インカ帝国の「失われた都市」マチュピチュ、本当の発見者は誰なのか
アンデス山中の尾根に位置し、「空中都市」や「失われた都市」と呼ばれるインカ帝国の遺跡マチュピチュは、実に400年もの間、人の目に触れることなく眠っていた。今も謎が残るこの遺跡の基礎知識をまとめた。

インカ帝国の遺跡マチュピチュは、標高2400メートルを超す山岳地帯に築かれた要塞で、アンデス山脈とアマゾン川の源流の1つが交わるペルー南部にある。マチュピチュとは、ペルー先住民の主要言語であるケチュア語で「古い峰」を意味する。
考古学研究者によると、マチュピチュが建設されたのは1420年代で、スペイン人がインカ帝国を征服した1500年代前半に放棄されたという。20世紀初頭にこの遺跡が当時のままで見つかったのは、幸いにもスペインの征服者たちに発見されなかったからだった。1983年にユネスコの世界遺産に登録され、年間200万人超というペルーで最も多くの旅行者が訪れる一大観光地のマチュピチュは、2007年に新・世界七不思議にも選ばれている。
マチュピチュにはどんな役割があったのか
現在、歴史学者の間では、インカ帝国を大きく発展させた15世紀のパチャクティ・インカ・ユパンキ皇帝(1418ー1471)の離宮として建設されたという説が出ている。総面積3万2000ヘクタールを超える広大な敷地には、王宮や貴族の邸宅、太陽の神殿や3つの窓の神殿などの宗教施設、広場、埋葬地、段々畑が作られていた。
マチュピチュは「インカの失われた都市」と呼ばれることがあるが、厳密には正しくない。考古学的な分析結果によれば、マチュピチュの人口は最盛期でも750人程度で、ほとんどが王族の従者たちだった。これでは16世紀の基準からしても「都市」とは言い難い。
マチュピチュはどうやって築かれたのか
ストーンヘンジやイースター島の一枚岩で作られたモアイ像など、古代〜前近代の驚異的な建造物と同様に、マチュピチュの建設についてもその多くは謎に包まれたままだ。約200もの構造物は、モルタルを必要としないほど完璧に組み合わされた花崗岩のブロックでできている。また、全体が驚くほど無傷で残っていることも、インカ人の建築技術がいかに優れていたかを物語っている。
特筆すべきは洗練された排水システムで、年間約2000ミリにもなる雨水を効率的に吸排水する溝が張り巡らされていた。さらに、建造物は急斜面に建てられているにもかかわらず、長い年月にわたり地震に耐えてきた。

マチュピチュは、誰が、どのように発見したのか
マチュピチュ近くの住民は、何世紀も前から遺跡があることを知っており、現在遺跡がある場所の土地所有権を主張する者も多かった。それが世界的に知られるようになったのは、探検家でイェール大学の学者でもあったハイラム・ビンガム3世が、インカ人がスペイン人の侵略から逃れるために設立した帝国最後の「失われた都市」、ビルカバンバを探し当てようとペルーを旅したのがきっかけだった。
1911年、現地のガイドに案内されてマチュピチュにたどり着いたビンガムは、ついにビルカバンバを発見したと確信した。しかし、遺跡の壁にはすでに木炭で「A. Lizárraga, 1902」と書かれていた。それはクスコの農夫、アグスティン・リザラガの署名だった。リザラガはすでにここで発掘の下準備をし、その存在を他の人々に伝えていたが、マチュピチュが世界的に有名になる直前の1912年に溺死してしまった。
ビンガムの調査隊は遺跡を覆っていた草木を取り除き、陶器や食器、宗教的なオブジェなどの遺物をイェール大学ピーボディ博物館に送った。そしてビンガムの「発見」から100年後の2011年、同博物館はこれらの遺物をペルーに返還。現在、クスコのマチュピチュ博物館に展示されている。
さらに最近の調査では、リザラガよりも先に国外の人間がこの遺跡を訪れていたことが明らかになった。1978年に再発見された地図によると、ペルー政府は1867年、ペルー人以外で初めて遺跡を訪れたとされるドイツ人実業家、アウグスト・ベルンスに近辺の土地を売却している。そこに製材所を開いたベルンスは、ビンガムが所有権を主張するずっと以前にマチュピチュの財宝の一部を略奪したと考えられている。
こうした経緯があるにもかかわらず、メディアがビンガムに注目したこともあり、彼は次第にマチュピチュの「発見者」となっていった。たとえば、1913年に発行されたナショナル・ジオグラフィックは、全編をビンガムのペルー探検に費やしている。ただしビンガムは、1922年に出版した著書『Inca Land: Explorations in the Highlands of Peru(インカの地:ペルー高地探検記)』の中で、リザラガや他の探検家にも触れている。
マチュピチュへのアクセスは
マチュピチュへは、遺跡に最も近い観光拠点のアグアスカリエンテスから行くのが一般的だ。クスコからアグアスカリエンテスまでは列車で4時間ほど、そこから遺跡まではシャトルバスが運行している。ペルー政府がチケット販売と見学時間の管理を行い、混雑や遺跡の摩耗を防ぐため、長さの異なるさまざまな見学ルート(サーキットと呼ばれる)が定められている。また、インカ帝国に起源を持つ古道、インカ・トレイルをトレッキングしてマチュピチュに行くことも可能。(翻訳:清水玲奈)
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