噴火後も300年間人々が暮らしていた? ポンペイで通説を覆す新発見

ポンペイは、西暦79年8月25日のヴェスヴィオ山の噴火により灰に埋もれ、18世紀に再発見されるまで、人々が住むことはなかったとされてきた。だがポンペイ考古学公園が行った最新の発掘調査により、生き残った人たちが5世紀まで生活していたことが分かった。

ポンペイ遺跡とヴェスヴィオ山。Photo: Getty images

ポンペイ考古学公園が行った最新の発掘調査で、ヴェスヴィオ山噴火後のポンペイで人々が再び生活していた事が分かったと8月6日に発表されたエルサレムポストが伝えた。

発表によると、新しい発掘区画で、噴火後、残された住居に少なくとも5世紀まで人々が暮らしていた痕跡が見つかった。人々は、火山灰で埋まった住居の破壊された2階部分から出入りし、地下となった1階部分にオーブンや臼を設置して台所や倉庫として使用していたようだ。

考古学者たちは、これらの住人は、他の場所で生活を立て直す手段を持たない被災者たちと、灰の下に埋もれた貴重品を見つけることを期待した移住者であったと考えている。

ポンペイの住居跡。2015年撮影。Photo: Wikimedia Comons

だが被災後のポンペイでは上下水道は破壊され、交易ルートも断たれており、新たな噴火に対する恐怖もつきまとった。ポンペイ考古学公園のガブリエル・ツヒトリーゲル園長は、当時の状況を「常に人口が変動する不安定な集合体、廃墟の中に生まれた一種のキャンプやファベーラ(ブラジルにおけるスラム街)のようなものでした」と説明した。公園の声明によると、人々の居住は5世紀まで続き、別の大規模噴火によって最終的に放棄されたという。

大災害前、ポンペイには約2万人が住んでいたが、火山噴火によって推定15~20パーセントが死亡した。1748年に発掘が開始されて以来、約1300人の犠牲者が確認される一方で、ほかの地方の碑文から生存者が存在したことも分かっている。22ヘクタールの遺跡の約3分の1は依然として埋もれたままだ。

今になってこの事実が明らかになったことについて、ツヒトリーゲルは声明で、「素晴らしく保存されたフレスコ画や無傷の調度品発見の盛り上がりの影で、ポンペイに再び住んだ人々のかすかな痕跡は除去され、しばしば何の記録もなく一掃されてしまったのでしょう。私たちは考古学的無意識で除去されたり消去されたり、あるいは表面上より重要に見える他の事物の影に隠れたままになっている全てについて、より広範な考察を促すべきなのです」とコメントした。

あわせて読みたい