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人生で一度は訪れたい世界の遺跡ベスト24──ストーンヘンジ、ポンペイ、ピラミッド、三星堆etc.

世界各地に残る遺跡は、学術研究の対象として、そして人気の観光地として、人々の好奇心を刺激してやまない。人類共通の貴重な遺産でもある遺跡から、24の魅力ある古代都市や建造物などをピックアップした。

Photo: F. Schneider/picture-alliance/dpa/AP Images

古の文明を築いた人々の文化や慣習を映し出し、その社会構造や宗教観、生活様式を知るよすがとなる遺跡。その調査・発掘によって、そこに残されたものの歴史を辿るだけでなく、遺跡を築いた文明が時の流れの中でどう位置付けられるのかを解明できる。事実、これまで発見された数多くの遺物が今日の芸術や建築を予見させ、どの遺跡にも建造者の美意識や価値観を知る手がかりが残っている。

この記事でリストアップした遺跡のほとんどはユネスコの世界文化遺産に登録され、中には世界の七不思議とされているものもある。また、遺跡を築いた文明に関する唯一の手がかりである場合もあれば、古代の建造物の上に建設された現在のエルサレムのように、継続的に利用されてきた場所もある。

以下、世界で最も注目すべき24の遺跡の概要を紹介しよう。多くは一般公開されており、今日に至るまで歴史的・文化的な重要性を保ち続けている。

1. ストーンヘンジ(イギリス)

Photo: Ben Birchall/PA Wire

イギリスに数多くある「ヘンジ」(円形の土塁の内側に堀を巡らせた遺跡)の1つであるストーンヘンジは、巨石を並べた先史時代の遺跡だ。約5000年を経た今も残るこの構造物は、垂直に立てた巨石が円形に並べられた外側の部分と、馬蹄形に配置された内側の部分からなり、ところどころにそれより小さな石が散りばめられている。

民間伝承によれば、この石の構造物は巨人たちがアイルランドで組み立て、アーサー王伝説に登場する魔術師マーリンが魔法を使ってイギリスまで運んだという。また、デンマークからの侵略者によって建てられたという説や、ローマ時代の神殿跡という説もあるが、研究者の多くは新石器時代から青銅器時代にかけ、簡単な道具と限られた技術を用いて段階的に築かれたと考えている。

ストーンヘンジが何のために作られたのかはまだはっきりしないが、この遺跡を構成する巨石群は夏至と冬至の日の出の方向に合わせて配置されている。一番外側には、高さ約4メートル、幅約2.1メートル、重さ約25トンの縦長のサーセン石(砂岩の一種)が円形に並び、上に横長の石が乗っている。その内側にはブルーストーンが馬蹄形に配置され、いくつか並んだ垂直のサーセン石に横石が渡されている。

周囲から人骨が発見されていることから、ストーンヘンジは神聖な埋葬地、あるいは生贄を捧げる儀礼の場だった可能性が考えられる。ストーンヘンジとその周辺地域は、1986年に世界遺産に登録された(*1)。


*1 登録名は「ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群」。

2. 万里の長城(中国)

Photo: AP Photo/Ng Han Guan

秦の始皇帝によって紀元前3世紀に構想された万里の長城は、北方の騎馬民族の侵入を防ぐための要塞を連ねたものだ。土と石を組み合わせて作られた長大な万里の長城は、人類が手がけた最も野心的な建築プロジェクトの1つと言えるだろう。

土台部分の幅は約4.6メートルから約15メートル、高さはおよそ4.6メートルから9メートルと、大きさは場所によって異なり、上部には約3.7メートルの城壁や見張り台がある。万里の長城の建設は明代(1368-1644)に入ってからも続けられており、現在観光客が目にする保存状態の良い場所にはこの時代に修築されたものが多い。

総延長が2万キロを超える万里の長城は世界最大の軍事的建造物だが、それでも騎馬民族の攻撃には手を焼いたとされる。世界遺産には1987年に登録された。

3. チチェン・イッツァ(メキシコ)

Photo: AP Photo/Eduardo Verdugo

メキシコのユカタン半島北部にあるマヤ文明の遺跡、チェチェン・イッツァは、後古典期マヤ(900~1100年頃)最大の遺跡で、最盛期には約4平方キロメートルの面積に5万人の住民がいたとされる。

この遺跡で最も有名なのが「エル・カスティーヨ」と呼ばれる階段状のピラミッドだ(ククルカンの神殿とも呼ばれる)。12世紀から19世紀にかけて建設されたこのピラミッドは、羽を持つ蛇の姿をしたマヤの最高神ククルカンを祀る神殿で、春分と秋分の日に階段に落ちる影がククルカンの降臨を思わせる。チチェン・イッツァは、1988年に世界遺産に登録された。

4. ギザの大スフィンクス(エジプト)

Photo: F. Schneider/picture-alliance/dpa/AP Images

エジプト・ナイル川沿いのギザ高原にある石灰岩の大スフィンクスは、人間の頭とライオンの体を持つエジプト神話の生き物だ。東を向いて地面に伏している様子を表したこの像は、紀元前3千年紀、カフラー王が自らの墓として建てたピラミッドを守るため、自分に似せて作ったと見られている。今から約4500年前に完成し、高さが約20メートル、長さが約73メートルあるスフィンクスは、一枚岩から掘り出された像としては世界最大とされる。

5. ギザの大ピラミッド(エジプト)

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スフィンクスと同じくカイロ郊外のギザ高原にあり、古代エジプトを象徴する建造物がギザのピラミッドだ。全部で3つあるピラミッドは複雑な造りの埋葬施設で、紀元前2550年から紀元前2490年の間にクフ王、カフラー王、メンカウラー王によって建てられた。

神として生まれ変わると信じていた王たちは、来世で必要な品々を納める神殿やピラミッド型の墳墓を建設。それぞれのピラミッドは、宮殿や神殿、ファラオの魂を原初の海へと送り届けるための木造船のパーツを収めた石坑などから構成される巨大複合施設の一部だった。同じエリアには、このほかにも小さな神殿や集落の遺跡がある。ギザのピラミッド群は、スフィンクスなどとともに1979年に世界遺産に登録された(*2)。


*2 登録名は「メンフィスとその墓地遺跡 – ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」。

6. アテネのアクロポリス(ギリシャ)

Photo: AP Photo/Thanassis Stavrakis

パルテノン神殿、プロピュライア(神殿に通じる門)、エレクテイオン神殿、ディオニュソス劇場、アテナ・ニケ神殿など、21の建造物や像で構成されるアテネのアクロポリスは、古代ギリシャの黄金時代に造られた最高の建築と言えるだろう。

古代ギリシャ語で「高い丘の上の都市」を意味するアクロポリスの主要部分は、ギリシャの政治家・将官だったペリクレスの指揮の下、海抜約156メートルの岩の上に建てられた。紀元前6世紀頃から始まり、紀元前400年代頃まで続いた建設には古典時代のさまざまな形式や様式が用いられ、その後2000年以上にわたって文化芸術や建築に広く影響を与えている。

聖なる区域とされたアクロポリスは、数々の有名な神話の舞台や宗教的な祭事の中心となってきた。しかし、長い年月の間に老朽化し、自然災害、汚染、戦争による劣化が進んだ建造物は、これまで何度か大規模な修復を経ている。

(15世紀半ばからアテネを支配していたオスマン帝国によって)火薬庫として使用されていたパルテノン神殿は、大トルコ戦争中の1687年に砲弾を受けて爆発し、焼け落ちた。また、1820年代のギリシャ独立戦争でも要塞として使用され、甚大な被害を受けている。1833年以来、考古学遺跡として管理・運営されているアテネのアクロポリスは、1987年に世界遺産に登録された。

7. ペトラ(ヨルダン)

Photo: Jürgen Schwenkenbecher/picture-alliance/dpa/AP Images

「バラ色の都」の異名を持つペトラは、ヨルダンの砂漠地帯にあるピンク色の砂岩を削って建設された。紀元前2世紀頃からナバテア王国の首都として乳香、没薬、香辛料の交易で拡大し、その後ローマ帝国の一部となり、4世紀の大地震で大部分が破壊されるまで繁栄を続けた。

地震の被害に加えて、交易の主要ルートが陸上から海上に切り替わったためにペトラは放棄され、その後、1812年にスイスの探検家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトが再発見するまで、何世紀にもわたって無人のままだった。

居住に適さない厳しい環境にあったペトラは、いくつもの貯水槽を作ることで繁栄が可能になったとされる。遺跡の入り口近くにはギリシャ風のファサードを持つ高さ約45メートルのエル・ハズネ(宝物殿)があり、1989年に公開された映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のロケ地として使用されたことでも知られる。また、崖に彫られた王家の墓も一見の価値がある。ペトラ遺跡は1985年に世界遺産に登録された。

8. コロッセオ(イタリア)

Photo: AP Photo

古代ローマの詩人ユウェナリスは、ローマ市民が「パンとサーカス」などで容易く懐柔されていると風刺したが、この記述をそのまま反映した娯楽施設がコロッセオだ。紀元72年、ローマ皇帝ウェスパシアヌスは、珍奇な動物、囚人の処刑、有名な戦の再現や剣闘士の戦いなどの見せ物が楽しめる施設として、現在コロッセオとして知られるフラウィウス円形闘技場の建設を開始。息子ティトゥスの代となった80年に完成し、約500年間にわたり使用された。

ローマの中心部に位置する世界最大の円形闘技場コロッセオは、長径約188メートル、短径約156メートル、高さは約48メートルある。闘技場として使用されていた頃は、観客を日差しから守るためにカンバス地の天幕が張られていたとされる。また、中心部には厚板が張られ、その下に機械や檻のほか、現在では剥き出しになっている地下トンネルなどが隠されていた。

6世紀に使用されなくなって以来、コロッセオは略奪や地震、そして第2次世界大戦の爆撃に見舞われ、かなりの部分が破損して内部構造が剥き出しになっている。だが2000年以上の歴史を持つこの建物は、永遠の都ローマのシンボルとして今も健在だ。コロッセオは1980年に世界遺産に登録され(*3)、2007年7月には「新・世界七不思議」の1つに選ばれている。


*3 登録名は「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」。

9. アンコール(カンボジア)

Photo: Kike Calvo via AP Images

ヒンドゥー教や仏教の精緻な寺院で知られる古代の巨大都市アンコールは、産業革命以前の都市としては世界最大で、100万人以上の人口を擁していたとされる。現在のカンボジアにあるアンコールは800年頃から始まったクメール朝の首都として繁栄し、12世紀にはスーリヤヴァルマン2世によってアンコール・ワット(寺院)が造営された。

アンコールの繁栄を支えたのは、当時の世界では類を見ない高度な治水システムだ。運河、貯水池などが整備され、水が常時使える給水設備が利用されていた。しかし15世紀になると外敵の侵略を受け、この都市は放棄された。

人間でもあり、神でもあると信じられていたクメールの王たちは、神と関係を取り結ぶため、それぞれが寺院を建立している。一帯には円錐形の塔が連なる印象的なシルエットで有名なアンコール・ワットや、祠や塔に彫られた人面像で知られるバイヨンなど、数十もの遺跡や寺院がある。住人たちが都市を放棄した後も仏教寺院として利用され続けたアンコール・ワットを含むアンコールの遺跡群は、1992年に世界遺産に登録された。

10. マチュピチュ(ペルー)

Photo: Tino Plunert/picture-alliance/dpa/AP Images

ペルーのアンデス山脈にある4つの聖なる峰の間に位置する都市遺跡マチュピチュは、インカ帝国の皇帝パチャクティによって1450年頃から建設が始まったと考えられている。城塞の内側には、宮殿や神殿など何百もの建物、そして複雑な水道設備があった。

標高2400メートルを超える尾根に位置するマチュピチュは、1530年代にスペイン人がインカ帝国に攻め入った際にも侵略を免れた。しかし、インカ帝国が征服された後は廃墟となり、1911年にイェール大学の考古学者ハイラム・ビンガムによって発見されるまで人知れず放置されていた。マチュピチュの歴史保護区は1983年に世界遺産に登録された。

11. 秦始皇帝陵(中国)

Photo: AP Photo/Sergey Ponomarev

中国・西安市の北東約30キロメートル離れた場所に、中国を統一した最初の皇帝で、紀元前221年から11年後に死去するまで独裁権力をほしいままにした秦の始皇帝の墓がある。

陵墓の上にはピラミッド型の墳丘があり、その外周は約1.6キロメートル、高さは約50メートル(元は122メートルほど)ある。地下の宮殿には水銀の川が流れ、真珠を使った太陽や月、星座などの宇宙が描かれているとされる。

また、陵墓の東、約1.5キロの場所からは等身大の兵士や馬を陶器で再現した兵馬俑が発見されている。この兵馬俑は、現世では墓を守り、来世では生まれ変わった皇帝に仕えると考えられていた。未発掘のものも含めて、兵馬俑は全部で8000体ほどあると推定されているが、全て表情や服装が異なる。秦始皇帝陵と兵馬俑坑は、1987年に世界遺産に登録された。

12. テオティワカン(メキシコ)

Photo: AP Photo

紀元前2世紀から6世紀頃までメキシコ中央高原で繁栄したテオティワカンは、スペイン人による征服以前に栄えた古代メソアメリカ文明最大級の宗教都市で、最盛期の人口は最大20万人に上ったとされる。

この遺跡の有名な太陽のピラミッドや月のピラミッドは、メソアメリカの宇宙観を表すと考えられている。また、羽毛の生えた蛇の石彫で覆われた神殿からは、生贄として捧げられと見られる人骨が発見された。古代都市テオティワカンは、1987年に世界遺産に登録されている。

13. ウルのジッグラト(イラク)

Photo: AP Photo/Maya Alleruzzo

現在のイラクに位置するウルのジッグラト(聖塔)は、紀元前2000年頃に古代メソポタミアのシュメール人によって都市国家ウルの近くに建造された。シュメール人は、紀元前3000年代頃に都市文明を生み出し、楔形文字を発明し、法典や青銅器などの文化を残したことで知られている。

ジッグラトは階段ピラミッドの形状をした巨大な建造物で、古代メソポタミアでは天と地を結びつけ、そこで人間が神々と交流できると信じられていた。ちなみに、旧約聖書に登場するバベルの塔はジッグラトのことだと考えられている。

月と知恵の神ナンナに捧げられたウルのジッグラトは、いくつもの王朝が興亡を繰り返す中で何度も再建された。最後の再建が行われたのは新バビロニア王ナボニドゥスの時代だが、ナボニドゥスは紀元前539年にアケメネス朝ペルシアに滅ぼされた。今に残るウルのジッグラトは、現存するシュメール建築の最高傑作の1つとされる。2016年、この地はアフワール(*4)の一部として世界遺産に登録された。


*4 登録名は「イラク南部のアフワール(湿地帯):生物多様性の保護地とメソポタミア都市群の残存景観」。

14. ポンペイ(イタリア)

Photo: Lena Klimkeit/picture-alliance/dpa/AP Images

イタリアのナポリ近郊にあったポンペイは、紀元79年のヴェスヴィオ火山の大噴火で一瞬にして火砕流に覆われた。火山灰の下に埋もれ、時が止まったままになったこの古代ローマ都市は、当時の貴族や平民の暮らしぶりを知る貴重な手がかりとなっている。

ポンペイが再発見されたのは1748年。その後の発掘で街路や家屋、食料、宝石、彫刻、フレスコ画、生活用品、動物や人間の遺骨など、大量の遺物が良好な保存状態で見つかった。噴火当時のポンペイにはおよそ1万2000人が住んでいたと推定されている。

ヴェスヴィオ火山から10キロほど離れていたポンペイには、豪華な邸宅やヴィラが立ち並び、2万人を収容したとされる円形闘技場、小さな工場や職人工房、居酒屋やカフェ、売春宿や公衆浴場などがあった。この遺跡最大の邸宅であるファウヌスの家のモザイク、秘儀荘のフレスコ画、アポロ神殿、売春宿跡、ヴェッティの家と言われる富豪の邸宅、そしてポンペイの中心となっていた広場フォロなどが見どころとされる。ポンペイは、1997年に世界遺産に登録された(*5)。


*5 登録名は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」。

15. ラリベラの岩窟教会群(エチオピア)

Photo: AP Photo/Jenny Barchfield

4世紀にキリスト教が伝来したエチオピアでは、12世紀に巡礼の地であるエルサレムがイスラム教徒の支配下に入ったため、ラリベラ王(1181年〜1221年)が「第二のエルサレム」建設を構想。現在のエチオピア北部の高原に、岩を掘り下げた11カ所の聖堂が24年の月日をかけて作られた。

巨大な一枚岩をくり抜き、彫刻を施された聖堂の独特な構造は他に例がなく、世界の石造建築史上でも重要性が高いとされる。岩窟教会群には大規模な排水システムが存在していたほか、建物をつなぐ儀式用の通路に隠者の洞窟や地下墓地に通じる開口部が設けられていた。また、内部に壁画のある建造物もある。

11の聖堂のうち、5つの通路があるベテ・マドハネ・アレム(聖救世主教会)は世界最大の岩窟教会とされ、ベテ・ギョルギス(聖ゲオルギウス聖堂)はギリシャ十字の形状で知られる。研究者によると、ベテ・ガブリエル・ルファエル(ガブリエル・ラファエル聖堂)は王宮として使われていた可能性があるという。ラリベラの岩窟教会群は1978年に世界遺産に登録された。

16. クリフパレス(アメリカ)

Photo: AP Photo/Beth J. Harpaz, File

アメリカ・コロラド州のメサ・ヴェルデ国立公園には多数の断崖住居がある。その中で最大のものはクリフパレス(断崖宮殿)と呼ばれ、150を超える部屋と23のキヴァ(円形の儀式用地下室)がある。およそ900年前、この地はアナサジ族(古代プエブロ人)の中心的な集落だった。

クリフパレスは建造されてから150年〜200年後に、深刻な干ばつのため放棄されたと考えられている。再発見されたのは1888年、牧場主のリチャード・ウェザリルとチャーリー・メイソンが、いなくなった家畜を探していたときのことだった。その後1800年代末から1900年代初頭にかけ、この遺跡は略奪者や観光客によって荒らされてしまったが、現在はアメリカ連邦政府の保護下にある。1978年にメサ・ヴェルデ国立公園として世界遺産に登録された。

17. カラル(ペルー)

Photo: Richard Hirano El Comercio/AP

カラルはペルー最大級の遺跡で、広さは約67ヘクタール。そこに6つのピラミッド(最大のものは建造当時の高さ約21メートル)や広場、大規模な建築物などがあった。

後のアンデス文明の先駆けとなったカラルは、約5000年前頃から現在のリマの北方にあるスーペ谷に建設された。この地域は、インダス川流域やエジプト、メソポタミアと並ぶ最古の文明が発展した地域の1つとされ、最大3000人が居住していたと考えられている。カラル遺跡は2009年に世界遺産に登録された(*6)。


*6 登録名は「神聖都市カラル=スーペ(カラル遺跡)」。

18. エルサレム(遺産保有国は明記されない)

Photo: AP Photo/Sebastian Scheiner

アブラハムの三大宗教と言われるユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地であるエルサレムは、地中海と死海のあるヨルダン地溝帯に挟まれた丘陵に位置し、街の西側にはユダヤ人、東側には主にパレスチナ人が居住する複雑な環境にある。

5000年の歴史を持つエルサレムの遺跡の一部はすでに発掘されたものの、残りの発掘作業は難航している。エルサレムが現在も発展を続ける大都市であることに加え、社会、政治、宗教上の対立が引き起こされかねないからだ。これまでに発見された主な遺跡には、紀元前8世紀頃の城壁やダビデの塔、古代の市場などがある。エルサレムの旧市街と城壁群は1981年に世界遺産に登録された(1982年危機遺産登録)。

19. モヘンジョ・ダロ(パキスタン)

Photo: Saqib Qayyum

「死者の丘」を意味するモヘンジョ・ダロは、現在のパキスタン・シンド州に位置する。紀元前2500年前後にインダス川下流域に建設されたレンガ造りの大都市で、人口はおよそ4万人だったと見られている。

上流域のハラッパー遺跡と並ぶインダス文明の大規模遺跡であるモヘンジョ・ダロには、規格化された泥レンガや格子状の街路のほか、水洗トイレ、貯水槽、大沐浴場、屋根付きの排水溝など高度な給排水システムが存在した。遺跡は1920年代初頭に発見され、1980年代に大規模な発掘と復元が行われている。モヘンジョ・ダロの考古遺跡は、1980年に世界遺産に登録された。

20. スカラ・ブレイ(イギリス)

Photo: AP Photo/Naomi Koppel

イギリス・スコットランドのオークニー諸島最大の島、メインランド島の海岸沿いに位置するスカラ・ブレイは、ストーンヘンジやギザのピラミッドよりも古い時代にできた石造りの集落だ。新石器時代にあたる約5000年前に定住が始まったとされ、寝台や棚、排水設備、トイレなどを備えた石造りの住居が残っているほか、溝を彫って模様をつけた土器やさまざまな石器、壁に刻まれたルーン文字なども発見された。

スカラ・ブレイには、約600年にわたって狩猟採集を行う共同体の集落があったが、紀元前2500年頃に放棄されている。石造集落の遺跡は1850年に発見されたが、1920年代に発掘調査が始まるまで盗掘し放題の状態だった。

発掘が開始されて以来、スカラ・ブレイはポップ・カルチャーに影響を与えている。アイルランドで伝統音楽グループ「スカラ・ブレイ」が結成されたほか、RPGゲームにも登場。2008年の映画『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』でも、この遺跡の名前が挙げられている。スカラ・ブレイは、オークニー諸島の新石器時代遺跡中心地として1999年に世界遺産に登録された。

21. アレクサンドリア(エジプト)

Photo: AP Photo/Jim Becker

エジプト北部の地中海に面した古代の港湾都市アレクサンドリアは、シリアを征服したのちエジプトを占領したアレクサンドロス大王によって、紀元前331年に建設された。元はラコティスという名の小さな漁村だったが、やがて発展してプトレマイオス朝エジプトの首都となり、古代アテネに匹敵する学問の中心地として知られるまでになった。

ヘレニズム文化の中心地として繁栄を極め、ローマ時代を経て初期キリスト教の拠点の1つとなったアレクサンドリアには、古代世界の七不思議とされるアレクサンドリアの大灯台や、古代世界最大規模のアレクサンドリア図書館が存在していた。7世紀にイスラム勢力がエジプトに侵攻すると一時衰退したが、のちに経済都市として復活している。

22. アルタミラ洞窟(スペイン)

Photo: Yvon Fruneau

アルタミラ洞窟は、スペイン・カンタブリア州サンティジャーナ・デル・マル近郊に位置する。全長約270メートルの入り組んだ洞窟からは、先史時代の壁画が数多く見つかった。そのほとんどは天井にあり、この地域に生息していた動物や人間の手指の輪郭などが、木炭や赤、黄、茶色の顔料で描かれている。また、遺跡では装飾骨角器や石器などの遺物も発見された。

曲がりくねった洞窟の奥深くに描かれていたため、壁画は気候変動の影響を免れた。そのため保存状態は非常に良好で、旧石器時代の生活を鮮明な絵から垣間見ることができる。洞窟内で発見された遺物の年代測定から、それらが主にソリュートレ文化(約2万1000年前〜1万7000年前)とマドレーヌ文化(約1万7000年〜1万1000年前)で使われていたと考えられている。

洞窟は落石によって入り口が閉ざされていたが、19世紀になって発見された。世界遺産には1985年に登録されている(*7)。


*7 登録名は「アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器洞窟美術」。

23. 三星堆(中国)

Photo: Imaginechina via AP Images

青銅器文明の大規模遺跡である三星堆(さんせいたい)は、現在の中国四川省に位置している。1927年、灌漑用水路の浚渫作業を行っていた農民が古代の玉器を見つけたのが発掘のきっかけとなった。また、1986年には建設作業員が2つの祭祀(さいし)坑を発見。そこから紀元前1800年頃の玉器、骨、陶器、象牙、青銅器が出土している。

この祭祀坑の発掘は重要性の高い発見につながり、現在も専門家による調査・発掘作業が続けられている。2021年だけでも、金製の仮面やヒスイ、青銅製の箱や祭壇、その他さまざまな青銅製の物品など貴重な遺物が見つかった。

24. カルタゴ(チュニジア)

Photo: Natalia Seliverstova/Sputnik via AP

カルタゴは、紀元前9世紀に海洋民族のフェニキア人が建設した都市国家で、現在のチュニス近郊にあたるチュニジア湾岸の地域にあった。その後、地中海交易で覇権を握ったカルタゴは商業帝国へと発展。紀元前3世紀から3回にわたりローマとの間で行われたポエニ戦争では、カルタゴのハンニバルがローマ軍を破ったこともあったが、紀元前146年に勝利を収めたローマがカルタゴを破壊し、その上に都市を再建した。

カルタゴは、フェニキア人、ローマ人、初期キリスト教徒、アラブ人などが行き交う文化の中心地でもあった。また、オペラ「ディドとエネアス」の舞台であり、ハンニバル、航海者ハンノ、農業研究家マゴなど、さまざまなカルタゴ出身の人物がのちの文学作品などに登場している。

ローマの都市計画で作り変えられたカルタゴに残る古代の痕跡はあまり多くないが、ビュルサの丘、古代の商業港・軍港跡、トフェト(子どもの埋葬地)、アントニヌス浴場、マルガ貯水池などの見どころがある。カルタゴ遺跡は、1979年に世界遺産に登録された。(翻訳:野澤朋代、清水玲奈)

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