物質の支配から逃れ、ただ揺れること─アン・ヴェロニカ・ヤンセン「東京、銀座5丁目4-1」【EDITOR’S NOTES】
銀座メゾンエルメス ル・フォーラムで、アン・ヴェロニカ・ヤンセンの日本初個展「東京、銀座5丁目4-1」が開催されている。光や人工煙霧、鑑賞者の体温といった絶えず移り変わる現象を用いた空間は、物質の支配から逃れ、見慣れたはずの世界の輪郭を少しだけずらしてみせる。

東京の銀座メゾンエルメス ル・フォーラムで、ベルギーを拠点にするアーティスト、アン・ヴェロニカ・ヤンセンの日本初個展が開催されている。ヤンセンは1956年、イギリス生まれ。1970年代後半から合板やガラスといった簡素な素材を使って制作を続け、1990年ごろからは光や音、人工煙霧なども扱いながら、彫刻やインスタレーション、映像、写真、コンテンポラリーダンスの舞台美術などさまざまな作品を発表してきた。
今回の展覧会のタイトルは「東京、銀座5丁目4-1」で、銀座メゾンエルメス ル・フォーラムの住所がそのまま題となっている。それは、彼女がこの場所をつぶさに観察し、銀座メゾンエルメスという空間のためだけに作品を構想したからだ。彼女は壁や柱を新しく建てるのではなく、作品によってその周りの時間や光、空気を観客に意識させる、あるいは変化させることで、部屋そのものの印象を大きく操作してみせる。

展示室の中央に吊り下げられたブランコ《Swings》は、鑑賞者が実際に腰掛け、揺れることができる作品だ。座面には熱に反応する素材が使われており、人が座ると体温を受けた部分の色が変化する。席を離れたあともしばらくその痕跡が残り、やがて元の状態へ戻っていく。身体の接触とその温度が一時的な像として記録されると同時に、誰も乗っていないときにも時折揺れることによって、通常は見えない空気の動きも意識させられる(銀座メゾンエルメス ル・フォーラムの高い天井を活かしたインスタレーションはここならではだ)。
また、床面に広がる《Untitled (blue glitter)》も、決まった形を持たない作品。青を基調とするイリデッセント・マイクログリッターを床へ撒いており、当然ながら粉末の状態が二度と同じ形状になることはない。ヤンセンがこの作品について「決して終わることはなく、決して固定されることもない」と表現するとおり、展示のたびに異なる輪郭や密度をつくり、見る角度や光によっても異なる姿を見せる。

壁のひとつがガラス張りになっている8階のもうひとつの展示室では、《Rose》(2007)と新作《Calcium Carbonate》(2026)が一緒に展示されている。《Rose》は、7基のスポットライトと人工煙霧による作品。室内の中心へ向けて照射された光線が霧の粒子によって可視化され、複数の線が空中で交差する。特定の位置から見ると三次元の星形のような像を結ぶが、鑑賞者が位置を変えれば線同士の関係も変わり、近づくと霧そのものは透明に見える。また、ガラス越し外光が差し込む時間帯には光の線が淡くなるなど、時間や環境によっても姿を変える。
その《Rose》を取り囲むガラスや壁面を白く覆っているのが、この会場のための新作《Calcium Carbonate》だ。ガラスや壁面に炭酸カルシウムを吹き付けることで質感を加え、空間内の光を柔らかく変化させている。

場所や時間、そこにいる人のふるまいによって絶えず変化する作品について、ヤンセンは「コントロールの喪失、権威主義的な物質性の欠如、そして物体の専制から逃れようとする試み」と語る。無理やり何かを支配して形にするのをやめて、移り変わっていく現象をそのまま受け入れようとするスタンスだ。
それを銀座という東京の真ん中で、照明やブランコ、グリッターといった人工物を使ってプリミティブな身体感覚に訴えかけるアプローチは、昔からなじみのある美意識のようでもあり、同時に、見慣れたはずの世界が少しだけずれたような実験室のようでもある。
「東京、銀座5丁目4-1」アン・ヴェロニカ・ヤンセン展
会期:9月11日(金)〜2027年1月11日(月・祝)
場所:銀座メゾンエルメス ル・フォーラム 8・9階(東京都中央区銀座5-4-1)
時間:11:00〜19:00(入場は30分前まで)
休館日:水曜日、年末年始(エルメス銀座店の営業時間に準じる)