マヤ文明を滅ぼしたのは「長期干ばつ」? 最新調査が13年間の水不足を裏付け

メキシコ・ユカタン半島の洞窟で見つかった石筍と気候データの分析から、マヤ文明の衰退期に13年間続く干ばつが発生していたことが明らかになった。研究者は、この長期干ばつが農作物の不作や社会不安を招き、文明崩壊の引き金となった可能性を指摘している。

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チェチェン・イッツァ付近にあるシュトロク・サミュラ。ユカタン半島にはこうした洞窟が点在している。Photo: Sebastian Kahnert/dpa (Photo by Sebastian Kahnert/picture alliance via Getty Images

並外れた建築技術や高度な数学の知識をもっていたとされるマヤ文明が、13年間続いた干ばつで崩壊した可能性を示す研究結果が発表された

研究者たちは、メキシコ・ユカタン半島の洞窟で発見された石筍(洞窟の天井から染み出した炭酸カルシウムを多く含んだ水が床面に蓄積し、床面から筍状に立ち上がる洞窟生成物)を分析。また、マヤ文明の衰退期に該当する871〜1021年までの気候データから降雨量の記録を分析した結果、本来雨季となるべき時期に、繰り返し干ばつに見舞われていたことが判明したという。

このことから、ユカタン半島におけるマヤ文明衰退の原因は依然として明らかになっていないものの、多くの科学者は、干ばつを主要因のひとつとみなしている。過去の研究でも、終末古典期(9〜10世紀)にメキシコ南部で数年規模の干ばつが発生したことが示されている。また、同時期のユカタン半島の人口は減少した一方で、気候がより乾燥していた北方では、異なる集団が繁栄していたことも明らかになっている。ケンブリッジ大学地球科学部の博士課程学生として今回の研究に参加したダニエル・H・ジェームズは、終末古典期は長いこと研究者たちを魅了してきたと述べた上で、こう続けた

「マヤ人が残した考古学的証拠に基づき、交易路の変化や戦争、干ばつなど、これまで複数の説が崩壊の原因として唱えられてきました。しかしここ数十年で、考古学的データと定量化可能な気候証拠を組み合わせての検証が進み、その当時に起きていた出来事と、それを引き起こした理由について、多くのことが明らかになっています」

学術誌『Science Advances』に掲載されたこの論文において、ジェームズと彼の研究チームは、メキシコのユカタン州にあるグルタス・ツァブナーと呼ばれる洞窟の石筍から採取した酸素同位体の層を調査した。層ごとの年代を測定し分析することで、マヤ文明の終末古典期の気候に関する詳細な情報を抽出し、雨季と乾季の降雨量を特定できたという。分析の結果、干ばつは複数回発生しており、最長のものは929〜942年頃まで13年間続き、ほかにも3年程度続いた干ばつが確認された。

この長期干ばつの影響により、マヤ人は居住地を放棄し、政治的権力の中心が北方に移動したことで、社会的・政治的混乱が起こった。雨がいつどれくらい降るのかという不確実性が住民の重圧となり、指導者層の権力弱体化の一因となったと考えられている。とはいえ、マヤ人に干ばつ期間を乗り切る方法がなかったわけではないと、ジェームズは言う

「終末古典期のマヤ遺跡には、水の貯蔵と管理に関する広範囲にわたる考古学的証拠があります。住民たちはある程度まで干ばつに対処できるよう準備し、適応していましたが、これらの方法にも限界がありました。(干ばつによる飢饉のような)社会的ストレスは致命的なリスクの連鎖を引き起こす可能性があります。信頼されてきた緩和策が失敗し、結束力がなくなり、社会が無秩序になってしまったのです。一方、チチェン・イツァのような、より中央集権化された都市は、広範囲にわたる交易ネットワークからの支援により、より長く存続できた可能性があります」

今回の研究結果により、マヤ史における激動の時代に、人々が何を経験したかについての理解が深まった。13年に及ぶ干ばつは長期的な収穫不良を意味する可能性があり、現代の視点から考えても、それがいかに破滅的であったかが理解できる。ジェームズは、この記録を個々のマヤ遺跡の歴史と比較し、当時の暮らしがさらに詳しく解明されることに期待を寄せている。

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Photo: Pedro Guillermo Ramón Celis, and the Guiengola Archaeological Project

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