ポンペイの家族を襲った悲劇が明らかに。ドアをベッドで封鎖し最期まで抵抗を試みる
79年8月、ヴェスヴィオ火山の噴火による火砕流に襲われた古代都市ポンペイ。突然の災害から最期の瞬間まで生き延びようと試みた1つの家族の物語が新しい調査で明らかになった。

考古学者たちがポンペイ遺跡にある「ヘレとフリクソスの家」を調査したところ、小さな寝室から子ども1人を含む4人の遺骨が見つかり、ドアをベッドで封鎖した痕跡があったとポンペイ発掘調査オンラインジャーナルで発表された。
2018年に発見された「ヘレとフリクソスの家」は、広い玄関ホールと雨水貯水槽を備えた中庭、壁が豪華に装飾された食堂、寝室からなる中流階級の住居だ。食堂からは、翼のある牡羊に乗って逃亡を試みた兄妹の難民の物語であるヘレとフリクソスの神話画が見つかっており、そこからこの住居の名前が付けられている。
考古学者たちが住居の寝室を新たに調査したところ、子ども1人を含む4人の遺骨と、ドア付近の固まった灰の中からベッドの木製フレームの形を特定した。住人はドアにベッドを立てかけて、中庭から入り込む火山石の破片を防ごうとしたと考えられる。ポンペイ考古学公園のガブリエル・ツフトリーゲル館長は声明で、噴火時の様子を次のように説明した。
「噴火の時に起こった地震の衝撃によって、すでに多くの建物が倒壊していました。その中でこの美しく装飾された小さな家では、住人が自らの命を救おうと寝室に集まり、入り口をベッドで塞ぎました。ですがその後、非常に高温の火砕流が急激に襲ってあらゆる部屋を埋め尽くしたのです」
また、寝室からは子どもが身につけていたと思われる青銅のお守りも見つかった。これは古代ローマで市民権を得るまでの成長の証として男児に与えられていたものだ。そのほか食料貯蔵庫からは、ガルム(古代ローマの魚醤)の保存に使われた陶器のアンフォラと青銅の調理器具一式も発掘された。
今回の発見を受けて、ツフトリーゲル館長は次のようにコメントした。
「ポンペイを発掘し、訪れることは、芸術の美しさと、私たち全ての生命の脆さと向き合うことです」
ヴェスヴィオ火山の噴火により、2万人いたとされるポンペイ市民のうち2000人以上が命を落とした。遺跡は1997年に世界遺産に認定されるが、発掘された箇所が雨風にさらされたことによる破損が相次いだ。それを受けて2013年にユネスコが危機遺産に登録すると警告して以来、大規模な保存作業が進められている。(翻訳:編集部)
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