草間彌生、最晩年の未公開インタビュー:「残された時間はますます短い。それでも未踏の高みを目指したい」

70年以上にわたって制作活動を続けた草間彌生が大ブレイクしたのは2010年代。その後、世界各地で大規模展が行われてきた草間の回顧展が、昨秋からヨーロッパを巡回している。それに先駆けて行われた貴重な未公開のインタビューをお届けする。

2010年のあいちトリエンナーレに出品した《Yellow Tree / Living Room》の中でポーズをとる草間彌生。Photo: ©Yayoi Kusama/Courtesy Ota Fine Arts and David Zwirner

8月14日に死去した草間彌生は、世界で最も有名なアーティストの1人だった。彼女が美術館ギャラリーの枠をはるかに超えて広く人々の心を掴んだ理由は、その作品の魅力のみならず、自身を取り囲む世界に対する独自の捉え方にあった。

草間作品の中で最も親しまれてきたシリーズ「無限の鏡の間(Infinity Mirror Room)」は、鑑賞者の目を眩ませ、知覚を拡張させ、純粋な美と驚きに満ちた果てしない深淵へと引き込む宝石箱のようなインスタレーションだ。

「自己消滅」の感覚

このシリーズの最初の作品、《無限の鏡の間──ファルスの原野》が制作されたのは1965年だが、それに続くさまざまなインスタレーションで草間の名が世界的に知られるようになったのは、数十年後の2010年代に入ってからだった。契機となったのは2012年にテート・モダンで開催された回顧展だ。インスタグラムの人気が上昇し始めていた絶好のタイミング(編注:当時のFacebookが約10億ドルでインスタグラムを買収すると発表したのは同年の4月)で開幕された展覧会の間、来場者はこぞって「無限の鏡の間」の幻惑的な写真を投稿した。

草間は一夜にしてアート界のスター、さらには世界的なアイコンとなった。人々は「無限の鏡の間」にほんの数秒間立つためだけに列をなしたが、それは今も変わらない。そして2017年、ワシントンD.C.ハーシュホーン博物館と彫刻の庭が企画した「Yayoi Kusama: Infinity Mirrors(草間彌生:無限の鏡)」展によって彼女の名声はさらに高まった。シアトル、ロサンゼルス、トロント、クリーブランド、アトランタを巡回したこの展覧会では、同シリーズの奥深さとともに、自身の内面世界を鑑賞者に投影できる草間のアーティストとしての力が示された。

しかし、瞬く間に有名になった「無限の鏡の間」は、あまりの人気のゆえに厳しい目にもさらされた。そのとき、このシリーズ以外にも草間が幅広い創作活動をしてきたことを伝えようと奔走したのが、香港の現代美術館「M+」のドリュン・チョンとインディペンデントキュレーターの吉竹美香だ。

彼らが企画した回顧展「Yayoi Kusama: 1945 to Now(草間彌生:1945年から現在)」が、M+で開催されたのは2022年。同展は、草間が1957年にアメリカへ向かう飛行機から見た太平洋に着想を得て制作した最初期の絵画シリーズ「インフィニティ・ネット(無限の網の目)」や、60年代のニューヨーク・ダウンタウンでの革新的なハプニング、ファッションブランドとのコラボレーションから近年の作品に至るまで、長きにわたる創作の軌跡をたどるものだった。

この展覧会はまた、草間が掲げていた「自己消滅」の感覚のラディカルさにも光を当てていた。M+のアシスタントキュレーター、カリー・ウーの解説によると、無限の宇宙に入っていくために、人間は「崇高な自然と溶け合い、あらゆるものを観察し、自己が有限な存在でありながらも他者と一体で相互につながっていることを自覚しなければならない。そうすることで初めて、愛と平等の中での再生が可能になる」という。

以下の書面によるインタビューは、最新の巡回展の開幕に先駆けて、会場となる各美術館の代表者によって2025年9月に行われた。巡回展はスイス・バーゼルのバイエラー財団美術館(2025年10月~2026年1月)を皮切りに、ドイツ・ケルンのルートヴィヒ美術館(2026年3月~8月)を経て、9月11日からアムステルダム市立美術館で行われている(2027年1月17日迄)。

なお、来春には草間の所属ギャラリーであるデイヴィッド・ツヴィルナーニューヨークの拠点で、最晩年の作品を集めた個展が開かれる。

作品制作は「真理の探究」のため

──近頃は何に想像力を刺激されますか?

さまざまな考えやイメージが、絶え間なく意識の中に湧き上がってきます。それらを描かずにはいられないのです。

草間彌生《The Hope of the Polka Dots Buried in Infinity Will Eternally Cover the Universe》(2025) Photo: ©Yayoi Kusama/Photo Peter Tijhuis

──創作に没入するための儀式や習慣、環境などはありますか?

私は芸術のために生きています。ただそれだけで、日常生活と仕事に区別はありません。

──創作の過程で最も大きな喜びや驚きを感じる点は?

私は常に、作品制作を「真理の探求」として捉えてきました。アーティストとして、尊厳や活力、人間性といった要素を全ての作品に内包させようと努めています。良い作品を完成させた時は、いつも喜びを感じます。

──連続するパターンやインスタレーションなど、あなたの作品の多くは無限を感じさせますが、作品の完成はどう判断するのですか?

私の作品は、10歳の頃から「生の証」として貫いてきた哲学を表現するものです。

──作品について、人々に理解してほしいのになかなか伝わらないと感じる点はありますか?

私は芸術を通じてあらゆる人々とつながり、愛と平和という自分の理想を追求しています。独自に展開してきた芸術運動「草間イズム」は何十年もの間、世界中の人々に愛され、その関心と心からの賛同を集めてきました。

芸術の分野で未踏の高みを目指したい

──これまで長い間、作品制作はあなたが世界的な混沌や内面の葛藤を乗り越える助けとなってきました。ますます複雑化する世界で育つ若者たちが他者とつながり、周りの状況に対処したり抵抗したりする上で、アートはどんな役割を果たせると思いますか?

愛と平和に関して、創造性に根ざした、人間味あふれる哲学を築かねばなりません。命ある全てのものを敬い、地球規模の危機に正面から向き合い、素晴らしいメッセージを世界と分かち合うことで、人々が偏見や混乱を乗り越えるのを助けられるはずです。

──これまでの歩みを振り返ってみて、あなたの芸術を方向づけた転機や、視界が開けたように感じる瞬間はありましたか?

私は5歳の頃から絵を描いており、10歳になる頃には画家になりたいと強く願っていました。興味が向くまま、あらゆる要素を取り入れながら絵画、彫刻、映像、文学など、さまざまな表現形式を探求してきました。こうした変遷は意図したものではなく、自然な流れの中で起きたものです。

草間彌生《Everything About My Love》(2013) Photo: ©Yayoi Kusama/Courtesy Ota Fine Arts/Collection of the Artist

──特にキャリアの初期において、アート界は男性優位の世界だったと思います。その中でどのように道を切り開いてきたのでしょうか?

私は「男性対女性」という視点で物事を考えませんが、当時は昼夜を問わず全力で絵を描き続ける苦闘の日々でした。自分なりの生き方を確立した今は、残された時間がますます短くなっていることを痛感しながらも、常に新しい何かを探し続け、芸術の分野で未踏の高みを目指したいという切実な思いを持ち続けています。

──もし若い頃の自分が今のあなたの作品を見たとしたら、何と言うと思いますか?

駆け出しの頃は、一人前のアーティストになろうと全身全霊を傾けていました。人生の真の美しさを見出し、生きることに対する本物の情熱を抱くようになったと知れば、若い頃の私はきっと喜ぶでしょう。

──あなたの展覧会は世界中の人々を惹きつけています。そうした人々の内にどのような感情的、あるいは知的な反応を呼び起こしたいと思っていますか?

私は声を大にして、人間の生命とその永遠の輝きを讃えてきました。今、真理を追い求め、人生という歓喜に溢れた祝祭の只中で、無限に広がる時空の中に身を置き、希望と世界平和への熱き願いを胸に、私は祈ります。人間という存在に対する私の情熱的な賛歌が、皆さんを勇気づけ、新たな力となるように。(翻訳:野澤朋代)

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