた。

ところが、この通説を覆す研究結果が、学術誌『Royal Society Open Science』に掲載された。論文を執筆したオックスフォード大学の数学者、アラン・ゴリエリーは、こうした形状が視覚補正を目的としたものなのかを検証するため、柱や土台の湾曲を記録した19世紀の測定データと現代の計測結果を組み合わせ、パルテノン神殿の曲線を数理的に再構築した。その結果、そもそも補正の対象とされてきた錯視が生じることを裏付ける証拠はほとんどなく、仮に生じたとしても肉眼ではわからない程度だと結論づけている。

これまで提唱されてきた「視覚補正説」は、紀元前1世紀のローマ建築家、ウィトルウィウスに起源がある。神殿の湾曲や柱の膨らみは視覚的な錯覚を打ち消すためのものだと彼が記したのは、パルテノン神殿の完成から約400年後のことだった。この説明はその後、建築書に繰り返し引用されるうちに定説として定着した。

よく知られているのが、完全な水平ではなく、中央に向かっておよそ6センチメートル盛り上がった神殿の土台だ。ウィトルウィウスは、平らな土台が中央で沈んで見える錯視を防ぐための工夫だと説明している。この「沈み込み」の錯視については、これまで二つの説明が提示されてきた。一つは、長い水平線は自然と中央がたわんで見えるというものだが、ゴリエリーはこれを裏付ける証拠を見つけられなかった。

もう一つの説明は「ヘリング錯視」に基づくものだ。ヘリング錯視とは、平面上に描かれた平行線が、周囲の線の影響によって湾曲して見える現象を指す。ただし、こうした見え方が生じるのは、線同士が鋭角で交わる場合に限られる。パルテノン神殿の円柱はほぼ垂直で、この条件には当てはまらない。さらに、3次元の構造物で同じような錯視が生じる証拠はないと、ゴリエリーは指摘する。

ゴリエリーによれば、人間の目は、周囲に歪みを生じさせる要素がない限り、直線をそのまま直線として認識するという。実際にパルテノン神殿を訪れても、見る角度によって土台の上向きの湾曲がはっきり見えることもあれば、ほとんどわからないこともある。

土台だけでなく、円柱のわずかな膨らみについても、同様の説明がなされてきた。円柱の中央部がくびれて見える錯視を防ぐための工夫だという説だ。しかしゴリエリーは、実際にこうした錯視が起きるという証拠は見つかっていないと指摘する。パルテノン神殿の円柱の膨らみはわずか18ミリメートルで、通常の観覧距離では感知することがほとんどできないという。ゴリエリーは論文の中で、「パルテノン神殿の改良が光学的補正だったとする歴史的根拠は不十分で、科学的根拠に至っては皆無だ」と主張する。

では、こうした湾曲や膨らみにはどのような意図があったのだろうか。ゴリエリーによれば、土台の湾曲は雨水がたまることを防ぐための実用的な工夫だった可能性があるという。一方、円柱の膨らみは、古代ギリシャ人が単純にその形を美しいと感じていたのではないかと推測する。視覚補正説がこれほど長く語り継がれてきた理由は定かではないが、ゴリエリーは、古代ギリシャを卓越した知恵と創意工夫にあふれた文明とみなす一般的なイメージも、その一因ではないかと見ている。

学術論文としては珍しいことに、ゴリエリーは結びで、議論や推測からいったん離れ、実際の建物を自分の目で確かめてみるよう読者に呼びかけている。

「この論文を閉じて、外に出てみてほしい。街中には、水平・垂直の線がまっすぐ伸びる建物や、さまざまな高さに文字が刻まれた建物、新古典主義の円柱などがいくつも目に入るはずだ。建物は湾曲したり、たわんだりして見えるだろうか。円柱はまっすぐではなく、わずかに膨らんだり、くびれたりして見えるだろうか。自分自身の目を信じ、目にしたものを疑い、視覚補正の理論が成り立つのか、自分で判断してみてほしい」

あわせて読みたい