古代都市ポンペイはどのように消え、いつ発見されたのか。「時が止まった」遺跡の謎を解く
ヴェスヴィオ火山の火砕流に飲み込まれ、一瞬にして灰の中に消えたポンペイ。古代の時間が閉じ込められたこの遺跡は、今も人々の好奇心を刺激してやまない。近年も次々と新事実が明らかになるポンペイの基礎知識をまとめた。

西暦79年にヴェスヴィオ火山が大噴火を起こしたとき、ナポリの南東約20キロにあるポンペイは活気あるリゾート地だった。この地に最初に定住したのはイタリア中部の古代民族オッシだが、噴火当時はローマ帝国に吸収され、その一部になっていた。
噴火による壊滅の悲劇を迎えるまで、ポンペイはローマ帝国のエリートたちの遊興地で、縦横に張り巡らされた石畳の道には商店やレストラン、浴場、売春宿が並び、2万人を収容したと言われる円形闘技場もあった。また、火山灰土壌に適したブドウやオリーブの主要な産地でもあった。
大災害はどのように起きたのか
ローマ帝政期の文筆家で政治家の小プリニウスは、噴火までの数日間、ポンペイ周辺では小さな地震が繰り返し発生していたと書き残している。しかし、この地域ではよくある現象だったため、1万から2万人いたとされる住民を不安がらせることはなかった。
運命的な大噴火でまずポンペイを襲ったのは、空中に吹き上げられた火山岩や火山灰だ。歴史学者によると、降り注ぐ灰や軽石に恐れをなした多くの住民がこの段階で街を逃げ出し、死を免れた者もいた。次に起きたのが火砕流(火山灰や岩塊、火山ガスなどが一体となって急速に流下する現象)で、研究者の推定ではこれで2000人以上が死亡したとされ、その半数以上が発掘で確認された。さらに最近の発掘と分析では、噴火と同時に大地震が起きた証拠が見つかったという。
18世紀にポンペイの遺跡が見つかったとき、驚くべき保存状態の良さに加え、灰の中から人の形の空洞が見つかったことが人々の想像力を大いにかきたてた(この現象はポンペイだけではなく、近隣のヘルクラネウムでも見られる)。ポンペイの発見によって一般の人々の間でも古代への関心が高まり、以来、その謎に満ちた魅力は芸術、文学、建築に多大な影響を与えている。
なぜポンペイは保存状態が良好なのか
激烈な火砕流により、ほんの数十秒のうちにポンペイは約6メートルもの深さの火山灰や火山噴出物などの堆積物で覆われた。火砕流はまるで写真のように街の姿をそのままにとどめ、運悪くその場にいた人たちを死に至らしめたと考えられる。

噴火が起きたのは夏か、秋か
ナポリ湾の対岸で噴火を目撃した小プリニウスは、西暦79年の8月24日に噴火が始まったと記録している。しかし、考古学的検証と火砕流の進路に影響したと考えられる季節風の分析から、噴火はそれより後に起きた可能性が示された。堆積物の中から秋に実る植物が枝についたまま見つかった一方で、夏季に収穫される作物は噴火当時にはすでに乾燥し、保存されていたことが分かっている。また、厚手の衣服と暖房用の火鉢が人骨とともに発見された。
さらに、2018年の発掘調査では、木炭で壁に書かれたばかりだったと思われる文章が見つかったが、そこに記されたのは10月の日付だった。これによって、発生した日に関する論争に終止符が打たれるかもしれない。
ポンペイは、いつ、誰が発見したのか
噴火後、ローマ皇帝ティトゥスは救助活動と埋没したものを保護するための警備を命じたが、掘り起こしの作業は道半ばで頓挫。時とともにポンペイは人々の記憶から消え、ついには単なる地図上の点になってしまった。
記録に残る最初の「発見」は1592年、イタリアの建築家ドメニコ・フォンタナが運河建設の最中に遺跡の一部を掘り当てたこととされる。しかし、正式な発掘の取り組みが始まったのは、ナポリ王カルロ(のちのスペイン王カルロス3世)の治世下にあった1748年のことだった。
そして、中世以来分裂していたイタリアの統一が進んだ1860年代、ジュゼッペ・フィオレッリ(1823ー1896)が初の大規模発掘に取りかかる。フィオレッリはそこで、火山灰の中に遺体によって作られた空洞を発見。噴火で死亡した人々の遺体はゆっくり腐敗し、分解されていったが、その周りの堆積物が死亡時の体の形で固まっていたため、結果として空洞ができたのだ。フィオレッリはここに石膏を流し込み、犠牲者の型を取って像を作った。幽霊のようなこれらの石膏像は、人々を一瞬にして飲み込んだ大災害の悲惨さを今に伝えている。

火山の噴火で破壊されたのはポンペイだけか
ポンペイ以外にも噴火で全滅、あるいは壊滅的な被害に見舞われた都市や集落がある。中でも、ポンペイより早い時期に発見され、保存状態も良いヘルクラネウム(人口約5000人)は広く知られている。保存状態が良い理由は、地中の湿度(ヘルクラネウムは海岸沿いにある)と、降り注いだ灰の種類、ポンペイの2倍を超える灰の量だという。
次にヴェスヴィオ山が噴火するのはいつか
活火山のヴェスヴィオ火山が最後に噴火したのは1944年。しかし、次の噴火がいつになるかの予知は簡単ではなく、今のところ異変が検知できるのは発生の直前だ。近年、火山学者たちはヴェスヴィオ火山より、ナポリの西方に広がる巨大なカルデラ盆地、カンピ・フレグレイ(フレグレイ平野)の地下にある巨大火山の活動に懸念を抱いている。この盆地にはナポリやその周辺の市町村があり、多数の住民が暮らしているからだ。 (翻訳:清水玲奈)
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