「見る」という行為の可能性を探求する──河野未彩が語る都市の経験と光
3月13日から23日まで開催される「渋谷ファッションウィーク(SFW)2025春」のアートプログラムとして、現在は一部の施設を除き休館中のBunkamuraを舞台に3組のアーティストが「渋谷の街(ストリート)」に焦点を当てた作品を発表する。アーティストたちは渋谷をどのように見つめ、アートワークに映し出すのか。その1人である視覚ディレクター・グラフィックアーティストの河野未彩(かわの・みどり)に話を聞いた。

鑑賞者と観測者の共通性を探る「実験」
──今回の作品には、これまで河野さんが探求されてきた三原色の光を使った作品《RGB_Light》に量子力学を取り入れた新たな試みがなされています。このアイデアに至った経緯を教えていただけますか?
アートにおける鑑賞と、量子力学における観測に似ている点があるように思い、作品にしてみようと考えました。
とくに私が興味をもったのは、「二重スリット実験」と呼ばれる量子力学の有名な実験です。この実験は、2つのスリットを入れた板に電子を当てるというもので、電子の粒はお互いに干渉しあって波型となり、スリットの向こうの壁にはストライプの模様が現れます。ですが、その様子を観測すると、なぜかストライプは2本の線に集約されてしまうという不思議な現象が起こるんです。
アート作品は、もちろんアーティストの意図が作品に込められているとはいえ、最終的には、鑑賞者がどう受け取ったかによって定義づけられると思うんです。つまり、鑑賞がアート作品の価値にフィードバックされたり影響を与えたりする。例えば、ゴッホの作品を「見る」、つまり研究したり言説したりする人がいなければ、その価値が保存され、次の時代に継承されることはありません。そんなふうに、究極的には芸術作品は鑑賞者なしには存続し得ないと思うんです。
二重スリット実験も、人間が観測器で「観測」することによって、その現象が定義づけられます。今回、光を視覚化する《RGB_Light》に「二重スリット実験」の構造をヒントにすることで、「見る」という行為がもつ可能性や面白さに、光をあてることができるのではないかと考えました。
Bunkamuraのエントランスに設置された大型インスタレーションには、スクリーンなどの構造体にライトで照らされた通路があり、鑑賞者はそこを通り抜けながら、自身や行き交う人の影を眺めることになります。
──なぜ科学に興味を持たれたんですか?
幼いころから宇宙に興味がありました。宇宙飛行士になりたかったのですが、虫歯があるとなれないと言われて諦めたんです(笑)。その後、中学ではバスケットボール部に入って運動漬けの毎日でしたが、いつも家に帰ると部屋に籠ってあれこれ想像したり考え事をしていました。そんなある日、電気も付けずに暗い部屋で想像世界に浸っていると、ふと、宇宙で起こっている事と自分の心の中で起きている事には共通点があるのかもしれないと感じたんです。外の世界の構造を理解することで、自分のことも理解できるし、逆もそうかもしれない──多感な10代のころに、そんな希望を抱いたことから、科学への興味がさらに深まりましたし、そうした構造を理解したり発見したりするために、絵を描いたり文章を書いたりすることが、今の私を形成するきっかけになったと感じています。
──言語化できないような現象を理解して整理し、視覚的に表現したい、という欲求は、アートディレクターという仕事にも通じますね。
アートディレクションやグラフィックに興味を持ったきっかけは、60年代中期のビートルズ、特に『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967)あたりのアートワークだったり、それが体現するヒッピー文化でした。あとは横尾忠則さんや、インドの宗教画の極彩色など、シリアスなものを表現しているはずなのにどこかコミカルだったり、グラフィックが織りなす独特の世界観や、音楽など形をもたない概念や思想を視覚化するグラフィックの力に惹かれました。
「わからないもの」を完全に理解出来たら気持ち良いですが、いつも理解できるわけではありません。それこそ、量子力学はまだ議論される余地がたくさんあり、理解しきれるはずはないし、アートでも同じく表現しきれないのですが、「わからない」し「表現しきれない」からこそ魅了され、飽きずに一生興味を注げるのだと思います。

──今回の企画は、「渋谷の街(ストリート)」がテーマになっています。河野さんにとって、渋谷はどんな街ですか?
横浜市の郊外で、周囲に畑があるような環境で育ちました。畑があると言っても大自然ではないし、都会へのアクセスが悪いわけでもない、そんなある意味宙ぶらりんな場所で、中高生の私が外に繋がるツールだったのは、ファッション誌やテレビ番組でした。学生時代は、そこに掲載された服をチェックしに渋谷や原宿を頻繁に訪れていました。
いつも渋谷駅で降りて、明治通り沿いを原宿まで歩くんです。気になるショップに寄りながら竹下通りに到着すると、その日見たものの中で、一番好きで買いたいものを買うために渋谷へと戻る。限られた予算の中で何を手に入れるかをストリートを行き来しながら真剣に吟味した当時の経験が、自分の「一番好き」を選び出す感覚を養う訓練になったと思います。今はグーグルマップがあるから目当ての場所にも最短距離で到達できますが、当時は紙の地図しかないので知らない道に迷い込んだり。でも、身体を使って街をフィジカルに経験していくという行為は、間違いなく今の私の血肉になっています。
──その頃と比べると、原宿や渋谷は再開発で大きく姿を変えています。街が変容することは、河野さんにどういう影響を与えていますか?
ポジティブとネガティブ、両方の影響があります。先日ある場所に新しいビルが出来たのですが、それによって、お気に入りのレストランは立ち退きを余儀なくされました。都市の新陳代謝において、そうした事象はつきものであるとはいえ、誰かが大切な時間を過ごした場所がなくなるのはやはり悲しい。一方で、新しく建つ施設の中には、アートを街に根付かせようとか、何か新しい潮流を起こそうという情熱を感じさせるところも少なくありません。それが次世代の人々の人生を変えるような圧倒的な影響を与えることもあるでしょうし、そういう意味で今の渋谷の開発は、大きな畑に種を蒔いているタイミングなのだろうと思います。

──河野さんはグラフィックやプロダクトデザインなどのコマーシャルワークと並行して、ご自身のアート作品も手がけています。それぞれに向かわれる時に、態度や感覚の違いはありますか?
いずれも「ものを作る」行為なので、私自身の中で態度や感覚に大きな違いはありません。もちろん、デザインワークには発注者がいるので、諸条件の中で最適解を出すことが求められます。一方、作品制作は私の中にある問いから始まるので、出発点が異なります。ですが、《RGB_Light》のようにプロダクトとアート作品の両方でアウトプットするケースもあり、商品にも作品にもなり得るという可能性を探求するという意味で、個人的には面白い実践になっています。
──《RGB_Light》もそうですが、「光」は河野さんのアーティスト活動においてもデザイン活動においても重要な要素です。街の光が制作に与える影響はありますか?
少なからずあると思います。例えば街の光にもファッション同様に流行がありますが、それは技術や流通といった時代の影響が大きいと思います。東京の街は、私が《RGB_Light》を始めた2005年頃はまだ蛍光灯や白熱電球が主流で、暖かい「点」の光が多かったのですが、LEDのフルカラーが普及してからは、街にカラフルな「面」の光が増えました。それと同時に、《RGB_Light》もレフ球からフルカラーLEDに変わっています。そんなふうに、今の東京の光が圧倒的にカラフルだとすると、インドに旅行したときに気づいたのは、着陸前に飛行機から眺めた街には白熱灯のオレンジの光が溢れていたということ。そんなふうに、街の光にはその都市の技術や美意識などが現れていて、それが自分自身の作品にも影響していると思います。
SHIBUYA FASHION WEEK 2025 Spring × Bunkamura
Bunkamuraの未来を照らす新しいアート体験 2025
会期:2025年3月13日(木)〜23日(日)
場所:Bunkamura(東京都渋谷区道玄坂2-24-1)
時間:13:00〜20:00(23日は18:00まで)
Photos: Kaori Nishida Edit: Maya Nago Text: Kazumi Nishimura