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草間彌生の絵本やカンディンスキーの伝記から考える、“子ども”と“芸術家”の表現力の違い

パブロ・ピカソは、自らの画業を振り返り、子どものように絵が描けるようになるのに「一生涯かかった」と述懐したという。この言葉には明らかに誇張があるものの、モダンアートが子どもの表現力に抱いていた憧憬の念をよく捉えている。近・現代の芸術家の創作活動と子どもたちのイマジネーションの関係について、作家の絵本や伝記を題材に考えてみよう。

ファイドンから出版された絵本シリーズ「First Concepts with Fine Artists(芸術家に学ぶ基本の形)」から、『Blue & Other Colors with Henri Matisse(青とそのほかの色:アンリ・マティス)』 Courtesy Phaidon

子どもの発想力に憧れ、我がものにしようとした作家たち

ジョナサン・ファインバーグなどの美術史家が指摘するように、子どもの創造性を真似ようとしたのはピカソだけではなかった。20世紀前半に新たな表現方法を模索していた欧州の芸術家の多くが、子どもの絵の中にインスピレーションと指針を求めている。大人の知覚が生み出す、社会通念や技巧で鈍らされたイメージより、子どもの絵のほうがもっと純粋で、「原始的」な力があると考えたからだ。

子どもたちのグルグルとした殴り書き、いびつな形、夢のような色彩、脈絡のない展開の中に、自分たちとは根本的に違う世界の捉え方、描き方があるのを発見した作家には、ピカソ以外にもナタリア・ゴンチャロワ、パウル・クレー、ワシリー・カンディンスキー、アンリ・マティス、ジャン・デュビュッフェ、ジョアン・ミロなどがいる。彼らは、子どもの目で見ること、子どものような想像力と描き方を再発見することで、日常生活のいたるところにある機械化や合理主義に対抗する手段を得た。ファインバーグの言葉を借りれば、「西洋文化の物質主義と死後硬直したような文化的ヒエラルキーを一掃するための下剤」を手に入れたのだ。

前衛的な作家が子どものアーティスト的な面に関心を寄せたことで、鑑賞者としての子どもの存在にも注目が集まるようになった。モダンアートと子どもの視覚的コミュニケーションとの親和性、そして子どもは無邪気で感受性が強いと一般に考えられていることが相まって、芸術や政治に関する新しいものの見方を広めようとする作家にとって、子どもは格好のターゲットとなった。子どもたちは、ヨーロッパにおけるモダニズムの発展に影響を与えただけでなく、その最初の消費者でもあったのだ。

ソ連の画家、アレクサンドル・デイネカ、エル・リシツキー、ウラジーミル・レーベデフは皆、ソ連の子どもたちのために絵本を作っている。彼らは、(ロシア革命が起きた)1917年以降、大衆に向けた情報伝達手段を革新し、ひいては大衆政治を改革するためのより大きな活動の一環として絵本作りに取り組んだ。また、ウィーン分離派やバウハウスなどを含む、20世紀初頭の革新的な芸術運動と関わった作家たちも、子どもの本に目を向け、斬新な書体やレイアウト、絵画表現などを探求する場として活用した。こうした試みが絵本というジャンルに与えた影響は長く続き、今もなお、絵本はビジュアルアーティストを引きつけ、先端的なグラフィックデザインの実験の場となっている。

現役の作家にも、児童書の挿絵などを手がけている例は多い。この10年間のアーティストによる絵本の中で最もよく知られているのは、おそらく草間彌生の2冊だろう。どちらも児童書の名作を彼女流にアレンジしたもので、2016年に『人魚姫』、2012年には『不思議の国のアリス』が出版された。ちなみに、サルバドール・ダリも1969年に『不思議の国のアリス』の挿絵を描いている。


草間彌生の作品を挿絵に使った、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の表紙 Courtesy Penguin Classics

よく知られているように、草間は少女時代から幻覚を見ていた。水玉や網目模様など、彼女のトレードマークとなっているモチーフの多くは、幼少期に見た幻覚が原点になっている。草間版『人魚姫』には、彼女が「Love Forever(ラブ・フォーエバー)」シリーズの一部として、2004年から2007年にかけて黒インクで描いた絵が使われている。ハンス・クリスチャン・アンデルセンの愛と傷心と変身の物語は、草間独自の解釈で視覚化され、悲しい運命に向かって旅立つ人魚姫が後にする海は、漆黒の円とうごめく線の暗い集合体として描かれている。

ルイス・キャロルの物語へのアプローチは、より直接的だ。アリスに代わって草間自身が主人公となり、ウサギの穴に落ちることから始まる旅を、自分が子ども時代に幻視していた世界を織りなす形やテーマを巡る旅として描いている。1860年代に10歳の少女アリス・リデルを楽しませるために書かれたという物語を、白昼夢を見る子どもである自分を主役として変貌させたのだ。本の中では次のように宣言している。「私、草間は、現代の不思議の国のアリスなのです」

20冊以上の児童書を出しているフェイス・リンゴールドも、芸術家と子ども、そして夢想家の間に類似性を見出した。中でも、最も有名な『Tar Beach(タール・ビーチ)』(1991)では、草間と同様に自分の体験とファンタジーを融合させている。リンゴールドが文章と絵の両方を手がけた『Tar Beach』は、自分の子ども時代を題材にしたストーリー・キルト作品《Woman on a Bridge #1 of 5: Tar Beach(橋の上の女 5枚組の1枚目:タール・ビーチ)》(1988)を基にしたもので、本の主人公もキルトと同じ、1930年代のハーレムに住む少女、キャシー・ルー・ライトフットだ。

ある蒸し暑い夏の夜、キャシーはハーレムのアパートの屋上から飛び立ち、きらめくジョージ・ワシントン・ブリッジの上空に舞い上がる。ニューヨークを眼下に見ながら、彼女は街のランドマークを自分のものだと夢想する。ジョージ・ワシントン・ブリッジは輝くダイヤモンドの首飾りで、アイスクリーム工場は彼女だけのためにデザートを作ってくれる場所だ。

あるシーンでキャシーは、父親が作業員をしている建設会社の労働組合本部の建物に近づいていく。そして、人種差別で組合に入れなかった父親のために、建物の真上を飛んで本部を奪おうと決める。一家がその持ち主になってしまえば「昔からの組合員でなくても大丈夫。有色人種だろうが、混血だろうが、インディアンだろうが関係なくなる」からだ。本の最後で、キャシーは弟のビー・ビーに空の飛び方を教える。「簡単だよ。他の方法では行けない場所を目指せばいいだけ」と。子どもはアーティストと同じように、大人の世界の秩序を越えた視点を持ち、新しい道を想像し、既存のヒエラルキーを崩してしまう能力を持っているのだ。


フェイス・リングゴールド《Woman on a Bridge #1 of 5: Tar Beach(橋の上の女 5枚組の1番目:タール・ビーチ)》(1988)アクリル絵の具、キャンバス、プリント生地、インク、糸。約189.5×174cm  Courtesy Guggenheim Museum/©2022 Faith Ringgold/Artists Rights Society (ARS), New York, Courtesy ACA Galleries, New York


有名作家は子ども向け伝記でどう描かれているか

一方、学齢期(満6歳~15歳まで)の子どもを対象とした芸術家の伝記には、芸術家とは先見の明がある反逆者だという考え方が根底に流れていることが多い。大きな美術館のミュージアムショップが取り扱う絵本の在庫一覧を見れば分かるように、このジャンルの本は2000年代に爆発的に増加した。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)も、作品を所蔵しているアーティストの伝記を何冊か出している。たとえば、『Jake Makes a World: Jacob Lawrence, An Artist in Harlem(ジェイクが世界をつくる:ハーレムのアーティスト、ジェイコブ・ローレンス)』(2015)、『Sonia Delaunay: A Life of Color(ソニア・ドローネー:色彩と生きる)』(2017)、『Roots and Wings: How Shahzia Sikander Beame an Artist(根っこと翼:シャジア・シカンダーはどうやってアーティストになったか)』(2021)などだ。

MoMAのショップには、ほかにも大手出版社やアートブック専門の出版社が発行した伝記が並んでいる。『A Life Made by Hand: The Story of Ruth Asawa(手で編まれた人生:ルース・アサワの物語)(2019)、『Ablaze with Color: A Story of Painter Alma Thomas(燃える色彩:画家アルマ・トーマスの物語)』(2022)、『A Boy Named Isamu: The Story of Isamu Noguchi(イサムという名の少年:イサム・ノグチの物語)』(2021)、『Cloth Lullaby: The Woven Life of Louise Bourgeois(布の子守唄:ルイーズ・ブルジョワの織られた人生)』(2016)などだ。嘆かわしいことに、すっかり出版界のトレンドの指標となってしまったアマゾンには、「Children's Art Biographies(子ども向け芸術家の伝記)」というカテゴリーまである。

有名な芸術家の子ども時代のエピソードを、誇張して、あるいは空想的に描いた伝記が示唆しているものは何だろう。それは、芸術家と子どもは、どちらも豊かな想像力があるという特別な絆で結ばれていることだけに留まらない。こうした本に特徴的なのは、プロの芸術家は先天的に優れた創造力を持っていて、その質とスケールは「普通」の子どもを上回っているという考え方だ。

たとえば、バーブ・ローゼンストックとメアリー・グランプレの『The Noisy Paintbox: The Colors and Sounds of Kandinsky's Abstract Art(にぎやかな絵の具箱:カンディンスキーの抽象芸術の色と音)』(2014)を見てみよう。この本に出てくるカンディンスキー少年には共感覚(*1)の能力が備わっていて、色の鼓動を聞いたり感じたりすることができる。初めて絵の具箱を開けた時、色彩の束が光と騒音の「魔法のような共感」として溢れ出してくる。彼はそれを抽象的な絵にする。だが、それを見せられた両親は怒りだし、「みんなと同じに家や花を描けるように」彼を美術教室に通わせる。


*1 ある感覚刺激によって,別の感覚を得ること。たとえば、音を聞いて色を感じる現象。

エリザベス・ブラウンとエメ・シクロの「Dancing Through Fields of Color: The Story of Helen Frankenthaler(色彩の野原で踊る:ヘレン・フランケンサーラーの物語)」(2019)では、フランケンサーラーは大人とだけではなく、ほかの子どもたちとも対比される。カンディンスキー少年と同じように、若き日のフランケンサーラーも、具象表現に興味を示さないため白い目で見られていた。

小学校の教室で整然と並んで座り、きれいな花の絵を大人しく描いている他の生徒たちとは違い、フランケンサーラーは机の周りを落ち着き無くうろうろする。水彩絵の具が机から滴り落ち、彼女の手や顔も絵の具で汚れているが、周囲に雑然と置かれた画用紙には流れるように輝く色彩が花開いている。「その時代、女の子は静かに座ってお行儀よくしなさい、と言いつけられていました。色を塗る時は、線からはみ出ないように、と教えられていました」と絵本の文章には書かれている。「でも、ヘレン・フランケンサーラーは、赤、青、黄色を自分の好きなように塗りました。ヘレンはいつだって、決められた通りにするのが嫌だったのです」


「Dancing Through Fields of Color: The Story of Helen Frankenthaler(色彩の野原で踊る:ヘレン・フランケンサーラーの物語)」 Courtesy Abrams

こうした普通でない子ども時代を描いた芸術家の伝記の中でも、特にカンディンスキーの場合は哀しげな脚色が目につく。しかし、絵本の中のカンディンスキー少年とは対照的に、実際のカンディンスキーは何年もかけて子どもたちの絵を収集し、抽象的な独自の画風に到達するまで試行錯誤を重ねた。1913年の自伝的エッセー「追憶」に書いているように、「絵画的形態を純粋かつ抽象的に」体験できるようになるまでには、「何年もの間、粘り強く仕事をし、思考を突き詰め、慎重な努力を重ねる」必要があったのだ。

カンディンスキーの伝記を読んで気づかされるのは、芸術家と子どもとの対等な交流を念頭に置いていないということだ。かつては、子どもたちは芸術家の「先生」になり得る存在だと考えられていたが、最近の子ども向け伝記本では、芸術家の天性の創造性に憧れる「生徒」の立場に置かれてしまっている。

さらに皮肉なのは、ミュージアムショップで販売されている書籍の中には、子どもの絵を不完全に模倣して作られたモダンアート作品を、視覚教育の教材にしたものがあることだ。出版社のファイドンから出ている「First Concepts with Fine Artists(芸術家に学ぶ基本の形)」シリーズは、1〜3歳の子どもたちが色や形などの基礎について、モダンアートの巨匠たちの作品から学ぶことが意図されている。

そのうちの1冊「Blue & Other Colors with Henri Matisse(青とそのほかの色:アンリ・マティス)」(2016)は、幼児が色の見分け方を学ぶための本だ。しかし、最後のページに記されているように、教材の絵を手がけたマティスは本物らしさにほとんど興味がなく、「青い髪とピンク、黄色、緑の顔を持つ女性の肖像画」を描いた画家なのだ。

また、「Birds & Other Animals with Pablo Picasso(鳥とそのほかの動物たち:パブロ・ピカソ)」(2017)は、生き物について学ぶ本だが、細部が省かれ単純化されたピカソのスケッチが教材に使われている。楕円形にくちばしと棒状の脚が描き足された小鳥は、生きている鳥というよりマシュマロ菓子のようで、フラミンゴも本物よりフラミンゴ型に刈り込んだ木のようだ。「鳥の写真や細部を描き込んだ絵を見せても、子どもは細いところまでは理解できない。だったら鳥の本質を捉えたピカソの絵を見せよう」と言いたいのかもしれない。

このシリーズ本は、モダンアートと子どもの間にある特別な関係を本質的なものとして捉え、意図的に簡略化され合理的でないモダンアートの表現を、幼い子どもが理解できるとほのめかしている。それと同時に、芸術家と子どもの間のヒエラルキーを明確化させ、一見似たもの同士だが、芸術家は経験値でも知識量でも子どもに勝るという考え方が見て取れる。


「うちの子でも作れる」わけではない理由

この20年間を振り返ると、子どもたちの絵は米国の主要な近・現代美術館で何度か展示されている。2006年には、美術史家のジョナサン・ファインバーグが有名な近代アート作家の子ども時代の作品と、個人コレクションから集められた子どもの絵を組み合わせた展覧会を企画し、フィリップス・コレクション(ワシントンD.C.)とクラナート美術館(イリノイ州シャンペーン)で開催している。

2020〜21年にかけては、ニューヨークのクイーンズミュージアムで「The Conference of the Animals(どうぶつ会議)」という展覧会が行われた。アーティストのウルリケ・ミュラーとキュレーターのエイミー・ザイオンが企画した2部構成の展覧会で、1900年から現在までの子どもたちの作品と、1940年代にドイツで出版された絵本と同じタイトルの壁画が展示された。展覧会のタイトルもこの絵本の題名から取られている。

こうした事例はあるものの、一般的に美術館は子どもの創作物を芸術作品として扱ったり、芸術作品と一緒に展示したりすることに消極的だ。ファインバーグが指摘しているが、子どもの作品は、美術史家よりも心理学者から注目されることの方がはるかに多い。


クイーンズ美術館で開催された展覧会「The Conference of the Animals(どうぶつ会議)」(2020-21) Photo Hai Zhang/Courtesy Callicoon Fine Arts and the Queens Museum

子どもの創作物は、モダンアートの発展に貢献した一方で、一般社会がアートの正当性を問う時の視点にもなっている。非具象的な芸術作品と子どもの創作物との間の見た目の類似性は、抽象芸術や、その後のコンセプチュアル・アート作品に対する懐疑的・反動的な意見を正当化するために利用され続けてきた。「うちの子でも作れる」というのは、抽象表現主義の作品や既製品を利用したコンセプチュアル・アートを批判する時のお決まりのフレーズで、今ではそうではないことを解説する本や記事、オンラインコンテンツなどが、1つのジャンルとして成立しているほどだ。

より広い大衆文化の中でモダンアートの価値を擁護するには、子どものように描くために「生涯をかけた」という、ピカソの一見謙虚な自慢話が持つインパクトを前面に打ち出す必要があった。真に才能ある芸術家でも、子どもと同じレベルに到達するまでには何十年にわたる実践の積み重ねと忍耐がいるということを指摘する必要があったのだ。また、子どもじみた悪ふざけだと非難された芸術家が、本当に子どものようだったのか、疑問を投げかけることも必要だった。

デュシャンの小便器を使った作品が下品であることは間違いないが、そのユーモアは、中学生のいたずらと一緒にするにはあまりにも巧妙で効果的だ。作家のスージー・ホッジは、2012年に出版された「Why Your Five-Year-Old Could Not Have Done That: Modern Art Explained(なぜ、あなたの5歳児には無理なのか:モダンアート解説)」の中で、次のように書いている。「あれほど的確にタイミングを図り、最適な方法で世間をあっと言わせるのは、初心者には無理だろう」

サイ・トゥオンブリーの絵も、幼児の落書きのように見えるかもしれない。だが実のところそれらの作品は、複雑で厳格なシステムに則って制作を行う、成熟した芸術家の持つ抑制と冷静さに裏打ちされている。ニューヨーク近代美術館のキュレーターだった故カーク・ヴァルネドーは、「Your Kid Could Not Do This, and Other Reflections on Cy Twombly(あなたの子どもには作れない。サイ・トゥオンブリーに関するいくつかの考察)」と題した1994年の小論の中で、次のように書いている。「どんな子どもでも、トゥオンブリーのような絵を描けると言えるかもしれない。ハンマーを持った愚か者がロダンのように彫刻を破壊できるという意味で。どんなペンキ屋でも、ポロックのように絵の具を飛び散らせることができるという意味で」

2004年に出版された絵本『Action Jackson(アクション・ジャクソン)』の終わりには、ジャクソン・ポロックの作品《Lavender Mist(ラベンダー・ミスト)》(1950)についての説明がある。そこに書かれているように、ポロックが特別な才能を持っていたことに疑問を挟む余地はないはずだ。「彼が作ったものを見た人の中には、ショックを受ける人もいる。怒りだす人、混乱する人、興奮する人、あるいは抑えきれない幸福感に包まれる人もいる。けれども、誰もがきっと賛成することがある。それは、ジャクソン・ポロックは人と違うことをしているということ。これまで誰も見たことがない方法で絵を描いているということだ」(翻訳:野澤朋代)

※本記事は、Art in Americaに2022年7月25日に掲載されました。元記事はこちら

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